【第2話】ジャガイモ勇者の憂鬱な朝
翌朝、神代和希は、顔面に浴びせられた冷たい衝撃で目を覚ました。
「ぶふっ!? な、なんだ、敵の急襲か!? 結界を張れ! 迎撃用意!」
慌てて跳ね起きた和希の視界に入ってきたのは、向かいの窓から水鉄砲を構える幼馴染の姿だった。
「おはよう和希くん。おばさんに頼まれてたから起こしてあげたよ。さっさと準備しないと遅刻よ。……あと、その寝言は何? 迎撃って何と戦ってるの?」
瀬戸際咲季は、事も無げに言い放つと、手慣れた様子で巨大な加圧式水鉄砲を片づけた。
「俺の中の勇者の勘が働いて、危うく反撃するところだったぞ。」
「はいはい。その『勇者の勘』でテストの答えも導き出せるといいわね。……って、和希くん、その子だれ?」
咲季の視線が、和希のベッドの脇で丸まって寝ている「何か」に固定された。
和希が凍り付いた。そこには、純白の法衣に身を包んだ銀髪の美少女――リリシアが、無防備な寝顔を晒していたのだ。
「あ、いや、これは、その……昨日言った聖女様で……召喚したんだ、本当に!」
「……等身大フィギュアかと思ったけど、動いてるわね。人間? まさか、和希くん……ついに一線を越えて誘拐?」
咲季の瞳から光が消え、スマホを取り出して手際よく「110」と打ち込もうとする。
「待って待て待て! 通報だけはやめてくれ! 彼女は異世界から落ちてきたんだって!」
和希が必死に弁明しようとした、その時だった。
「……ん、五月蝿いわね……。私の睡眠を妨げるのはどこのどいつかしら……ひゃんっ!?」
むくりと起き上がったリリシアは、窓の外にいるサキと目が合った瞬間、絶叫して和希の背中に隠れた。
「か、カズキ! あそこにいるのは魔王の刺客ですの!? 殺気……いいえ、凄まじい『哀れみの視線』を感じますわ! 私の魂が、あの女の目を見るだけで削られていくようだわ……!」
「刺客じゃないよ、昨日も見ただろ幼馴染の咲季だよ。……ほら、足元を見ろよ、リリシア」
カラン、と乾いた音を立てて、和希の足元に新しいピンク色の結晶が転がった。
「ああっ! また『愛のドロップ』ですわ! なんて素晴らしい純度……。この子、生きているだけで次元エネルギーを生成する歩く発電所ね! 不潔ジャガイモとは大違いだわ!」
リリシアは先ほどの怯えを忘れ、瞳をキラキラと輝かせてドロップを拾い上げる。その姿は聖女というより、小銭を拾った子供のようだった。
咲季は深いため息をつき、窓から身を乗り出して、哀れみたっぷりにリリシアを凝視した。
「いい、銀髪のコスプレさん。和希くんに騙されてこんなところにいるなら、すぐ警察に相談しなさい。」
「コ、コスプレ!? 失礼な! これでも私は、アルカディアで神の代行者と崇められた、正真正銘の聖女なのよ! ほら、見なさい、この杖を! 本来ならこれ一振りで山が吹き飛ぶのよ!」
リリシアが黄金の杖を誇らしげに振りかざす。しかし、魔力が皆無なこの世界では、ただの成金趣味の派手な棒にしか見えない。
「あら、素敵な装飾ね。……でも、そんな格好で外を出歩いたら一発で補導よ。着替えなさい、私の服を着せてあげるから。その汚れた白いカーテンみたいな服は洗濯してあげるわ!」
「カーテン!? これは最高級の精霊布で編み上げられた儀礼服なのよ!」
「すぐにそっちに行くから待ってなさい。」
「なんですの、その上から目線は!……」
ドカドカ……ガチャ!
「和希は部屋から出て行って!」
「ひゃっ、ちょっと、いきなり脱がそうとしないでくださ……ああっ!」
咲季は有無を言わせぬ手際でリリシアの身包みを剥ぎとり(※同性による強制的な身だしなみチェック)、自分の学校の予備の制服を無造作に着せ始めた。
和希は、その阿鼻叫喚の着せ替えショー(※女子限定)の熱気に気圧されながら、ドアの外で鼻の下を伸ばして呟いた。
ドアが開くと……そこには……セーラー服の聖女様。
「これだ!、これこそが俺の求めていた『日常と非日常のクロスオーバー』……! 咲季、君は天才か!」
「和希くん、何ニヤニヤしてるの。不潔。今すぐ目を潰されたいの?」
「死にたいのかしら、不潔ジャガイモ!」
二人の少女から同時に罵られ、和希の足元にさらに2つのドロップが転がった。もはや和希にとって、罵声はエネルギー源でしかない。
結局、リリシアは「和希の親戚で海外から来た留学生」という、あまりにもありふれた強引な設定で、咲季の厳重な監視下に置かれることになった。
「いい、和希くん。この子のことは私が面倒を見るわ。和希くんだけに任せたら、絶対に変なこと教え込もうとするもの。昨日みたいにポーズの練習とか」
「ええ……俺の召喚した聖女様なのに……。俺の日常がどんどん乗っ取られていく……」
「誰がいつあなたの聖女だと言いました!? カズキ、貴方は私にエネルギーを供給するだけの、歩くモバイルバッテリー兼下僕でしょう!」
和希は肩を落としながら、重い足取りで教科書をカバンに詰めた。
しかし、平和な朝の風景はそこまでだった。
突如、和希の部屋の古ぼけた姿見が、どす黒い霧に覆われ、嫌な音を立てて震え始めた。
「な、なんだ!? 地震か!? それとも咲季の怒りか!?」
「バカズキ、ぼさっとしないで! 召喚の儀式で開いた穴を通って、魔族が追って来たんだわ!」
リリシアが叫びながら和希の腕を掴む。鏡から伸びてきた異形の爪が、部屋の壁を鋭く切り裂いた。
「……ちょっと和希くん。これ、何のドッキリ? 特撮の撮影でも始まったの?」
咲季は信じられないものを見る目で、鏡から這い出そうとする異形を見つめている。しかし、その手はしっかりスマホのカメラを向けていた。
「ドッキリじゃない! 本物の魔物だ! リリシア、戦えないのか!?」
「魔力が空っぽなのよ! 今の私は、ただの『異様に顔が可愛い、セーラー服の美少女』でしかないわ!」
「そんなこと言ってる場合かよ!」
「……くっ、やるしかありませんわね!」
リリシアが覚悟を決めたように和希の襟元を強く引き寄せる。
「……え、リリシア、まさか……」
「そうよ! エネルギー供給の儀式よ! 今すぐ私に濃厚な……細胞レベルで魂を震わせる、あの不潔極まりない作業を……!」
リリシアは顔を真っ赤にして目を潤ませ、咲季は無言でスマホのズーム機能を最大限に活用した。
「現行犯よ!もう言い逃れは出来ないわ!」
「ちょっと、咲季! 撮るなよ! リリシアも、咲季の前でそれは……!」
「黙りなさい、この不潔ジャガイモ! 消滅したくないなら、さっさと私の唇を奪いなさいよ!!」
「和希くん……もし今から破廉恥なことをするなら、録画データを学園の掲示板にアップした上で、貴方を社会的に抹殺するわよ!」
「……詰んだ。俺の勇者人生、始まって数時間で、完全に詰んだ……!」
魔族の咆哮と、聖女の怒号、そして幼馴染の冷徹な録画開始音が、朝の住宅街に虚しく、そして賑やかに響き渡った。
(第3話へ続く)




