【第25話】選択を超える意志と特異点の覚醒
轟鳴が響き、視界が白濁する。
伊邪那岐学園の校舎が、端から粒子へと分解され、虚空へと吸い込まれていく。窓の外に広がっていた夕暮れの街は、画素列の乱れのような幾何学模様に取って代わられていた。
「……。……状況進行。世界の容量を確保するため、未確定な領域を順次抹消します。……。……神代和希、猶予は残り300秒です」
ステラの淡々とした声が、崩壊する図書室に響く。彼女の周囲だけは、絶対の静寂に守られた聖域のように凪いでいた。
「……。……ふざけるな……! ……。選べるわけがないだろう、そんなもの!!」
和希は叫び、足元から崩れ落ちる床を蹴って、透明な壁――FIREWALLの向こう側にいる二人へと手を伸ばした。
右側には、祈りを捧げるように胸元で手を組み、震える瞳で自分を見つめるリリシア。
左側には、牙を剥き出し、必死に桃色の魔力で次元の侵食を食い止めようとする咲季。
「……。……和希くん、私のことはいいわ! ……。リリシアを助けなさい! ……。彼女は貴方が呼んだのよ、貴方が責任を持つべきなのよ!!」
咲季の悲痛な叫びが和希の胸を貫く。彼女は自分の恋心を犠牲にしてまでも、和希に「正解」を選ばせようとしていた。
「……。……いいえ、……カズキ。……。私は元より存在しないはずの異物。……。貴方が歩むべき未来は、この世界で貴方と共に過ごしてきた咲季さんの傍にあるわ!!」
リリシアの瞳から大粒の涙が溢れ落ちる。互いを思い遣る二人の心が、逆に和希を追い詰めていく。
「……。……残り180秒。……。未だ決断は下されませんか。……。全てを救おうとする傲慢が、最悪の結末――BADENDINGを招きます」
ステラの機械的な警告。
(……。……クソッ、……何が容量だ。……。……何が設定だ!!)
和希の脳内に、これまでの激闘が走馬灯のように駆け巡る。リリシアを召喚したあの日、屋上での誓い、供給の温もり、咲季と過ごしてきた絆。
その全てが、一つの結論へと収束していく。
「……。……ステラ。……。お前はさっき、全てを救うのは不合理だって言ったな」
和希は俯いたまま、静かに言葉を紡ぎ始めた。その周囲で、不気味な黄金の粒子が渦を巻き始める。
「……。……肯定します。世界のリソースは有限です」
「……。……なら、……足りないリソースは、……俺が書き足してやるよ!!」
和希が顔を上げた。その瞳には、リリシアの黄金でも、咲季の桃色でもない、漆黒を内包した極彩色の輝きが宿っていた。
和希の手に、実体を持たない光のペンが出現する。それは朱鷺が持っていた万年筆に似ていたが、より根源的な輝きを放っていた。
「権能解放――『神代の追記』!!」
和希は空に向かって、縦横無尽に光の軌跡を描いた。それは文字であり、絵であり、祈りそのものだった。
「……。……エラー。エラー。……。神代和希の魔力波形が変貌。……。観測不能なコードが書き込まれています!!」
ステラの無機質な声が初めて震えた。彼女が展開していた幾何学模様のウィンドウが、和希が放つ圧倒的な情報量に耐え切れず、次々と爆砕していく。
「……。……リリシア! ……咲季! ……俺に力を!! ……。二人の境界なんて壊してやる!!」
和希が光のペンを突き立てると、二人を隔てていた透明な壁が硝子のように砕け散った。和希は両腕を伸ばし、左にリリシア、右に咲季を力強く抱き寄せた。
「……。……あ......っ……」
「……。カズキ!……和希くん!!……」
和希の腕の中でリリシアの唇が重なり、咲季の牙が妖艶に首元を甘く噛む。
三人の魔力が、物理的な接触を超えた次元で融解する。リリシアの純潔な祈りと、咲季の情熱的な欲望、そして和希の全てを肯定する意志。
「三重供給――GENESIS・OVERWRITE!!」
図書室から溢れ出した光が、崩壊しつつあった校舎を包み込み、逆再生のように修復していく。粒子となって消えかかっていた街の灯火が、より鮮やかな色彩を持って再構成されていく。
「……。……不可能です。……。物語の総量を……自力で拡張するなど……」
ステラは崩れ落ち、信じがたいものを見る瞳で和希を仰ぎ見た。彼女の背後のインターフェースは全て消失し、ただの一人の少女としてそこにいた。
光が収束し、静寂が戻る。
図書室は、何も無かったかのように元の姿を保っていた。窓の外には、一番星が静かに輝いている。
「……。……。……はぁ、……はぁ、……。……。……終わった……のか?」
和希は荒い息をつきながら、腕の中の二人の感触を確かめた。二人とも気絶しているようだが、その表情は穏やかだ。
「……。……神代和希。……。貴方は……既存の物語には存在しない……『真なる主人公』なのですね」
ステラがふらつきながら立ち上がり、和希の前に歩み寄った。
「……。……俺は……ただ、二人を失いたくなかっただけだ」
「……。……その稚拙な動機が、……世界を再構築しました。……。……私の負けです。……。……監視対象から、……『共犯者』へと変更します」
ステラはそう呟くと、糸が切れた人形のように、その場に倒れ込みそうになった。和希は咄嗟に彼女を受け止めた。
「……。……おい、しっかりしろ!!」
「……。……データ……過負荷……。……しばらく……スリープ……モードに……」
ステラの目が閉じられ、完全な沈黙が訪れる。
和希は、気絶した三人の美少女に囲まれ、途方に暮れた。
「……。……マジかよ。……。……これ、どうやって連れて帰ればいいんだ……?」
図書室の隅で、朱鷺が残した黒いインクの染みが、和希が放った黄金の光に焼かれて消滅していく。だが、世界の容量が増大したことは、さらなる強力な「外敵」を呼び寄せる呼び水になることを、今の和希はまだ知らない。
夜の校舎に、静かな寝息が三つ、重なり合う。
神代和希の物語は、運命を書き換える力を得たことで、誰も見たことのない未知の領域――UNKNOWNへと足を踏み入れた。
(第26話へ続く)




