【第12話】漆黒の断罪者とニつ目の福音(ふくいん)
放課後の戦いを終え。リリシアは新しい杖――『聖杖・リリシア・マーク・ツー)』を支えに、がっくりと膝をついた。足元には、先ほどまで全校生徒をパニックに陥らせていた「黒歴史ドロップ」の最後の一粒が転がっている。
和希は、彼女の肩をそっと支えながら、自分のリュックからスポーツ飲料を取り出した。
「……。お疲れ、リリシア。……。……。でも、お前のおかげで学園の危機は救われたんだ。……。……。ほら、みんな自分のポエムの飴を掻き集めて帰宅していったぞ。……。ある意味、最強の鎮圧だったな」
「……。……嬉しくないわよ! ……。私は聖女として、人々の魂を救いたかったのであって、人々の恥ずかしい記憶を糖分に変換したかったわけじゃないのよ!!」
リリシアは頬を膨ませ、和希から受け取ったペットボトルを勢いよく飲み干した。その仕草は、召喚された当初の気高く近寄り難い雰囲気とは程遠く、今ではこの世界の女子高生そのものだ。
だが、その安らぎを切り裂くように、校門の影から「音」の無い足音が近づいてきた。
「……。……。……見苦しい。…….……実に見苦しいですわね。……。……。教国の誇り高き聖女様が、そんな不潔な泥を被ったような男に身を委ね、ましてや『偽物』の鉄塊を振り回すなんて」
凍てつくような冷たい声が、夕暮れの空気を震わせた。
「……っ!? ……。この声は……!!」
リリシアの体が、目に見えて強張った。彼女は弾かれたように立ち上がると、和希を庇うように前へ出た。
校門の影から現れたのは、リリシアと瓜二つの顔を持つ少女だった。しかし、リリシアが純白の法衣に身を包んでいるのに対し、その少女は夜そのものを纏ったような漆黒の衣を着ていた。
「…….…….……ベ、ベルリナ!? …….…….何故、貴方がこの世界に……!!」
「…….…….……お久しぶりですわ、お姉様。…….…….貴方が姿を消してから、教国は大騒ぎですわよ。…….…….ですが、まさか異世界で飼い犬に成り下がっているとは、神も予想だにしていなかったでしょうね」
ベルリナと呼ばれた少女は、蔑みの籠もった視線を和希へ向けた。その手には、リリシアの本来の杖と対をなす、黒水晶を嵌め込んだ禍々しい杖が握られている。
「…….……リリシア、誰なんだ、あいつは…….……お前の、妹か?」
「…….…….……ええ。…….…….聖女の位を争った、私の妹にして…….…….影の聖女、ベルリナ。…….…….カズキ、逃げなさい! …….……あの子の魔法は、私の浄化とは正反対の、……『否定』の力よ!!」
「…….……逃がしませんわよ。…….……お姉様を汚したその不純物、今ここで、私が歴史から抹消して差し上げますわ。…….……アビス・オブ・リジェクション!!」
ベルリナが杖を突き出すと、そこから空間を削り取るような漆黒の奔流が放たれた。
それは「攻撃」ではない。対象の存在そのものを無かったことにする、絶対的な拒絶の波動だ。
「……!! …….…….……させないわ!!」
リリシアが新しい杖を構え、和希の前に盾を張った。
――バチチチッ!! キィィィィン!!
漆黒の闇と、杖の基盤から放たれた虹色の光が激突する。
「…….…….あら? …….…….その薄汚れた魔導具、意外にも粘りますわね。…….……ですが、しょせんはこの世界のガラクタを継ぎ足した『偽物』。…….……本物の聖なる力の前では、砂の城と同じですわ」
ベルリナがさらに魔力を込めると、リリシアの杖の基盤が、過負荷によって煙を上げ始めた。
「…….……くっ……! …….…….あ、ああ……力が…….……供給が、追いつかない……!!」
「…….リリシア!!」
和希は、彼女の背中に手を置き、全力で意識を集中させた。だが、ベルリナの放つ「拒絶」は、二人の絆そのものを断ち切ろうと、魔力の回路に食い込んでくる。
「…….…….無駄ですわ、…….……聖女とは孤独なる祈り。…….他者に依存した力など、ただのノイズに過ぎないのです」
リリシアの張った虹色の盾に、ピキリ、と無慈悲な亀裂が入る。
その時だった。
「…….…….……ノイズねぇ。…….…….……私のカメラのレンズを通すと、それは『最高のアンサンブル』に見えるんだけど」
いつの間にか、昇降口の屋根の上に、サキが立っていた。彼女の手には、和希の部屋にあった「ゲーミング・スピーカー」と、自作の集音マイクが握られている。
「…….サキ!? 危ない、逃げろ!!」
「…….…….逃げないわよ。…….…….和希くん、言ったでしょ。…….…….私はこの物語を、最後まで『記録』するって。…….…….……リリシアさん、その杖の回路を、外部接続モードに切り替えて」
「…….……え? …….…….外部接続? …….…….そんな設定、聞き覚えがないわよ!!」
「…….…….リリシア、杖の側面にあるカバーを開けて『青いスイッチ』を押せ!!」
和希の叫びに、リリシアは必死に指を伸ばした。
カチリ。
その瞬間、リリシアの杖から数本の光ファイバーが触手のように伸び、咲季が持つスピーカーへと繋がった。
「…….…….何を……不気味な真似を……!!」
ベルリナが顔をしかめたが、もう遅かった。
「…….…….……録音データの再生を開始するわ。…….…….……曲名は、『聖女様の日常・怒涛のツンデレ・リミックス』」
咲季がスマホの画面をタップすると、校庭に凄じい音圧の「声」が響き渡った。
『不潔ジャガイモ!』『死になさいな!』『感謝なさい、万分の一くらいは!』『カズキ、大好き、愛してるわ(合成音)』
「…….…….なっ、なななな、何ですの、この破廉恥な音はぁぁぁぁ!!!」
リリシアが顔から火が出そうなほど真っ赤になる。だが、その「声」が杖の回路を通り、魔力へと変換された瞬間、虹色の光は爆発的な輝きを放った。
音は振動であり、感情は力である。和希と咲季が協力して作り上げた「オタク的増幅システム」が、リリシアの羞恥心を燃料にして、ベルリナの「拒絶」を圧倒したのだ。
「…….…….ぐっ……!! …….…….そんな…….……祈りでも何でもない、ただの『騒音』に……私の聖なる闇が、押し戻されるなんて……!!」
「…….…….……今だ、リリシア!! …….…….……最大出力で叩き込め!!」
「…….…….……もう、自暴自棄だわ!! …….……あんな音を聞かされるくらいなら、世界を光で埋め尽くして全部無かったことにしてあげるわ!!」
リリシアは杖を両手で握りしめ、天に掲げた。
「……!! ルミナス・オタク・バースト・レゾナンス!!」
放たれたのは、黄金でも漆黒でもない、全ての色彩を孕んだ究極の輝き。
それがベルリナを直撃した瞬間、彼女の「拒絶」の領域は一瞬で飽和し、白い光の中へと消え去った。
――。…….…….
静寂が戻った校庭。
ベルリナは、膝をつき、荒い息を吐いていた。彼女の黒い衣は数箇所が焼け焦げ、その誇り高き表情は驚愕に染まっている。
「…….…….……信じられません。…….……お姉様、貴方…….…….……本当に、……本当に、堕落してしまいましたのね」
「…….…….……堕落ではないわ。…….…….……これは、『順応』ですのよ、ベルリナ。…….……私はこの世界で、貴方の知らない『本物』の絆を見つけたの」
リリシアは、傷ずついた杖を優しく撫でながら、静かに告げた。
「…….…….…….……ふん。…….…….……勝手になさいな。…….…….……ですが、忘れないことですわ。…….…….……『あの方』が、この程度で諦めるはずがありませんもの。…….…….……次に会う時は、……お姉様のその醜い鉄塊を、完全に粉々にして差し上げますわ」
ベルリナは最後に和希を一瞥すると、夜の闇に溶けるように姿を消した。
「…….…….……行っちゃったわね。…….…….…….……和希くん、お疲れ様。…….…….…….……リリシアさんも。…….…….…….……あ、『大好き、愛してる』の合成音、消して欲しければ一回につきドロップ百個で手を打つわよ」
「消しなさい!! 今すぐ消し去りなさい、この撮影魔!!」
リリシアは咲季を追いかけ回し、いつものような喧騒が戻ってきた。
だが、和希は、ベルリナが最後に言い残した「あの方」という言葉が、重く心に伸しかかっていた。
(…….…….……来るなら来いよ。…….…….……どんな絶望設定が来たって、……俺が全部ハッピーエンドに改変してやる)
和希は、空に輝き始めた一番星を見上げ、誰にも聞こえない声で決意を新たにした。
その足元には、リリシアが照れ隠しに落とした、虹色のドロップが一つ、静かに輝いていた。
(第13話へ続く)




