【第14話】聖女と初めての贈り物
「……。……。……遅いわ! ……。…………私を15分も待たせるなんて、万死に値するわ!」
駅前の噴水広場。待ち合わせの象徴ともいえるその場所で、リリシアの声が響き渡った。
彼女は、異世界から転移してきた当初の厳そかな法衣を脱ぎ捨てていた。今回も、咲季に半ば強引に着せ替え人形扱いされて、淡い水色のワンピースに身を包んだ一人の少女である。
その姿は、どこからどう見ても、この世界の可愛らしい女子高生そのものだった。清潔感のある白のサンダル、風に揺れる軽やかな裾、そして普段は結い上げている銀髪を今日はハーフアップにして、細いリボンで留めている。
通り過ぎる人々が思わず足を止め、一瞬だけ時が止まったかのような錯覚を覚えるほどの美貌。しかし、その「絶世の美少女」の口から飛び出すのは、相変わらずの苛烈な言葉の散弾銃だった。
和希は、駅から全力で走ってきたのか、肩で激しく息をしながら、必死に頭を下げた。心臓がバクバクと音を立てているのは、全力走のせいだけではない。
目の前に立つリリシアがあまりにも眩しく、直視するのが憚られるほどだったからだ。
「……。……。……悪い、リリシア! ……。……。……準備に気合が入りすぎて、忘れ物がないか三回も確認してたら……。……。……でも、その格好、……すごく似合ってるぞ」
和希が顔を上げ、まっすぐに彼女の目を見て、心の底からの本音を告げた瞬間、リリシアの怒りのボルテージが別の方向へ跳ね上がった。
「……。……。……っ、なっ……!? ……。……。……ふん、当然でしょう! …… 。この私が着れば、どんなボロ布でも聖なる衣装に変わるのよ! 貴方のような|ジャガイモに褒められるまでもなく、世界がこの美しさに平伏している最中だわ!」
リリシアは頬を林檎のように赤くして、照れ隠しをするように和希の腕を強引に引っ張った。
ベルリナとの戦いの翌日――死線を潜り抜け、心身ともに疲弊していた彼女を見て、和希が提案した「リフレッシュ」。
それは、過酷な運命を背負わされた彼女に、この平和な世界を少しでも享受してほしいという、和希なりの祈りでもあった。二人の、初めての「デート」がこうして幕を開けた。
最初に訪れたのは、駅ビルの中にある、地元でも評判のおしゃれなイタリアンレストランだった。
落ち着いたジャズが流れ、テラコッタの床が温かみを醸し出す店内。入り口で名前を書く際、リリシアは「なぜ私の名をこの紙切れに記さねばならないの?」と首を傾げていたが、席に案内されると、運ばれてくる料理の香りにすぐに毒気を抜かれたようだった。
「……。……。……こ、これが、この世界の『ピッツァ』というものなのね。…………生地がモチモチしていて、チーズがまるで天国の雲のようだわ……! 蜂蜜をかけるなんて、この世界の人達|はなんて贅沢な背徳を犯しているのかしら!」
リリシアは、口いっぱいにピザを頬張り、幸せそうに目を細めた。
聖女として元の世界で食べていた、儀礼的で冷めた豪華絢爛な供物よりも、目の前で焼かれたこのジャンクで温かい食べ物の方が、今の彼女には何倍も輝いて見えた。
「……。……。……っは!? い、今のはなしよ! 私はあくまで、異世界の食文化が魔力に与える影響を調査しているだけよ! 決して、この『クワトロ・フォルマッジ』という名呪文に屈したわけではないわ!」
必死に尊大さを取り繕おうとするが、感情は嘘をつけない。
彼女の足元からは、心地よい感情の証である、オレンジ色のドロップがカラン、カランと零れ落ちた。和希はそれを直ぐに拾い、大切そうにポケットへ仕舞った。
「……。……喜んでもらえてよかった。……。……。……午後からは、もっと凄いところへ連れて行くからな。リリシアの相像を超えてみせるよ」
食事を終えた二人が向かったのは、市内にある遊園地『ルナ・パラダイス』だった。
巨大な観覧車が空を仰ぎ、子供たちの歓声と甘いポップコーンの香りが漂う異空間。リリシアは最初こそ「子供騙しの庭園ね。私のいた神殿の回廊の方がよほど広いわ」と余裕を見せていたが、目の前にそびえ立つ鋼鉄の巨獣――最大落差七十メートルの絶叫マシンを前にして、顔を引きつらせた。
「……。……。……あ、ああああ!! ……。……。止めなさい! 降ろしなさい! 聖女をこんな非人道的に高速で振り回すなんて、不敬ですわぁぁぁ!!」
絶叫マシンに揺られ、リリシアの魂が口から飛び出しそうになる。最高時速百二十キロ。重力に逆らい、垂直に落下するコースターの上で、リリシアの絶叫が空に溶ける。
かつて戦場で風の魔法を自在に操り、天空を駆けた彼女も、科学の力で無理やり振り回される感覚には抗えなかったようだ。
しかし、地上に降りた後の彼女の顔には、隠しきれない興奮が浮かんでいた。
「……。……。……もう一回、……もう一回だけ、乗ってあげてもいいわよ? 今のは、重力加速度の計算をミスしただけよ。次は完璧に乗りこなしてみせるわ」
「……。……強情だな。……。……。でも、そう言うと思ってたよ」
二人は、日が暮れるまで遊園地を満喫した。
メリーゴーランドで優雅に手を振り、観覧車から街の明かりを眺める。和希は隣に座る彼女の横顔を見ていた。夕日に照らされたリリシアは、どこか遠くを見つめているようで、その瞳には一抹の寂しさが宿っているように見えた。
帰り際、駅へと続く並木道を歩いていると、リリシアが宝石店のショーウィンドーの前で足を止めた。
そこには、小さな一粒のクリスタルが光る、繊細なデザインのネックレスが飾られていた。
「……。……向こうの星は、もっと青白く鋭い光を放っていたけれど。この石の温かい輝きも、悪くないわね」
「……。……。……綺麗。……。……。……この輝き、どこか私の元の世界の星に似ているわ」
リリシアは、ほんの数秒だけ、寂しげで、それでいて欲しそうな視線をそのネックレスに送り、すぐに背を向けた。
その数秒に込められた彼女の「望郷」の念が、和希の胸を強く締め付けた。彼女はこの世界を楽しみながらも、決して消えることのない喪失感を抱え続けているのだ。
「…….…….……さあ、行きましょう。…….……これ以上|ジャガイモに|お金を使わせるわけにはいかないもの」
和希は、その横顔を静かに見つめていた。
「…….…….……あ、リリシア! …….…….……ちょっと待っててくれ。…….…….……忘れ物をしたんだ!」
「…….……えっ? …….……ちょ、ちょっと、カズキ!?」
リリシアの制止を振り切り、和希は宝石店へと駆け込んだ。
店内に飛び込み、迷うことなく先ほどのネックレスを指差す。手持ちの予算は、バイト代の残り。決して安い買い物ではなかったが、今の和希にとって、あの寂しげなリリシアの瞳を輝かせること以上に価値のあるお金の使い道など、この世界のどこにも存在しなかった。
数分後、息を切らせて戻ってきた彼の手には、小さなラッピングされた箱が握られていた。
和希は、リリシアの前で立ち止まり、少し照れながらその箱を差し出した。
「…….…….……ほら。…….…….……今日の記念だ。受け取ってくれ」
「…….…….……これって…….…….……え? …….…….……まさか、さっきの……? 貴方、正気なの? 自分の生活費を削ってまで、こんな……」
リリシアが震える手で箱を開けると、そこには先ほど彼女が見つめていたネックレスが収まっていた。
夕闇の街角で、小さなクリスタルが街灯の光を拾って、星のように瞬いている。
「…….…….……勝手に買うなんて、本当に、……本当にデリカシーのないジャガイモね……!!」
リリシアはそう毒を吐きながらも、瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。その涙は、悲しみではなく、この不器用な少年の真情に触れたことへの、震えるような喜びだった。
「…….…….……着けてやろうか?」
「…….…….……一回だけ、……一回だけ許してあげるわ。感謝なさい、聖女の体に触れるなど、本来なら七代先まで報いをうける罪なのですから」
和希は、緊張で指を震わせながら、彼女の白い首筋にネックレスを掛けた。
細い金属の感触、指先が触れそうなほど近い彼女の肌。冷たいはずのクリスタルが、リリシアの体温で温かく感じられた。
「…….…….……似合ってるよ、リリシア。この世界で一番だ」
「…….…….……ありがとう、……カズキ。この輝きがあれば、私は……」
その瞬間、彼女の足元から、これまで見たこともないほど大きくて、透き通った黄金色のドロップが生まれた。
それは、ただの羞恥心でも、感謝でもない。
二人の魂が、世界の壁を越えて深く結び付いた瞬間にのみ生まれる、真の「福音」の輝き。
和希はその黄金の雫を手に取り、リリシアと目を合わせた。
彼女の首元で揺れるクリスタルと、足元の黄金の輝き。その二つの光が、二人の行く末を静かに、だが力強く照らしていた。
(第15話へ続く)




