【第7話】特売日の聖戦!刺客は台所に潜んでいました!
「……なんですの、この『スーパーマアケット』という魔窟は! なぜこれほどまでに人間が密集し、殺気を放ちながら赤い札を奪い合っているの!?」
放課後のスーパー「イチキマート」。リリシアは、特売の「牛細切れ肉」を巡って熾烈な争いを繰り広げる主婦たちの圧力に圧され、和希の背中にぴったりと身を寄せていた。
その細い肩は微かに震え、手に持った「聖なる杖」――今や咲季の手によって『護身用の長尺物』という名目で許可された棒――を、武器ではなく杖として必死に支えにしている。
「リリシア、離れろって! カートが押しにくいだろ。……今日は特売日なんだよ。この『半額シール』の魔力は、魔王の呪いよりも強いんだぜ」
「……。ふん、不潔ジャガイモの分際で私に指図しないでくださいますか! 私はただ、貴方が人混みで溺れて死なないように、慈悲深い心で支えになってあげているだけですわ! ……あ、ちょっと! そこ、私が目を付けていた立派なお肉が……! カズキ、はやくあのお肉を捕獲なさいな!」
リリシアは和希の腰をポカポカと叩きながら、精肉コーナーを指差す。その瞳は、先ほどの恐怖を忘れたかのように、食いしん坊な輝きを放っていた。
「分かった分かった! ……よし、ゲットだ! リリシア、今日はこれでお肉たっぷりハンバーグだぞ」
「……。べ、別に喜んでなんていないわよ。……でも、まぁ。カズキがそこまでして献上したいと言うのなら、毒味役として一口くらいは食べてあげてあげるわ。……感謝なさい!」
カラン、カラン、とリリシアの足元から、今日も元気よく「愛のドロップ」が溢れ出す。もはや隠す気もないほどの高純度な結晶が、リノリウムの床をピンク色に彩る。
「……。和希くん、リリシアさん。いい絵が撮れたわよ。『庶民の生活に馴染もうとする没落お嬢様と、それに振り回される飼い犬』。タイトルはこれで決まりね」
背後から、レジの行列に並びながら咲季が冷ややかに告げる。彼女のスマホのカメラロールは、今日一日だけでリリシアの「デレ顔」で埋め尽くされていた。
「咲季、本当に勘弁してくれ……。……さて、買い物も終わったし、帰るか。リリシア、今日は疲れただろ? 家に帰ったら風呂に入って休んでていいぞ」
「……。……。……あ、あの……。カズキ」
スーパーの出口で、リリシアが急に足を止めた。その表情は一変し、夕陽の影に隠れた険しいものに変わっていた。
「どうした? 忘れ物か?」
「……。……いえ。何か、嫌な予感がするわ。……学園の時よりも、ずっと濃密で、冷たくて、邪悪な気配……。……まるで、大蛇に睨まれているような……」
リリシアは杖を握り直し、和希の家がある方向を鋭く睨み据えた。その瞳には、聖女としての本能が警鐘を鳴らしている。
「……。和希くん、私も感じるわ。この空気……。何かがおかしい……」
咲季もスマホを仕舞い、真剣な顔で和希を見つめた。二人のただならぬ様子に、和希の背筋に冷たいものが走る。
「……。分かった。……リリシア、……咲季、絶対に俺の側を離れるなよ」
和希の家に到着し、玄関の扉を開けた瞬間――。
そこには、朝よりもさらに濃い「漆黒の闇」が澱んでいた。
部屋の奥には、不気味に歪んだ影が揺れている。そして、台所の奥から、カチ……カチ……と、ガスコンロが勝手に点火しようとするような不気味な音が響いてきた。
「……ギギギ……。待っていたぞ、聖女よ……」
冷蔵庫の影から現れたのは、全身を影の衣で包んだ、異形の魔族だった。その姿は人間に近いが、瞳は三つあり、そのどれもが憎悪に満ちた赤い光を放っている。
「……。影の暗殺者、シャドウ・ストーカー!? 魔王軍でも選りすぐりの卑劣漢が、なぜこの世界に……!」
リリシアは杖を構えるが、その手は震えていた。昨日のトカゲ男とは格が違う。存在しているだけで、空気が凍てつくようなプレッシャーを放っているのだ。
「……。聖女よ、お前の魔力はもう底をついている。……そして、その隣にいる無能な男……。そいつを殺し、お前を魔王様の元へと連れ帰る。……それが我が使命……」
シャドウ・ストーカーが細い指を向けると、和希の影が突如として鋭い刃に変わり、彼の喉元を狙って伸びてきた。
「……あ、危ないっ!!」
リリシアが和希を突き飛ばした。刃はリリシアのセーラー服の袖をかすめ、白い肌に薄い紅い線を刻んだ。
「……リリシア!!」
「……。……っ。……。……だ、黙っていなさい、カズキ! 貴方みたいな最弱個体が、これ以上傷ついたら……私の、私の……晩御飯が作れなくなって、私が餓死してしまうわ!」
リリシアは必死に傷を隠しながら、強気な口調を崩さない。だが、その瞳には、自分よりも和希を心配する、痛々(いたいた)しいほどの想いが溢れていた。
「……ギギ、滑稽だな……。聖女が、そのような泥人形を庇うとは。……ならば、まずはその泥人形から、絶望の中で息の根を止めてやるわっ!」
シャドウ・ストーカーが大きく両手を広げ、部屋全体の影を集めて巨大な影の竜を作り出した。狭い六畳一間の空間が、漆黒の絶望に飲み込まれていく。
「……。和希くん、リリシアさん!今よ!!」
背後で静かに状況を見守っていた咲季が、鋭い声で叫んだ。
「……え!? あ、ああ!!」
「……。……。……はやくしなさい、この鈍感ジャガイモ!! 私の命……預けるわよ!!」
リリシアは叫びながら、自ら和希の胸に飛び込んだ。
そして――昨日よりも、今日の夕方よりも、さらに激しく、情熱的な「供給」が行われた。
「……んんっ……!! んぅぅ……っ!!」
二人の体から放たれる黄金の光が、部屋に満ちた影の竜を一瞬で蒸発させる。リリシアの想いが、魔力の奔流となって和希の心臓に直接叩き込まれる。
(……。……。……死なせない。死なせないわ、カズキだけは……! 私を、私という存在を、ただの女の子として扱ってくれた……この、お節介なジャガイモだけは……!!)
和希の脳裏に、リリシアの心の叫びが直接響いてきた。それは、ツンデレな言葉の裏に隠された、純粋無垢な「愛」の叫び。
――ドクン!!
和希の右腕に、眩い黄金の光を放つ紋章が浮かび上がる。それは勇者としての覚醒の証。
「……。お前の影なんて、俺たちの光で照らし尽くしてやる!! 必殺!! ルミナス・ジャッジメント・エクスプロージョン!!」
和希が黄金の拳を床に叩きつけると、太陽のような光のドームが台所を飲み込んだ。シャドウ・ストーカーは、その圧倒的な光の暴力の前に、悲鳴を上げる暇もなく消滅した。
……。……。
静寂が戻った部屋。
和希の腕の中で、リリシアはぐったりと力を抜いていた。その顔は、湯気が出そうなほど赤く、潤んだ瞳で和希を見つめている。
「……。……。……はぁ、はぁ……。……。……な、何を見ているの、この不潔変態ジャガイモ……。……。今のは、供給の際に生じた、不可抗力的な脳内通信よ……。……変な声を聞いた気がしても、全部幻聴だと思いなさい……。……忘れないと、今度こそ本当に、この世から消し炭にするわよ……」
リリシアは力なく和希の胸を叩くが、その手には一切の怒りはこもっていなかった。
カラン、カラン、カラン……。
足元には、もはや小さな山ができるほどの、巨大で甘い香りのする「愛のドロップ」が積み重なっていた。
「……。和希くん、リリシアさん。お疲れ様。……。さて、魔族も片付いたことだし、約束のハンバーグ、作ってもらいましょうか? 私、最高にいい絵が撮れて、お腹が空いちゃった」
咲季は、何事もなかったかのようにスマホをポッケに仕舞い、エプロンを立て掛けてあるフックに向かった。
「……。咲季、お前は本当に肝が据ってるな……」
「ふふっ。だって、私の幼馴染は世界で一番強い勇者様で、その隣には世界で一番チョロい聖女様がいるんですもの。……怖がる理由なんて、どこにもないわよ」
咲季のいたずらっぽい笑顔に、和希は苦笑いし、リリシアは「誰がチョロいですってー!!」と再び顔を真っ赤にして叫び散らした。
外はすっかり夜の帷が降りて、夜空には、明日の波乱を予感させる月が白く輝いていた。
(第8話へ続く)




