月光が照らす神代家の庭は、刹那にして殺気渦巻く戦場へと変貌した。魔杖の先から滴るような黒い魔力が芝生を焦がし、甘い空気を腐敗させる。
「ベルリナ……どうして、貴方が魔王の側に……! 私たち、二人で誓ったはずでしょう? 世界の平和を守り、人々が平和に暮らせる未来を作るのだと!」
リリシアの叫びは、夜風に乗って虚しく響いた。ベルリナは冷笑を浮かべたまま、細い指で魔杖を操る。その所作に、実の姉であるリリシアへの慈しみは、もはや欠片も残されていなかった。
「平和? 未来? ……あはは、何を寝言を言っているの、お姉様。私たちが生きてきた過酷な世界において、それはただの弱者の戯言。強者こそが正義。魔王様の元でこそ、私たちは真の価値を得られるのよ」
ベルリナの瞳の奥に宿る漆黒の魔紋が、妖しく明滅する。その光景に、ステラは無表情な分析を口にした。
「……演算結果。対象の魔力波動は極めて異常。精神の中枢が魔王による強制介入を受けていると推測されます。…… ベルリナと呼ばれる個体は、既に魔王の操り人形と化しています」
「そんな……」
リリシアは拳を震わせる。隣では咲季が、妖艶な笑みを消し、鋭い眼差しでベルリナを見据えていた。
「和希くん、準備はいい? あれはただの妹じゃない。魔王の分身だわ。生半可な愛で挑めば、私たち全員、魔の深淵に吞まれる」
「わかってる」
和希は「光のペン」を握り締めた。街の修復に使ったペンは、今和希の意志に呼応して黄金色の火花を散らしている。
「ベルリナ! 私は貴方と戦いたくない。だけど、皆の大切な日常を、貴方の手には渡さない!」
リリシアが庭へと飛び出す。聖女の光と、ベルリナの放つ魔弾が激しく衝突し、衝撃波が夜の静寂を粉砕した。
「……あはは! 綺麗ねぇ、お姉様の光は。でも、そんな温い光で、魔界の絶望を照らせるのかしら!」
ベルリナは魔杖を空に突き上げた。すると、彼女の影から数多の魔物が這い出し、神代家の屋根へと駆け上がる。戦いは一瞬にして神代家全体を巻き込む大乱戦へと拡大した。
「ステラ!咲季! 左右からの迎撃を! リリシア、正面は俺が抑える!」
「……了解。目標を排除します。私の回路、全出力で解放」
ステラが手を翳すと、無機質な空間転移術が発動。襲い掛かる魔物たちを異次元へと追い払う。咲季は妖艶に舞い踊り、魔物たちを甘い魅了の香りで混乱へと陥れた。
一方、和希はペンを走らせる度に、家に書き足される「防御の言霊」で防壁を構築。壊されては描き、防いでは上書きする。オタクの想像力と、ペンによる現実改変能力が極限まで試される。
「カズキ! ベルリナの本命は、貴方の手にあるそのペンよ! 彼女の魔杖には、次元そのものを削る呪いが籠もっている。ペンを守って!」
リリシアの叫びと同時に、ベルリナが縮地の如き速度で和希の眼前へ飛び込んだ。漆黒の鎌を思わせる魔杖が、和希の喉元を狙う。
「……頂くわ。その、理をも作り変える傲慢な古代魔法の力をね!」
「させない……っ!」
和希は間一髪、足下の床にペンを叩き込み、「弾性結界」を展開。ベルリナの猛攻を弾き返すが、その反動で咲季とステラが弾き飛ばされる。
「あはは! やっぱり和希くんは、お姉様を守るためなら、自分の仲間すらも壊しちゃうんだねぇ! 歪、歪だよ!」
ベルリナの嘲笑が痛い。自分が守ろうとしているのは、真の平和なのか、それとも彼女たちとの甘い生活を維持したいという、独占欲なのか。
迷いが、ペンの線を微かに鈍らせる。
「カズキ! 迷っちゃダメ! 私たちは、大丈夫。貴方が作ってくれたこの日常で、真の愛を学んだの。……貴方の手が震えるのは、皆への優しさのせいでしょう? でも、今日だけは、その優しさをベルリナを救うために使って!」
リリシアの言葉に、和希は強く唇を噛み締めた。そうだ、ベルリナを倒す必要なんてない。魔王の呪いを、このペンで「修正」すればいいんだ。
「ステラ! ベルリナの魔力回路を特定しろ! 咲季、俺の背中を守って!」
「了解! 私の魅力で、その妹ちゃんを足止めしてあげる!」
咲季が妖しく光放つ蝶の群れを召喚し、ベルリナの視界を遮る。ステラが空に映し出した複雑な魔力の幾何学模様。和希はそれら全てを瞳に焼き付け、ペンを振り抜く。
「対象――魔王の呪い、除外・再設定!」
空に描かれたのは、複雑な解法の術式。ベルリナの周囲に幾千もの光の粒子が集まり、彼女を包み込む。漆黒の魔紋が剥がれ、ベルリナの瞳に宿っていた濁りが薄れていく。
「……ッ!? 何を、私に……っ! 頭が、焼けるように……!」
ベルリナが悲鳴を上げ、魔杖を落とす。彼女を縛り付けていた魔王の支配が、和希の「修正」の力によって、強引に断ち切られたのだ。
「ベルリナ!」
リリシアが崩れ落ちる妹を抱き止める。ベルリナの瞳は元の透き通った青に戻り、呆然とした表情でリリシアを見上げた。
「……お姉様? 私……魔王に捕まって......何を……」
「もう大丈夫。帰ってきたのね、ベルリナ!」
リリシアが涙を流して抱き締める。その姿を、和希たちは安堵の表情で見守った。しかし、頭上の空が突如として紫色に反転する。空の果てから、巨大な魔王の瞳が覗き込んでいた。
「……修正、完遂確認。排除シークエンス、開始」
ステラの冷静な報告が、凍てつく戦場に響く。ベルリナの呪いを解いたことで、魔王は本格的にこの神代和希を標的と定めたらしい。
「ベルリナを助けたのはいいけど、魔王本人の逆鱗に触れちゃったみたいね。……和希くん、次はもっと大きなミラクルが必要みたいね!?」
咲季が苦笑しながらも鋭く構える。和希はペンを持つ右手に強く力を込めた。守り抜くべきものが、増えた。その事実が、彼の内側に眠る真の力を、更なる高みへと誘う。
(第30話へ続く)