お菊の願い
⚪︎日影映子視点
「へっくしょんっ!」
大きなクシャミが思わず飛び出る。誰かが私の噂話でもしているのだろうか。
「なんだ映子、風邪か? いつもすっぽんぽんで寝ているからじゃないのか?」
ジョーさんが意地悪そうに笑いながら、からかうような皮肉を飛ばしてくる。確かにこの前の仮眠の時も、エアコンをつけっぱなしにしたままうたた寝してしまったけどさ。
「裸じゃありませんよ! 流石に暑がりの私だって、全裸で寝たりするわけないじゃないですか。ちゃんと下着はつけてましたってば」
私はムキになって反論する。
「どっちにしろ大して変わらん気がするがな」
ジョーさんがやれやれとぼやくように呟いた。
「このたびは、私のせいで本当に申し訳ありませんでした……」
その時、ひかえめな声とともに菊さんが深々と頭を下げてきた。黒髪ストレートの似合う、どこか儚げで可愛い少女だ。もっとも、「可愛い子」なんて見た目で言っても、彼女が生きていた時代を考えれば自分よりも遥かに年上のお姉様なのだろうから、そんな風に気安く呼ぶのは少し失礼かもしれないな。
「えーと、菊さんでしたっけ? うちの会社に何か依頼したいことがあるってことで間違いないのかな」
ジョーさんが興味深そうな目を向けつつ、話を本題へと引き戻す。
「はい。噂でこちらでは幽霊の願いも聞き届けてもらえると聞き及びまして……」
どこか古風で丁寧な喋り方の菊さん。見た目は若いのに、醸し出す雰囲気はかなり古い年代の人のように感じられる。一体何歳なんだろうと、私は密かに疑問を抱いていた。
「じゃあ、その先。うちの依頼を受ける代償として、何を差し出してもらうか知っているかい?」
「もちろん存じております。私の願いを聞き届けていただけるのであれば、この世に対する未練も綺麗になくなります。その対価として我が身を捧げるために、失礼ながら道を行く車の一席を拝借してついてまいりました」
「あっ……! そういえば最近よく噂を聞きますよね。車の後部座席に、夜になると髪の長い着物の霊が映り込むっていう……」
私はふと、世間で囁かれているオカルト話を思い出してハッとする。隣県の峠道あたりで目撃情報が一番多かったやつだ。
「申し訳ないとは思いつつも、幽霊の足では遠くまで行くのにどうしても距離がありましたので、いろいろな車にこっそり乗り継ぎながらここまでやってきました」
菊さんは申し訳なさそうに、上品にペコリと頭を下げる。
「事情はだいたい分かった。では、その肝心なお願い事を聞かせてもらおうか」
ジョーさんがスッと真剣な表情に切り替える。
だが、菊さんは言葉を選んでいるのか、それとも言うべきか躊躇っているのか、わずかに気まずい間が空いた。そして、意を決したように重い口調でポツリと告げた。
「お願いいたします……私の恋人を、殺してください!!」
あまりにも物騒で予想外すぎるその願いに、私とジョーさんは思わず顔を見合わせるのだった。




