【第9話】静寂の捕食者とオタクの聖域
「……。なんなの、これがこの世界の魔導書……いいえ、『本』なの? 品性の欠片も感じられないわ!」
翌朝。和希の部屋で、リリシアは顔をしかめて本棚を指差していた。彼女のいた世界では本は貴重な知の財産だったが、それらは全て羊皮紙に重厚な革表紙を施した厳かな代物だ。
対して、和希の棚に並ぶのは、テカテカと光る力バーに、リリシアよりも布面積の少ない格好をした美少女が微笑む「軽文学」の群れ。
「酷い言い草だな! これは俺の全知能と小遣いを注ぎ込んだ『聖典』なんだぞ。お前を召喚した時の術式だって、この中の一冊……『異世界召喚のすべて(資料編)』に書いてあった理論を俺なりに解釈した結果なんだからな」
和希は胸を張るが、リリシアは「信じられないわ」と吐き捨てた。
「……。私のような高貴な存在が、よりによってこんな『煩悩の百科事典』のような男に喚び出されたなんて。……。……でも、まぁ。召喚の精度だけは、万分の一くらいは認めてあげるわ。……あくまで、万分の一ですからね!」
音、とリリシアの足元にドロップが落ちる。どれほど罵ろうとも、彼女自身をこの世界に繋ぎ止めた和希の「異常なまでの情熱」を、ドロップは正直に肯定してしまっていた。
学園へ向かう道中。和希は昨夜の「嫌な予感」を拭い去れずにいた。自転車の後ろに乗ったリリシアも、心なしかいつもより背中にぴったりと身を寄せている。
「……和希。……。……何か変だわ。……街の『音』が、中心に向かって吸い込まれているような……」
伊邪那岐学園の校門をくぐった瞬間、和希もその違和感の正体に気付いた。朝の喧騒があるはずの校舎が、耳が痛くなるほどの不自然な無音に支配されていた。
「……。おはよう、二人とも。……気付いた? 今日の学校、完全に『不可』よ」
咲季が音もなく現れた。彼女の多機能携帯の録音波形は、微動だにせず水平な線を描き続けている。
「咲季、これは……?」
「……。生徒たちの声が出ないの。正確には、声を発した瞬間に、その空気の振動が、目に見えない『何か』に食べられているみたい」
和希が教室内を覗くと、生徒たちは必死に口を動かしているが、音が一切聞こえない。まるで音の無い水槽を眺めているような不気味な光景だった。
「……ギギ……。……聴こえるぞ……。……美しい『恐怖』の音が……。……絶望の鼻歌が……最高の御馳走だ……」
突如、天井のスピーカーから不気味な声が響いた。音ではなく、魔力を通じて直接脳に響き渡る邪悪な思念だ。
「……。出たわね、音を喰らう卑劣な奴! 私の声さえも届かない領域だなんて、無礼にも程があるわ! 姿を現しなさい!」
リリシアが杖を振り上げるが、その凛とした声さえも、空気に触れた瞬間に霧散して消えていった。
廊下の奥から歩み寄ってきたのは、昨夜和希の家を覗いていた「のっぺらぼうの生徒」だった。彼の顔には目も鼻もなく、巨大な「耳」が脈打っている。
「……。……(和希、こいつは厄介だわ。……音を喰うということは、魔力の振動も全てあいつの栄養になってしまうはず!)」
リリシアが念話で告げる。和希は冷や汗を流しながらも、愛好家としての知識を全開させた。
(……。音を喰らう? 振動を吸収しているなら、音じゃない方法で過負荷を与えれば……! リリシア、供給だ!!)
「……。……なっ、ななな……! こんな大勢が見ている、ここで!?」
「やるしかないんだろ! 俺の心は準備完了だ!」
「……。……仕方ないわね……、私の晩御飯が守られなくなるよりはマシよね! 感謝しなさい、この便乗変態ジャガイモ!!)」
リリシアは顔を真っ赤にしながら、和希の襟を強引に引き寄せた。
――瞬間。
無音の世界で、二人の唇が重なり合う。
和希は単なる魔力の流れではなく、自分の脳内にある膨大な「物語の設定」そのものを情熱とともにリリシアへ叩き込んだ。
(……。画像しろ、リリシア! これは音じゃない、視覚的な『情報の洪水』だ!!)
和希の記憶にある数万文字の文書情報が、リリシアの聖なる力で実体化していく。
「……!! 神聖・閃光・記録・炸裂!!」
リリシアの杖から放たれたのは、音ではなく、黄金に輝く「文字」の弾丸だった。
「聖女」「爆裂」「不潔」「供給」「飴玉」――。
二人の感情が物理|的な質量を持った言葉となり、空間を埋め尽す。
「……音!? ……なんだ……この……音のない……情報の……暴力は……!!」
振動を喰らうことで無敵を誇っていた魔族だったが、脳に直接叩き込まれる巨大な「文字」の洪水には耐えられなかった。次から次へと流れ込む黄金の文字に押し潰され、そののっぺらぼうな顔に亀裂が入る。
「……。とどめよ、和希!!」
「……ああ!! |ファイナル・ノベル・フィニッシュ!!」
最後に放たれたのは、特に巨大な**「完」の一文字。
それが魔族を貫いた瞬間、絶対的な静寂は霧散し、校舎に賑やかな「音」が戻ってきた。
――喧騒!!
「……。……あ、声が出る!」
「今の光、何!?」
生徒たちの喧騒が戻る中、和希と|リリシアは廊下で密着したままだった。
「……。…….……。……はぁ、はぁ……。……。……な……。……。……ななな、何だったの、今の……頭の中に流れ込んできた恥ずかしい設定の数々は……!!」
リリシアは真っ赤になって和希をボコボコに叩き始めた。
「……。……『聖女は実は寂しがり屋』とか、『ジャガイモのことが実は……』とか!! そんな情報を私の魔力に混ぜるなんて、最低だわ、この好色愛好家!!」
「い、いや! あれは魔族を混乱させるための虚報で……!」
「虚報にしては、情念がこもりすぎだったわ!! ……。……。……あ、あああ!! もう、飴玉が……止まらないじゃない!!」
カランカランカラン!!
「……。ふふっ。和希くん、最高の撮れ高よ。……一生の宝物にするわ」
咲季が満足そうに多機能携帯を仕舞う中、和希はふと目にした。
リリシアの杖に一瞬だけ宿った、不気味な紫色の――『偽』**という文字を。
(第10話へ続く)




