【第5話】|放課後の聖域奪還作戦!
「……はぁ。何なんですの、この『コブン』という呪文体系は! 『をり』だの『はべり』だの、効率が悪すぎるわ! これなら私の聖歌を三小節歌うほうが、よっぽど世界が平和になるわよ!」
一限目のテストが終わった直後、リリシアは机に突っ伏しながら悶え苦しんでいた。
和希の隣の席に強引にねじ込まれた彼女は、転校初日から全校生徒の注目の的だったが、本人はそれどころではない。慣れないシャーペンを握りしめすぎて、その白い指先は少し赤くなっていた。
「リリシア、声が大きいって! 古文は魔法じゃなくて言語なんだよ。……ほら、これ食べて元気出せよ。購買で買ってきた『焼きそばパン』だ。伊邪那岐学園の名物なんだぜ」
「……。ふん、なんですの、この不潔そうな茶色い塊は。私にこんな野蛮な配給食を食べろと? 聖女の胃袋を汚すつもりなのね! ……あむっ。……っ!? ……ん、んんんっ!?」
一口かじった瞬間、リリシアの瞳がカッと見開かれた。ソースの香ばしさと紅生姜の刺激、そしてパンの甘みが、異世界には存在しない未知のハーモニーを奏でる。
「……。こ、これ、意外と……悪くないわね。濃密なソースの味わいと炭水化物の暴力的な調和……。べ、別に美味しいなんて思っていないわよ!? ただ、エネルギー効率が良さそうだから、慈悲深い私が残さず平らげてあげているだけだよ! 貴方がどうしても食べてほしいって顔をしていたし!」
リリシアは頬をリスのように膨らませ、必死にモグモグと焼きそばパンを口にする。その足元には、満足感が溢れ出したかのように、今日一番の輝きを放つピンク色の「愛のドロップ」がカランと転がった。
「……リリシア、ドロップ、めちゃくちゃ光ってるぞ。本当に素直じゃないな……。それ、愛の結晶なんだろ?」
「うるさいわよ! これは、あまりの味の濃さに私の味覚が防衛反応を起こした結果よ! それよりカズキ、放課後のこと、忘れてないわよね!? あの野蛮な門番に奪われた、私の『聖なる杖』を奪還する作戦よ!」
「ああ。生活指導室だな。……正直、魔王の城に忍び込むより、大蔵先生に見つかるほうが怖いんだけど……。あの先生、説教が始まると三時間は帰してくれないんだぜ」
「情けないわね、不潔ジャガイモ! 主である私のために、命の一つや二つ、捨てる覚悟で付いてきなさい! ……あ、でも、本気で死なれると私が困るから、一応私の陰に隠れていてもいいわよ!」
「誰がしもべだ!……」
放課後。オレンジ色の夕陽が長い影を廊下に落とす頃、二人は人影の絶えた校舎を、抜き足差し足で進んでいた。
背後からは、いつの間にか「暗視モード」を搭載した最新のスマホを構えた咲季が、無言のプレッシャーとともに追随している。
「咲季本当にずっと撮ってるな……。これ、見つかったら全員停学どころか、俺の社会的地位が消滅するぞ」
「いいじゃない。勇者と聖女の忍び込み捜査、バズりそうだし。……っていうか、和希くんが怯えてリリシアさんの後ろに隠れてるシーン、最高に情けなくて『いいね』が伸びそうね。ほら、指導室の前に着いたわよ」
指導室のドアは、まるで行く手を阻むダンジョンの最深部のように固く閉ざされていた。リリシアが扉に耳を当て、中の気配を探る。その真剣な横顔は、夕陽に照らされて神々しいほどに美しい。
「……。中には強大な魔の気配を感じるわ……。おそらく、あの門番が私の杖から魔力を吸い取り、邪悪な儀式に利用しているに違いないわ! あるいは、この学園そのものを魔の巣窟に変えようとしているのかも……!」
「いや、リリシア。中からはただ、先生がズズズ……ってお茶を啜る音と、新聞をめくる音しか聞こえないんだけど……。邪悪な儀式ってお茶汲みのことか?」
「いいから、カズキ! 貴方が囮になって突入しなさい! 『先生、俺に古文の活用を教えてください!』とか何でもいいから叫んで注意を引くのよ! その隙に私が聖域から宝を取り戻すわ!」
「ええっ、俺だけ!? せめてリリシアも一緒に突っ込んでくれよ、一応聖女なんだし!」
「……。あ、あの……。……べ、別に、貴方を完全に見捨てるわけではないわよ? ただ、貴方なら……ほら、生命力だけは無駄に高そうだし、不潔ジャガイモは少しぐらい踏まれても平気でしょう? 私が救ってあげるまでの間くらい、歯を食いしばって耐えられると思っただけだわ!」
リリシアは慌てて言い直し、和希の学ランの袖をぎゅっと、震える手で掴んだ。
「……。もし、本気で、その……命に関わるようなことになったら、私がまた『エネルギー供給』をしてあげなくもありませんわ。貴方に死なれると、私の晩御飯を作る人がいなくなって困るもの! だから、しっかり働きなさい。鈍感ジャガイモ!」
リリシアの顔が、夕陽よりも赤く、熟したリンゴのように染まる。その瞬間、和希のポケットの中でドロップが激しく振動し、パチパチと音を立てて弾けた。
「……よし、分かったよ! リリシアがそこまで言うなら、俺が先生を引き付ける! ……行くぞ、突撃だ!」
和希が意を決してドアのノブに手をかけた、その瞬間だった。
バタン! と勢いよく中からドアが開き、大蔵先生が仏頂面で姿を現した。
「……神代! 貴様ら、こんな時間まで残って、指導室の前で何をゴソゴソと密談している!」
「ひぃっ!? で、出たーっ! 魔王の化身、大蔵デーモン!」
「誰がデーモンだ! ……ちょうどいい、神代。あの没収した怪しい黄金の棒だがな……」
大蔵先生の手には、リリシアの黄金の杖が握られていた。しかし、その杖は異様な熱を持ち、どす黒い波動を放ち始めていた。鏡から漏れ出た魔族の魔力が、主を失った聖具を汚染していたのだ。
「カズキ、離れなさい! 杖に昨日の魔族の残滓が憑いているわ! このままでは、あの門番ごと学園が闇に飲まれて、全員がトカゲ人間に変わってしまうわよ!」
リリシアの悲鳴のような叫びと同時に、杖から伸びた黒い触手が大蔵先生の腕に絡み付こうとする。
「……なんだ!? この棒、静電気か!? いや、感電しているのか!? ビリビリするぞ、神代、お前これに改造でも施したのか!」
「先生、それを捨てて! 死にますよ! リリシア、供給だ! 今すぐ、昨日より濃厚なやつをくれ! 出し惜しみしてる場合じゃない!」
和希が叫ぶと同時に、リリシアは迷わず和希に飛び付き、その襟元を強引に引き寄せた。
「……。わ、分かってるわ! これは学園の平和と、あの門番の命を救うため! 決して、決して私がこの不潔ジャガイモと接触したくてするわけじゃないからね!! 後で百回死なせてあげるわよ!!」
夕暮れの指導室前。咲季のカメラが完璧なズームで捉える中、二人の影が重なり、廊下を眩い黄金の光が包み込んだ。
勇者と聖女の、文字通り命懸けの「救世接吻」が、再び次元の壁を越えて炸裂しようとしていた。
(第6話へ続く)




