31.正しいヒロイン
キツネは確かにこう言った。
「モモが変な男と駆け落ちさえしなければ……」
「は? うちの母が何か!?」
突然出てきた母の名前に私は立ち上がった。ベッドにだらしなく座っているキツネを見下ろす。ふさふさした耳は全然動いていない。
「どういうことなの?」
再び訊くとキツネはやっと顔を上げた。とたんに漂う酒の匂い。こいつ、酒飲んでんのか!
「……そのまんまですよ。本来はモモと魔王が結婚して子供を産む予定だったんです。でもよくわからない男とくっついちゃって……思い切りの良さが裏目に出ましたね。」
キツネは溜息をついた。
「待った待った待った。そんな前から……仕掛けてたの? あんた一体何者なの!?」
「ただのキツネですよ。」
「そーゆーのいいから! なんなの!? やっぱりゲームなの!? ちゃんと答えて!」
「……あなたに分かりやすく言うのなら、僕は上司にお前なら出来ると自分が面倒くさくなった無理難題をやりっぱなしのまんま押し付けられて、部下からはこんなの出来るか!って詰められている可哀想な中間管理職です。」
「…………」
キツネの立場はわかったけど、私が知りたいのはそこじゃない。
「……このゲームからは誰も降りられないってこと?」
「そうですね。死ぬまで続きます。僕以外は。」
「は?」
「僕は死ぬこともないので、ゲームをクリアするまで終わりません。」
キツネはそういうと怠そうに水差しから水を飲んだ。いや違うな。透明だけどあれがお酒だな。見た目は全く普段と変わらないけど、ひょっとしたら相当酔っぱらっているのかもしれない。色々聞き出すチャンスかも。
私は書き物机の椅子を引っ張って、キツネから少し離れた所に座った。
「前に私を手籠めにすることもできるとか言ってなかったっけ?」
「言いましたよ。……でもそれやるとバッドエンドでまた一からやり直しになる気がするんですよねぇ……」
「その場合私はどうなるの?」
「さぁ……やってみます?」
キツネは私を見て少しだけ笑った。やっぱり酔ってる。
「なんで魔王の子供が欲しいの?」
「その質問はナンセンスですね。この世界はその為に作られたのに。」
「いやなんでそこまでして……」
「神様の趣味ですよ。」
「魔王の子供……違うか、魔王と人間の子どもが欲しいってこと?」
「御名答!」
キツネは私に向かって杯を掲げた。カンパーイじゃねぇわ。
「そんなものの為に……何十年も?」
「何十年で済めば良かったんですけどねぇ。」
キツネは口を歪めて杯を煽った。相当やさぐれてる。何十年も魔王に人間の嫁をとらそうと画策してきたってことか……男性向け恋愛シミュレーションゲームなのか?
「……こんなゲーム抜け出してさ、一緒に神を倒すロールプレイングゲーム始めない?」
真面目に聞いたのにキツネはハハッと笑った。
「神がいるから世界があるんです。その逆はありませんよ。」
なにやら宗教的な話になってきた。この路線は止めよう。
「じゃあさ……リセットして魔王とうちの母親との出会いからやり直したら? 親父には会わせない方向でさ。」
「そうするとあなたは生まれませんよ?」
「あ、そっか……」
いや私は生まれたかったのかな。生まれなければ生まれたかったと思うこともないんじゃないかな。どうなんだろ。
「――それにリセットは僕の力じゃできません。」
「権限ないのに最前線にいるんだ。可哀想……」
「可哀想ですよ。慰めてくれます?」
キツネは私を見て意味ありげに笑った。耳が忙しなく動いている。「試してみましょうよ。僕とあなたが愛し合ったら、何が起きるのか。」
私はかなり迷ったが、立ち上がってキツネの横に座った。
「愛、ねぇ……」
「それでも世界は終わらず、あなたが先に死んで、僕はまた一人で人間を魔王にあてがおうとするのかもしれない。それでもうまくいかなくて、先に魔王が死んで、またその新しい魔王に、僕は……」
俯くキツネの肩に手を伸ばすと、そのまま手をつかまれてベッドに押し倒された。キツネの顔をこんな風に見上げるのは変な気分だった。
「……キツネって、キスしにくそうだね。」
「キスする生き物じゃないので。動物のオスは種を撒くだけです。」
「乱暴なのはちょっと……」
「優しくしますよ」
キツネは笑って私の髪を撫でた。獣の手だけど爪はでていない。この手でもっと触られたら、私は……
「魔王って処女厨だったりしない?」
「わかりません。聞いてみます?」
キツネの耳はずっと廊下に向けられている。でも視線は私から外れなかった。
「……どうせあのヒトは、そんなの関係ないって言うよ。」
「付き合ってもないのに彼女みたいな言い方しますね。」
二人でクスクス笑っていると、廊下の足音が止まりノックもなしに部屋の戸が開いた。入ってきた魔王はしかめ面で何かの紙を見ている。
「この請求書……」
言葉はベッドの上の私達を見てすぐ途切れた。「え……?」
「すみません魔王様。どこか間違っていましたか?」
キツネは私に覆い被さったまま言った。そこは退けよ。
「いや、すまない。邪魔をした。」
魔王は手に持った紙をぶんぷん振ってすぐに部屋を出て行った。
「さて……どうなりますかね。」
キツネは呟きながらやっと私の上からどいた。
「こんな古典的な方法効くかなぁ?」
「効きますよ。独占欲は生き物の本能です。」
首をひねりながら起き上がると、キツネと視線が絡んだ。今からだってさっきの続きをすることはできる。今度は誰にも邪魔されずに。二人きりで、慰めあって。
私はそれを振り払うようにキツネの部屋から立ち去った。私はあの時確かに、キツネの中に自分と同じ孤独を見た。次はない。次があれば、きっと今度は流されてしまう。




