夏の夜空に消える光
⚪︎矢木剛斗視点
やがて一階の玄関付近へと到着する。破れた窓からは、月明かりが優しく室内を照らしていた。
「じゃあ琴、頼む」
「任せとき!」
ジョーさんの短い合図に応え、琴さんが数珠を固く握りしめて静かに祈りを捧げ始める。すると、彼女の全身が淡い青白色の光に包まれた。直後、琴さんの身体からすっと力が抜け、ガクリと首をうなだれた。
「琴さん!?」
思わず心配して声をかけようとしたが、隣にいた鳥居がそっと手を出して俺を制した。
ゆっくりと、琴さんが顔を上げる。……けれど、何かが違った。表情というか、雰囲気がまるで別人のように変わっている。琴さんはどこか不思議そうに、自分の両手をじっと見つめたり動かしたりしていた。
「……この病院の元院長先生ですか?」
ジョーさんが静かに問いかけると、琴さんはゆっくりと首を縦に振った。
「そうです……私はこの病院の元院長です。あなたがたは一体……?」
声自体は琴さんのものだ。だが、その口調や佇まいには、長年歳月を重ねてきた老人特有の深みと重みが宿っていた。
「琴ちゃんはね、イタコなの。こうやって亡くなった方の霊を自分の身体に降臨させることができるのよ」
驚く俺の横で、映子さんが優しく解説してくれた。
「私たちは『幽玄堂』という退魔師の者です。あなたの残した強い願いを聞き届けにまいりました」
いつもの呑気な姿からは想像もつかないほど、ジョーさんは誠実できちんとした口調で語りかける。
「では……この病院に取り憑いていたあの不気味な妖怪たちは……?」
「ご安心ください。すべて退治いたしましたよ」
相手を心から安心させるような、優しく穏やかな声色でジョーさんは答えた。
(……なんか、まるで本物の神父様みたいだ)
俺が感心して呟くと、鳥居が苦笑いを浮かべた。
「一応、本当に本物の神父様なんだけどね」
「ゴホンッ……」
聞こえていたジョーさんが、気まずそうに小さく咳払いをする。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……!」
院長の霊が憑依した琴さんの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「私の人生のすべては、この病院と共にありました。目の前の患者の病気を治すことだけが私の使命でした。みなさんの笑顔を、ずっと守りたかったのです……統合され廃病院になったとはいえ、そこが妖怪たちの住処になるのは耐え難かった……」
嗚咽を漏らしながら語る院長の無念と深い愛に、俺の目にもじわっと涙が浮かんできた。ダメだ、俺はこういう一途で温かい話にめっぽう弱いんだ。
「妖怪を退治していただき、本当にありがとうございました……。これで私も、心置きなく天国へと旅立つことができます」
院長は震える手を差し出し、ジョーさんと深く、強く握手を交わした。
ジョーさんは自身の首にかかっていたロザリオを静かに掲げる。
「では……準備はよろしいでしょうか?」
「ええ。みなさん、本当にありがとうございました」
最後に院長が一礼すると、幽玄堂の全員も自然と背筋を伸ばし、深く一礼を返した。そして、それぞれの流派のやり方で、院長の魂へ静かな祈りを捧げ、見送りの儀を行う。
琴さんの身体を包む青白色の光が、一段と強く発光し始めた。ジョーさんが粛々と聖なる呪文を唱えると、その光は柔らかく広がっていき、最後には閃光のようにまばゆく輝いた。
やがて、その青白い光は琴さんの身体から静かに抜け出すと、すーっと夜空へ向かって上り始めていく。
月と星が美しく輝く、夏の夜空。
そこへ吸い込まれるように消えていく温かな光の行方を、俺はただ息をのんで、いつまでも、いつまでも見つめ続けていた。




