26.あやしい薬
私は一人ベンチに座ったまましばらく空を眺めた。灰色の雲が次々に流れていく。あ、これずっと見てられるかも。
けれどしばらくすると肌寒くなって私は立ち上がった。城の扉を開けて足の裏をはらう。この扉の裏にこっそり靴が置いてあれば気の利いた男なんだけど、あの魔王にそんなことできるはずもない。
これからどうしようかな、眠くないけど寝ようかな。そんなことを思いながら廊下を歩いていると、キツネがいた。そうだ、コイツもいた。
「ご実家はどうでしたか?」
胡散臭い笑顔にイラついて、無視しようかと思ったが足が止まった。実家?
「……どういう意味? あそこに私の身内がいるって知ってたの?」
「知ってましたが?」
この笑顔ほんとムカつく。オーケー、話をしようじゃないか。心の中でファイティングポーズをとったが、とぼけたセリフで流された。
「おっとその前に食事はいかがですか? しばらく食べてないでしょう?」
言われてみればそうかもしれない。なんだか急にお腹が空いてきた気もする。
「あちらの部屋で待ってて下さい。お待ちしますよ。」
キツネに促されるままに指定された部屋に入って椅子に座った。まぁ腹が減っては戦はできぬともいうし。
少し待つとキツネはお盆に乗ったスープを手にやってきた。湯気がたって美味しそうだ。私は礼もそこそこにスプーンを手に取った。さあ食べようとした瞬間、キツネはスープに謎の液体をぶち撒けた。
「……は?」
「怪しいものじゃないですよ。お食べ下さい。」
キツネはにっこり笑って言った。
「いやいやいや! 怪しいわ! なんだこの赤黒い液体! おまけにこの匂い……」
そこまで言ってから気付いた。これはお酒の匂いだ。色からすると赤ワインか?
「これは不老長寿の薬です。召し上がれ。」
「怪し過ぎる! 食えるか!」
私はスプーンを置いて叫んだ。腹が減ってるのに何してくれてんだ。もういい、自分でよそってこよう。そう思って立ち上がると、キツネは含み笑いをして座るように言った。完全にこっちをおちょくっている。つまり喧嘩を売っているってことだ。よし、買おう。
「……何がしたいの?」
私は立ったままキツネを睨見つけながら腕を組んだ。
「あなたには長生きしてもらわないと困るんですよ。」
「それはご親切にどうも。間に合ってるから自分で食べれば?」
「いいんですか? これ、本来なら十年は遊んで暮らせるほどの金額するんですけど。」
キツネは空の小瓶を見せつけるように振った。私はしぼらくの逡巡の末、椅子に座りなおした。私は、高価な物が好きだ。
「……原材料はなんなの?」
「詳細は秘密ですが、悪魔が小遣い稼ぎに作ってます。これは特に魔王様の力が入ってますので、かなり強力で高いです。大金持ちが死にかけた時に持って行くと売れるんですよ。」
「悪魔が小遣い稼ぎするの? 奪えばいいんじゃない?」
「個人の性格によりますね。今の魔王様は争いは面倒なのでお金で解決したい派です。特に今は休眠期ですし。」
そういや仕立て屋にもお金払うとか言ってたな。悪魔なのに変なの。
「……食べたら子どもになったりしないでしょうね?」
「なりませんよ。今が健康なら寿命が3年延びるぐらいです。」
それぐらいならいいか……私はスプーンを手に取りスープを混ぜてみた。全体が赤黒くなってすごく見た目が悪い。ためらっているとキツネが笑った。
「中身はほぼ赤ワインですよ。今の調子で魔王様に振られ続けるなら飲んでもらわないと。あっという間に老人になって死んでしまいますよ?」
コイツはやっぱり喧嘩を売っている。どこで聞き耳立ててたんだ気持ち悪い。
キツネをにらみつけると、キツネは小馬鹿にしたように首を傾げて更にこう言った。
「――その程度の覚悟でここに来たんですか?」
あったまきた。でも確かにそうだ。毒を食らわば皿までだ。それに今更こいつが毒なんて回りくどい手段で私を殺すはずがない。
私は一匙すくって口にスープを押し込んだ。不味い。赤ワインをコンソメで薄めた味だ。でもほのかに甘いような? でも美味しくはないな。うん……
私は顔をしかめながら全て平らげた。ほんのりとアルコールを感じたが酔うほどではなかった。体に特に変化はない。
「……で?」
「僕からは以上です。」
「そうじゃなくて、なんであの家……クロース家だっけ? あそこが私の母方の実家だって知ってたの? 魔王は知らなかったのに。」
「それは魔王がニブいだけです。見たらわかることですよ。」
キツネの言葉に一瞬納得しそうになった。魔王ならそうなのかもしれない。
「つまりそれは……私がすごく母と似てるってこと?」
「似てますね。人の話を聞かない所がそっくりです。」
それはあんまり嬉しくないなぁ。
「……なんで私をあの家に行かせたかったの?」
「このままずっとこの城にいても大したイベントは起きないでしょう? 出自の秘密を知って感情を揺さぶられたら、あなた方の関係も変わるんじゃないかと思いまして。」
なんというか……恐ろしく客観的で、まるでゲームのプレイヤーみたいだ。やっぱりこの世界はコイツがプレーしているゲームなのか。じゃあなんで私もメタ視点なんだろう。
キツネは目が合うと愛想よく微笑んだ。ダメだ。コイツにこれ以上聞いても喋りそうにない。たぶんしつこく聞いたらゲームをリセットされる。それは嫌だ。私は今の私でいたい。
「――ごちそうさま。この器、下げといてくださる?」
これは細やかな抵抗だ。キャラとして操作されるだけはゴメンだ。雑用ぐらいやってもらおう。
「もちろんですよ、オミナ様。」
キツネは余裕の表情だ。私は立ち上がり部屋を出ようとして――ドアの横に手をついた。頭がクラクラする。あの程度のワインで酔うはずないんだけど。
「ねぇ、ひょっとしてさっきの薬、媚薬だったりしないよね?」
「びやく? まさか。違いますよ。そんなものあったらとっくの昔にあなた方に使ってます。」
キツネは憮然とした表情で言った後、独り言のように呟いた。「そうかぁ……媚薬かぁ……」
言わなくていい単語を言ってしまった気がする。
私は急いで自分の部屋に戻った。なんだか眠い。そういえば結構長い時間起きている気がする。ベッドに潜り込んで目を瞑ると、あっという間に意識は途絶えた。




