7.駆け落ち 前編
「ごめんなさい。やっぱりあなたをここには置いて置けないかも。」
「あの医者のせいですか?」
とりあえず伯母と一緒にソファーに座って向き合った。伯母は頭が痛そうだ。
「そう……あの人はね、評判のいい医者なのよ。うちの使用人たちもそう思ってる。だから私がいくら立ち入りを禁止しても誰も本気にしてくれないのよ。……きっと明日も本当に来るわ。」
「……別にいいですよ。お話ぐらいなら。」
なんだか気の毒そうな人だし、介護だと思って話し相手くらいなら我慢できる気がする。セクハラは嫌だけど。
「違うのよ、そういうことじゃなくて……ポゼッシ家には悪い噂があるの。」
ポゼッシ家って誰だっけ。考える私を尻目に伯母は続けた。
「――正確には悪い噂があった、かしら。二十年程前の話ね。」
伯母は力なく微笑んだ。また二十年前か。
「詳しくは省くけど、まさにこの栄養剤の話なのよ。」
「あ、すみません伯母様。省かずになるべく詳しく教えてもらえませんか?」
そろそろちゃんと話さないといけない気がする。話さなければ私たちはただ似た顔をしているだけだ。私と伯母を繋ぐのは、もういない母しかない。
「そう? 長いわよ? ……まあでも親の若い時の話は、私が伝えるべきかもね。」
「お願いします。あと、母がここを出た後の話も、訊いてもらっていいんですよ?」
私がそういうと伯母は悲しそうに目を伏せた。
「それは……まだ心の準備が出来てないわ。十年経ってやっと思い出しても後悔で胸を掻きむしらなくてよくなって、二十年でやっと忘れる事ができたの。私には仲の良い妹がいた、ただそう思えるようになったのは最近なのよ。」
駆け落ちってこんなに周りの人を傷つけるものなのか。父親の顔がチラリと浮かんだがすぐに打ち消した。それどころじゃない。
「――そうね最初、最初ね? 最初というと……噂自体は私たちが子供頃からあったわ。」
伯母は話し始めた。
ポゼッシ家は豪商の分家で、代々続く医者の家系だった。特に貧しい人も安くで診てくれると評判の医者だった。そうして町の人からの尊敬を集めつつ、一方で黒い噂も絶えなかった。
ポゼッシ家は悪魔に血を捧げている。
根拠は患者の体に残った不自然な注射の跡だという。死体から血を抜いているのを見たという者もいた。特に治療費が払えなかった者は沢山血を抜かれて死ぬという噂もあった。だが月数回の貧民向けの診察日には毎回長い列が出来ていた。ほかに格安で診てくれる医者なんていなかったから。
ドクは十代半ばから父の助手として医者の仕事を始めた。確かその頃からピーチの栄養剤はドクが持ってくるようになった。
ピーチが十五歳で学校サロンに入ると、ドクの猛アタックが始まった。当時のピーチはモテモテだった。色んな人とデートをしていた。一方姉である私は婚約中で結婚を控えて忙しかった。この家は長女の私が継ぐと決まっていたけれど、父はピーチの斬新な発想を買っていた。いつ「やっぱり家はピーチに継がそう」と言い出すか気が気じゃなかった。
だから私はピーチが家業以外のことで忙しそうなのが嬉しかった。ピーチなら良いお相手を見つけて幸せになれるにちがいないと思っていた。ドクの様子は段々おかしくなっていったが、どうせピーチに振られたか振られそうなんだろうと、そこまで気にしていなかった。
今も思い出すのは、ピーチが学校サロンに通いだして二年目の冬の出来事だ。
「姉さん」
その日ピーチが珍しく夜に私の部屋を訪ねてきた。私は当時もう結婚していたが、大きな依頼があるとここに泊まりこむことも多かった。とにかく仕事で認められようと必死な時期だった。
「ポゼッシ家の悪魔の話、知ってる?」
姉の部屋という気楽さからか、ピーチは薄い寝間着だった。開いた襟から見える華奢な肩が眩しかった。勝手に人のベッドで胡座をかいている無邪気な妹。
「悪魔に血を捧げてるって話? そんなの町の噂でしょ。」
私は鼻で笑った。忙しいのに邪魔しないで欲しかった。
「噂じゃないの。見ちゃったの……栄養剤の原料がなる木、知ってるでしょう? あれに血を吸わせてた……」
柄にもなくボソボソ喋る妹に私は苛ついた。
「だから何? 血を処分したかったんじゃないの?」
「違うと思う。私、あの木の実から出来た栄養剤を飲んでるんだよ!? ……気持ち悪いよ。」
「じゃあ飲まなきゃいいんじゃない? あれはうちとは古い付き合いだからって、特別にポゼッシ家から安く譲って頂いてるものよ? 巷じゃなかなか手に入らないってきくわ。いらないなら欲しい誰かに譲ってあげたら?」
私は上手に苛立ちを隠すことができなかった。私だってまだ若かった。ピーチは寂しそうにそうだねと言って部屋を出て行った。邪魔してゴメンね、とも言った。
その日からピーチは何かを考え込むようになった。そしてある日、姿を消した。
"好きな人と旅に出ます。探さないで下さい。"
そんな置き手紙じゃ何もわからない。私は必死に探した。ピーチの友人にも片っ端から会った。ピーチの交友関係は広かった。そして最終的にたどり着いたのは下町だった。ひったくりや誘拐が横行しているから近寄らないよう言われている場所に、ピーチは入り浸っていたようだった。私は共を連れて何度か足を運んだが、何も情報を得られなかった。
「こんなとこに来ても誰も何も知らないよ。」
町の人はそう冷たく私をあしらった。そのくせどこか気の毒そうな目で私を見ていた。我が家は仕方なく人を雇って何があったのかを探ることにした。




