32.母の影
人間、食べない働かない遊ばない家事もしないとなるとすることがない。
私は自分の部屋に戻り、ベッドに寝っ転がって天蓋を眺めていた。キツネとの会話を思い返していると、重要なことを聞き忘れていろのに気付いた。
なぜ、私に前世の記憶がある?
私がヒロインじゃないのなら、前世の記憶なんてどう考えても必要ない。キツネと話が合うから私一人の妄想でもない。それにこの前世の記憶さえなければ私はもうちょっとこの世界でも上手くやれたんじゃないかとも思う。比較対象があるから不満が溜まったというのは大きい。なんで……ヒロインでもない私がこんなに苦労してんの? てかなんでうちの母親は魔王じゃなくてあのクソ親父選んだの? どういう趣味? わざわざ貧乏を選んで早死にする程の魅力あの親父にないだろ!? マジでどういう男の趣味してんだか。
その時ノックの音がして、返事もしない内にキツネが部屋に入ってきた。ノックの意味がないと思う。
「何してんですか? 早く魔王様を追い掛けて下さい。」
「え……何で?」
「何でじゃないでしょう! いまなら『あれは誤解なの!』で済みますが、時間を空けるなら『キツネに無理矢理襲われて……』って泣いてもらいますよ。できるんですか!?」
私のセリフらしい箇所だけ声色を変えたキツネがなんだか可愛らしかった。たぷんまだ酒が抜けていないんだろう。
「……なに笑ってんですか。」
「いや別に。えっと……追いかけた方がいいの? しばらく悶々としてもらおうかと思ったんだけど。」
「あの魔王様は一人で悶々とした後、我々を祝福してくれます。面倒なことになる前にとっとと行って下さい。」
確かにあの魔王ならそうか……。私は不機嫌そうに腕組みをしているキツネを眺めた。選択肢が二つ、宙に浮かんでいる。
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大人しく魔王を追い掛ける
キツネにこの世界についてもっと訊く
かなり迷った。迷ったけれど、私は魔王を追い掛ける方を選んだ。だってキツネを選んでもきっと幸せにはなれない。
私は、母と同じ過ちは犯さない。
「……ねぇ、キツネって本当はちゃんとした名前あるんじゃないの?」
私は立ち上がりながら訊いた。
「どうでしょうね」
つれない返事だ。私はキツネの横を通り過ぎようとして立ち止まった。
「あれ? キツネ縮んだ?」
いつの間にか視線の高さがほとんど変わらなくなっていた。最初に会った頃はそれなりに長身に見えたのに。
「どうでしょうね。早く行って下さい。」
取り付く島もない横顔だ。ぶん殴りたいような、抱きつきたいような。
「……名前、教えてくれたら行く。」
キツネは溜息をついて真正面から私を見た。たぶん怒ってる。
「教える訳ないでしょう? 僕の真名を呼べるのは神様だけです。」
喉の奥がぎゅっと締まった。
「……わかった。」
廊下に出て階段を一人で下りる。靴を履いてくるのを忘れてしまった。でもいいや。今はどうでもいいや。なんでかな、また振られた気がする。こんな振られまくるヒロインいるだろうか、否いない。よって私はヒロインじゃない。証明終わり。あーあ、畜生。
魔王は相変わらず庭のベンチで空を見上げていた。他にやることないのか。なさそうだな。
私は勢いよく魔王の隣に腰掛けて訊いた。
「なんでいっつも空見てんの?」
「……俺の事は気にしなくていい。何も見ていない。」
魔王は空を見たまま答えた。もうその話終わったんだってば。
「ずっと曇り空じゃない。楽しい?」
「……きみのお母さんが昔教えてくれた。この空の向こうには全く別の世界があると。悪魔がいない、人間が支配する世界なんだと。」
ん? 母にも前世の記憶がある? ……あー、正ヒロインだから?
「彼女はこちらの世界に憧れていたと言っていたが……戻れないあちらの世界も懐かしいと言っていた。」
ほー……王道の異世界転生ってやつか。なるほどねぇ。
「彼女が表情豊かに話す世界に俺も憧れた。確かに初恋だったのかもしれない。」
いやいや今更勘弁してくれ。私の母親は蝋燭の火が消えるように死んだ。遠い昔の話だ。
私は四階にいるであろうキツネの方向を睨んだ。どうしてくれんだコレ。拗れちゃったじゃないか。
「モモは……元気にしてるのか?」
「え? とっくに死んだけど。言ってなかったっけ?」
「そうか……人間は儚いな。」
魔王はそういうと空を見上げたまま動かなくなった。マジでどーすんだ。どうすりゃいいんだ。
私がなるべく自由に苦労なく生きられるようにするには、強くて金持ちの男と結婚するのが一番だ。だからここに来た。都会の金持ちが私が望むぐらいのお金と生活水準を持ってるかわからなかったから。たぶん正しい判断だったと思う。
結婚が駄目なら一人で強く生きていく方法も考えなくちゃいけない。メンタルは鍛えられないからフィジカルで。筋肉は駄目だったから……弾がなくならない拳銃とかがあればいいんだけど。この世界で見たことないから取り敢えず置いといて、あとはやっぱりお金だな。大金で身を守りながら生きていく……いや、女一人じゃ取り上げられて終わりだ。後ろ盾が必要……クロース家と魔王がバックについてくれたら最高なんだけど……。私も空を眺めながら溜息をついた。
私と結婚しないならお金を下さい。そして私の後ろ盾としてたまに人間を脅かして下さい。――流石に言えない。私にだって恥の概念はある。なにコレ? 詰んだ?
「ねぇ、私を殺してくれない?」




