29.異質であること
しばらく暗闇でメソメソしたあと私は立ち上がった。顔を洗いたいけど魔王の部屋に行くのは嫌だ。厨房で洗ってもいいかな。拭くものないな。
金貨をポケットに入れてゆっくりドアを開ける。誰もいなかった。この金貨は服に縫い込んでおこうか。いやメイドのピアスみたいに直接身につけたいな。指輪かピアスか……道具と加工技術がないな。
考えながら廊下を歩いていると、ばったりキツネにあってしまった。悪魔って人間探知ができるらしい。
キツネは私の顔を見るなり片眉を上げた。なんで怒ってるんだっけ……あぁそっか、クロース家に行かなかったからか。
「台無しじゃないですか。」
キツネは不機嫌そうに言った。
「すみません」
私は素直に謝った。
「人間の体ってほんと、厄介な作りですよねぇ。」
……なんの話だ。私は久しぶりに泣いて疲れたんだ。もう何も考えたくないほどに。ん? 見た目の話か?
「え、ひょっとして、目腫れてる?」
そこまで号泣した覚えはないが、目が腫れてブサイクになってるなら問題だ。人目に晒したくない。
キツネは大きく溜息をついた。
「……取り敢えず、魔王様には親戚とはいえ人はいきなり仲良くなれないって説明しましたから。何回か行き来はして下さいね。」
「あ、はい。」
それはこちらにも好都合だ。クロース家がどんな家でどんな経済状況で彼らのいう社交界がどんなものなのか、ちゃんと前もって確認したい。
「……逃げるなら、代わりの人用意して下さいね。」
キツネはジトッとした目で私を睨んだ。
「え、逃げてもいいの?」
「代わりがいるならいいですよ。僕だってね、この世界にはもう飽き飽きしてるんですよ。」
キツネはそう言うと身を翻し行ってしまった。
あらま。あちらの世界に戻りたいヒトがもう一人いた。これキツネと私が手に手を取ってこの世界をぶっ壊すエンドはないんだろうか。まぁ壊されるこの世界には気の毒だけど……でも全部架空で虚像で絵空事なのかもしれないし、誰かがみてる夢なのかもしれないし、別にいいんじゃないかな。
厨房を覗くと誰もいなかったので、勝手に入って顔を洗った。スカートを持ち上げて顔を拭く。私に必要なのはドレスじゃなくて新しい普段着な気がする。そっちを作ってもらおうかな。泣くほどみすぼらしいならわかってくれるだろう。
階段を上がり魔王の部屋をノックする。返事がないので中に入ってみた。誰もいない。私は鏡の前に立って自分の顔を凝視した。
特に瞼は腫れていないし、あからさまに浮腫んでいる様子もない。見慣れた可愛い顔だ。この顔と盗んだ金でどこまでいけるだろう。隙あらば私を壊そうとしてくる奴らとこの二つで渡り合えるだろうか。でもやらなくちゃいけない。こんな惨めな気持ちのまま、この人生を終えたくない。
鏡の表面を指先で押してみた。全く中に入れる気配はなかった。この鏡を一人で自由に行き来できれば、生存確率は大幅にあがるのに。クソッ、魔力か。どうやったら魔力って手にはいるんだろう。
遠くから足音が聞こえ、この部屋の前で止まった。なぜか中に入ってこようとしないので、私が中から戸を開けてあげた。そこにはものすごく嫌そうな顔をした魔王が立っていた。
「おかえりなさい」
「……何してるんだ?」
「向こうに行こうと思って……クロース家に。」
「本人がいないのに勝手に入るなと言っている。」
「またすぐ帰ってくるけど、連れて行って下さる?」
「会話が成立しない……」
魔王は溜息をつきながら部屋に入ってきた。
「ねぇ、魔力ってどうやったら身につくの?」
「生まれつきだ。」
「後天的に魔力を手に入れるには?」
魔王は立ち止まって私の顔をじっと見た。怒っているような呆れているような顔だ。
「……教えない。」
「え、できるの!? 私も今から悪魔になれる!?」
「教えない」
魔王はそう言うと鏡の前に立った。「向こうは今、夜明け前だ。戻る時はまたノックしてくれ。じゃあな。」
じゃあなと言われても一人じゃ鏡の中に入れない。すると魔王は私の右手を握ると、そのまま手だけ鏡の中に突っ込んだ。このヒトにとってはこんなに簡単なことなんだよな。羨ましい通り越してムカつく。
「じゃあ、まあ、行ってきます。」
魔王は頷いて私の手を離した。どうやら少しでも中に入ってしまえばあとは一人でも進めるらしい。目を瞑って飛び込むと、そこは真っ暗な部屋だった。
前はロウソクがついていたが今は何もないし誰もいないようだ。物音一つもしない。夜明け前とか言ってたから仕方ないんだろうけど、これはどうすればいいんだ?
取り敢えず明かりをとろうと窓を探した。確かこの辺にカーテンがかかっていたからこれを開ければ……。半分手探りでそれらしい布を探し当てた。勢いよく捲っても微かな光さえ見えなかった。これは……レンガか? 窓が塞がれている?
なんだか怖くなって部屋の中を見渡した。そういえばここは悪魔の鏡を置いている部屋だった。普通じゃなくても当然だ。
悪魔って、異質の存在なんだ。
突然部屋の扉が開いて、入ってきた人間に悪魔と間違えられて殺されたらどうしよう。だって突然現れたということは悪魔の鏡を通ってきたということで、それは普通に考えれば悪魔だ。私がいくらここの血縁者だといっても悪魔が化けてるくらいに思われて信じてくれないんじゃないだろうか。伯母や従姉妹だって自分の身を守る為に他人の振りをするんじゃないだろうか。
部屋の外から物音が聞こえた気がして飛び上がった。誰かが起きて活動を始めたのかもしれない。この部屋に来るかもしれない。そう思うと居ても立ってもいられず私は鏡を叩いた。
しばらくして出てきた手を掴んで鏡の中に飛び込む。逃げたい、ただその一心だった。




