6.通じない会話
「やぁ、お待たせして申し訳ない。」
医者はニコニコしながら近づいてきて勝手に私の隣に座った。近い。私はできるだけ離れようとソファーの隅に体を押しつけた。
「待ってませんけど?」
「具合が悪いようなら本人が何と言おうと呼んてくれとメイドに伝えてあったんだ。きみはすぐ大丈夫だって言って僕に体調不良を隠すから。」
「……昨日が初対面ですが。」
「そうだね。久しぶりに会えて嬉しいよ。」
わーーーお。話が通じなーい。知的な雰囲気の眼鏡のくせにどうなってんだ。
「あの、母は死にましたよ?」
「でもきみがいるじゃないか。」
「私とあなたに何の関係が?」
「そうだね。やり直していけるね、ここから。」
「やり直し? 母と付き合っていたとでも?」
「僕たちは幼馴染だよ? 長い長い付き合いだ。これからもね。」
医者は微笑んでいる。マジで話が通じない! 面倒くせえ!
しばらく窓の外を見て呼吸を整えた。この医者はクロース家と深い関わりがあり、この屋敷にいる限りは縁を切ることは難しい。つまり殴っちゃいけないということだ。
横目で医者を見る。目が合うと医者は嬉しそうに微笑った。顔は良い。本来なら知的メガネは嫌いじゃない。でも親より年上ってのはちょっと……でも医者なら金持ちか? うーん……とりあえず前向きに検討してみよう。世間話の一つでもして様子をみよう。
「――ええと、雨、もう止んでましたか?」
「うん、少し前に止んだよ。」
はい、盛り上がらなーい。そうだよな、この男との共通の話題といえばこれしかないか。
「……あの、幼馴染ってことは昔から母と仲が良かったんですか?」
それを聞いた医者の目が爛々と輝きだした。あぁ、やっぱり訊きたくなかったかも……
「そうだね、忘れているなら一緒に思い出そう! 僕らが初めて出会ったのはまだきみが赤ん坊の頃だよ。残念ながら僕も子供だったから当時のことは覚えてないんだけれど、とても可愛かったと思うよ。」
覚えないのに可愛いってどういうことだ。
「子供の頃の僕は勉強が辛くてね……まるで世界中で一人ぼっちの気分だった。このまま医者にもなれず一生勉強だけし続けて死ぬんじゃないかって、本気で思ってたんだ。でもそんな暗闇にいた僕を、きみが照らしてくれた。」
医者はそういうと私の手を両手で握ってきた。勝手に触んなよな。私はゆっくりと手を引っ込めながら質問した。
「……明かりでも持っていきましたか?」
「ああ。きみは今でも消えない明かりを、僕にくれたよ。」
医者はニコニコと言った。マッジで意味わかんねぇな! なんだ? 医者になれってガリ勉を強要されて辛かった時期に母に優しくされて惚れたってことか? その程度のことで四十過ぎても引きずってんのか!?
だが医者は私を見て愛おしげに微笑んでいた。私は完全に不審者を見る目で見ているのに、だ。可哀想な人なのかもしれない。私は目を逸らした。
「……さっきも言いましたけど、母は死んだので、もう忘れた方がいいですよ?」
「きみがいるのに?」
いや不思議そうに言われても。
「私と母は別人ですから。」
「わかってるよ」
医者はまた勝手に私の手を取った。この世界にはまだセクハラって言葉はないんだよなぁ……
「わかってる。今度こそ僕を選んでくれるんだろう? それが正しいんだ。きみを幸せにできるのは僕だけなんだから。」
あーーなるほど? 私を母の生まれ変わりだと思ってる? んな訳あるかい!
私は手を振り払った。こいつとは会話にならん。
「母はかなり前に死んで、私はあなたと親子ほど歳が離れています。そのことについてはどう思ってるんですか?」
「問題ないよ」
「問題あるわ! このロリコン!」
「ろりこん? またモモの新しい言葉が出たね。それはどういう意味なんだい?」
医者はクスクスと笑っている。実に楽しそうだ。なんだか怒る気力が削がれてまた可哀想になってきた。なにしたんだうちの母は。一人の人生ぶっ壊してるじゃないか。
どうしたもんかと考えていると、ノックと共に伯母が部屋に入ってきた。
「声がするからなにかと思えば……ドク? 今日はあなたを呼んでませんよ?」
伯母は仁王立ちで医者の前に立った。いいぞ、もっとやれ。
「やぁアネージョ。雨が止んで良かったね。」
「ドク。いくら長い付き合いだからといって勝手に上がり込むのは感心しません。しかも密室に二人きりだなんて。」
「僕たちの仲じゃないか。」
「ドク、いい加減にしなさい。」
伯母が医者を睨むと医者は少ししゅんとした。伯母様強い。
「……今日は栄養剤を持ってきたんだ。」
医者はそういうと鞄の中からゴソゴソと見覚えのある瓶を取り出した。
「昨日も貰いましたよ。今材料がとれなくて作れないんでしょう? まだあるから要りませんよ。」
「いいんだ、僕がこの子にあげたいんだから。ね?」
急に私に話を振らないでほしい。否定しながら伯母を見上げると、伯母は溜息をついた。
「……じゃあ受け取るから帰って。当分こなくていいわよ。」
「それは無理だよ。僕は主治医なんだから毎日来るよ。僕にしかこの子は治せない。」
医者の言葉に伯母は頭を抱えた。
「……ねぇ、私病気じゃないんだけど。」
伯母が気の毒だったので一応私も参戦してみた。
「わかってる。僕が一番きみのことをわかってるよ。」
微笑まれて私も撃沈した。会話ができないって、ヤダネ。
医者は結局伯母に押し出されるようにして帰っていった。その後一人で部屋に戻ってきた伯母は言った。
「ごめんなさい。やっぱりあなたをここには置いて置けないかも。」




