イラストレーター 雪墨鈴々莉
「ダメだーーっ!! 描けない!!」
その時、静かだった編集部内に女性の叫び声が響き渡った。
「……また雪墨が締め切りに追われてんのか。締め切りまであと何日だ?」
十一さんが煙草の煙を吐き出しながらやれやれとため息をつく。
「……とっくに過ぎてます。今日が正真正銘のデッドラインです」
鳥居はげっそりとした顔で答えた。
「雪墨!! 叫んでる暇があったらとっとと描け!!」
「うるさいなー! 今は気分が乗らなくて出来がイマイチなんだよっ!」
十一さんと雪墨と呼ばれた女性が、激しい言い合いを始める。だが鳥居はそれを「いつものこと」とばかりに華麗にスルーし、俺をその女性の席の前まで引っ張っていった。
「こちらはうちの専属イラストレーターの雪墨 鈴々莉さん。……鈴々莉さん、締め切りもう2日過ぎてます。今日は何としても描いてくださいね」
「わかってるよー……」
紹介された女性は、オフィスチェアに深く寄りかかり、行儀悪く机の上に足を放り投げて不貞腐れていた。
派手な金髪のロングヘアに、バッチリ決めたギャルメイク。露出の多い服装に、ジャラジャラと鳴るアクセサリー。一見すると、原宿か渋谷の街を歩いていそうなコテコテのギャルだ。そんな彼女が、爪をきれいにデコった手で長い筆を指先でくるくると回しながら悩んでいる。
「あ、矢木剛斗と言います! よろしくお願いしま――って、スゲェ……!」
俺は挨拶の途中で、思わず感嘆の声を上げていた。
彼女のデスク周りには、無数の墨絵が所狭しと貼られていたのだ。ダイナミックな筆使いで描かれた龍や妖怪たち。それはあまりにも生き生きとしていて、今にも紙を飛び出して襲いかかってきそうなほどの凄まじい迫力だった。
「おっ? 君、この絵の良さがわかるの?」
さっきまで不機嫌そうだった鈴々莉さんが、ころっと満面の笑顔になって俺に話しかけてきた。
「すごいっすよ、雪墨さん!! マジで今にも動き出しそうです!」
「んー、肩っ苦しいな! 鈴々莉でいいよ、鈴々莉で!」
「すごいっすよ、鈴々莉さん!! 俺、芸術とか全然わからないですけど、とにかくめちゃくちゃカッコいいです!!」
俺が素直な感想をぶつけると、鈴々莉さんは胸を張って実に誇らしげに笑った。
「よしっ!! なんかやる気出てきたーっ!」
バッと足を机から下ろすと、鈴々莉さんは一転して真剣な表情になり、迷いのない手つきで和紙の上にすっと筆を走らせ始めた。
ギャルっぽいド派手な容姿と、重厚な墨絵を描く姿。そのギャップがあまりにも激しかったが、集中して筆を振るうその横顔は、不覚にも「絵になるな」と思ってしまった。
「矢木くん、ありがとう……!」
作業に没頭し始めた鈴々莉さんの背中を見送りながら、鳥居が猛烈な勢いで俺に感謝してきた。
「鈴々莉さん、腕は確かで天才的なんだけど、とにかく気分屋でこだわりが強くて大変なの。まさか一瞬で乗せちゃうなんて助かったよ」
「おう、役に立ったなら良かったよ!」
サラサラと静かに紙を滑る筆の音を聞きながら、俺は「この会社、本当に面白い奴ばかりだな」と密かにテンションを上げていたのだった。




