【第13話】忘却の鞄と愛のドロップ
「……。もう限界だわ。和希、なんとかしなさい!」
和希の自室は、もはや居住空間としての機能を喪失しつつあった。床を埋め尽しているのは、色とりどりの愛のドロップだ。リリシアが感情を動かすたびに自動で生成されるそれは、ここ数日の騒動のせいで、文字通り溢れていた。
「……。分かってるって。でも、捨てるわけにもいかないだろ。これ、お前のが帰るために必要なエネルギーの結晶なんだろう」
和希は、足の踏み場を確保するために段箱に詰めていたが、それも既に10箱を超えている。一粒一粒が宝石のように輝くそれは、放置すればこの部屋を物理的に崩壊させかねない勢いだ。
「……。……。……。……あ、あああ!! また出現しましたわ!!」
カランカランカラン!!
和希が不用意に彼女の手に触れた瞬間、照れ隠しの黄金色のドロップが追加された。
「……。この調子じゃ|そのうち家が埋まるぞ」
「……。貴方が不意に触れるのが悪いのよ、この無自覚ジャガイモ!!」
そんな騒がしい日常を切り裂いたのは、窓から飛び込んできた一条の閃光だった。
「……!! 伏せろ、リリシア!!」
和希が彼女を抱き寄せ、床の飴玉の海に身を隠す。直後、壁を粉砕して現れたのは、奇妙な鉄の仮面を被った、影のような暗殺者だった。
「……。……。……見つけたぞ、亡命聖女。……。……その首、魔王様の命で持ち帰らせてもらう」
仮面の男が、何もない空間へ「手」を突き入れる。そこには目に見えない裂け目――異次元倉庫、即ち『空間収納』が存在していた。
「……。……。……なっ、あれは……!!」
リリシアが目を見開いた。男がそこから取り出したのは、見覚えのある白銀の短剣だった。
「……。……。聖職者専用の対魔防衛武装……!? ……。何故、貴方がそれを持っているのよ! それは私が、向こうの世界に置いてきてしまったはずの……!」
「……。……。貴様が放り出した『鞄』は、今や我ら処刑部隊の備品よ!。……。……身を護るための道具で殺される気分はどうだ?」
男は次々と空間から投擲用の銀針や、神聖なる魔石を取り出し、和希の部屋を戦場へと変えていく。
リリシアは新しい杖――『聖杖・リリシア・弐式』を構えるが、元は自分の持ち物であった武装の特性を知り尽しているがゆえに、防戦一方に追い込まれた。
「……。……。……くっ! ……。……私の愛用品を、あんな汚らわしい方法で使うなんて……!!」
「……。……。リリシア、あいつの手元を見ろ! ……。あの空間の裂け目、お前の魔力に反応して揺れてるぞ!!」
和希は積まれた段ボール箱の山に隠れながら、考えていた。勇者としての直感が告げている。あの『空間収納』の所有権は、まだリリシアにあるのだと。
「……。……。……リリシア、いつもより濃くて濃厚な最大の供給だ!! ……。あいつの裂け目に、お前の『感情』を叩き込んで、認証を破壊らせろ!!」
「……。……。なっ……ななな、何を言っていますの!? ……。……こんな殺し合いの最中に、そんな恥ずかしい……!!」
「……。……。四の五の言うな! ……。お前の鞄なんだろ、取り返したいだろ!!」
「……。……。……あああ、もう! ……。……分かったわよ! ……。……感謝なさい、この便乗痴漢ジャガイモ!!」
リリシアは和希の襟を掴み、強引に顔を近づけた。
――。……。……。
唇が重なる。これまでにないほど強烈な、リリシアの「怒りと「羞恥心」、そして「独占欲」が混ざり合った純度百分の百の魔力が、サイバーな聖杖を通って放散された。
「……!! 強制・所有権・奪還!!」
杖から放たれた虹色の波動が、仮面の男が広げていた空間の裂け目を直撃する。
「……!? ……。……ぐああああ!! ……。……『鞄』が……我の制御を拒絶するだと!? ……。……この熱量は、一体何だ……!!」
空間の裂け目が、凄まじい勢いで明滅を始める。男が掴んでいた暗殺用具が次々と逆流して、彼を襲う。
「……。……。今のうちに、ひっぱたけ、リリシア!!」
「……。……。言われなくても!! ……。……よくも私の私物を! ……。……この『聖女の愛のドロップ』に埋もれて、永遠に眠りなさい!!」
リリシアが杖を振り抜くと、部屋に充満していたドロップが、一斉に男に向かって濁流となって押し寄せた。
「……。……。ぐっ……!? ……。……。何だ……この……圧倒的な……多幸感と……糖分の質量は……!!」
男は大量のドロップに埋没し、そのまま窓の外へと押し出されていった。
静寂が戻った部屋。床には、一つの小さな、古びた革の鞄が転がっていた。
「……。……。……これ。……。私が魔王と戦う時に持っていた、私の鞄なの」
リリシアが震える手でそれを拾い上げる。和希が横から覗き込むと、その鞄の口からは、まるで銀河のような無限の広がりを感じさせる、亜空間の光が漏れ出していた。
「……。……。……やったな、リリシア。……。これがあれば、あの邪魔な飴玉、全部収納できるんじゃないか?」
「……。……。ええ。……。ですが……。……。……変ですわ。……。魔力が、上手に繋がりませんの。……。……本来なら私の意思一つで全てを転送できるはずなのに……」
和希は顎に手を当て、鞄を観察した。
「……。……向こうの世界にはある環境魔力が、この世界にはない。……。……だから、この鞄を動かすための『基礎電力』が足りないんだ。……。……言わば、電池が切れかかった多機能携帯みたいな状態だな」
和希は、リリシアから鞄を借りると、その表面に刻まれた魔法回路を、自分の指先でなぞった。
「……。……。…… リリシア、供給だ。……。……でも、さっきみたいな激しいやつじゃない。……。……ゆっくり、一定の出力で。……。俺の指を通して、この鞄の深層機構に接続する」
「……。……。接続? ……。……。また、貴方の妙な言葉がでたわね。……。……分かったわ。……。……。あまり、変なところを接触らないでよね」
リリシアが和希の手の甲に自分の手を重ねる。
和希の脳内に、鞄の内部構造が流れ込んできた。
【警告:魔力残量低下。管理者認証:確認。運用制限:|有効《アクティブ】
「……!! 見えた!! ……。…… リリシア、行けるぞ! ……。ただし、この世界の物理に合わせて、機構を最適化する必要がある」
和希は、鞄の設定を書き換えていく。
「……。……。収納できるのは、お前の感情が生み出した『ドロップ』のみ。……。……その他の品目を取り出す時は、お前の現在の魔力に依存する……。……よし、これで同期した!!」
瞬間、鞄が淡い黄金色に発光した。
和希が鞄の口を部屋に向けると、散らばっていたドロップが、掃除機に吸い込まれるように、次々と鞄の中へと消えていった。
「……。……。……ああ……!! ……。……床が、床が見えますわ!! ……。……素晴らしいわ、和希! ……。……貴方のその『愛好家の執念』、時として神の奇跡をも超えるわね!」
リリシアは歓喜のあまり、和希の周りをくるくると踊り回った。
だが、その一瞬の隙を突いて、鞄から一冊の古文書が滑り落ちた。
「……。ん? ……。これは……」
和希がそれを拾い上げようとした時、リリシアが血相を変えて奪い取った。
「……!! だ、だだだ、駄目!! ……。……これだけは、……これだけは、見ないでぇ……!!」
「……。え? ……。何だよ、それ。……。……『聖女の内緒の詩集』とか書いてあったけど……」
「……。……。……。……。……。……。……死になさいな、この速読変態ジャガイモぉぉぉ!!!」
カランカランカランカランカラン!!
今までで最大級の、真っ赤な|ドロップが、片付けたばかりの床に再び転がっていく。
「……。……。あああ!! また散らかった!! ……。…… リリシア、今すぐそれを鞄に格納しなさい!!」
「……。……。……嫌です!! ……。……恥ずかしすぎて、収納機能が完全に停止したわ!!」
窓の外では、逃げ去った暗殺者の代わりに、向かいの窓から多機能携帯を構えた咲季が、満足げに動画で記録していた。
「……。……。……『聖女の秘録』。……。……。これは、次の動画の表紙に決定ね。……。……。和希くん、報酬を期待していいわよ」
和希と リリシアの叫び声が、夕暮の街に響き渡る。
失ったはずの過去を取り戻し、新な「器」を手に入れた二人。
だが、その鞄の底に眠っていたのは、リリシアが封印したはずの、さらに深い「真実」だったことを、和希はまだ知る由もなかった。
(第14話へ続く)




