20.昔の女
私はよろよろと自分の部屋に入り靴を脱いだ。もう何も考えたくない。隣の部屋から微かに話し声が聞こえる。キツネと魔王がなにかを話しているんだろう。聞きたくない。このまま永遠に眠りたい。
ベッドの中できつく目を閉じる。もう嫌だ。帰りたい。私の本当の世界へ帰りたい。なんで夢なら醒めてくれないの……幼いころから何度も願ってきた。でも何度目覚めても元の世界には戻れなかった。じゃあなんで、私にはこんな記憶があるんだろう。知らなければ、幸せだったのに。
目覚めたくなんかなかったが、起きてしまった。ぼんやりとしたまま右手を上にかざしてみる。細い腕と小さな手。これが私の現実。
さあ、起きよう。
スリッパを履いて廊下に出て、魔王の部屋をノックなしで開けた。魔王はソファで本を読んでいたようだが、私を見ると弾かれたように立ち上がった。
「ごきげんよう、魔王様。」
ぞんざいに言うと魔王の顔が引き攣った。私は構わず魔王に近づき勝手にソファに座った。
「座らないの?」
促すと魔王は恐る恐るといった風に私の横に腰掛けた。なんでこのヒト怒らないんだろう。まあ私が訊くのはおかしいからきかないけど。
「……ノックとか……」
どうでもいい話を始めそうなのでとっと遮って本題に入る。
「じゃ、魔王様がフラれた話聞かせてくれる?」
「フラれた訳じゃ……」
「昔の女を未練たらたらで思い出してる時点でフラれてるのと一緒。」
「そう……なのか……?」
「そう。じゃ、出会いからどうぞ。」
「出会いは……仕上がったドレス類を取りに行った時だった。仕立て屋の若い娘だった。他の人間は俺とは必要以上に喋らずできる限り早く帰そうとするのに、その娘は俺に話しかけてきた。初めて自分が縫った服を客に渡したらしく、色んなことが気になるようだった。俺は何度か鏡を通って彼女に会いに行った。色んなことを話した。でもある日、彼女は居なくなっていた。幼馴染の男と駆け落ちしたらしい。俺への書き置きや伝言はなかった。」
「……それだけ?」
「それだけだ。本当に忘れてたんだ。二十年も昔の話だ。」
「なんで急に思い出したの?」
「前に……きみがあの鏡を指で叩いたことがあっただろ? その時に嫌だなって思って……でも同時に前にもこんなことがあったなって思ったんだ。」
「ふーん……ステキなひと夏の思い出って感じ?」
「夏じゃなかったけど……まぁ。」
「魔王様って友達いなかったの?」
何気ない質問だったが、魔王はかなり嫌そうな顔をして言った。
「……魔王に友人は、いない……」
あーだからちょっと話し込んだ子にすぐ惚れちゃったんだ。マジ童貞じゃん。
「魔王は全ての悪魔の頂点に立つ者だ。友人親兄弟をなぎ倒し君臨しなければいけない。」
馬鹿にした感じが伝わったのか、魔王は勝手に喋りだした。
「一人で生まれ血を分けた兄弟たちと殺し合い、全ての悪魔を平伏させてこそ魔王だ。友人などいらん!」
「いやいや、親一階に居たじゃん。一人で生まれたとかオーバーだよ。」
「ん? 生まれたのは……あぁそうか。人間とは違うんだったな。」
「なに?」
「人間は一人の赤子をつきっきりで数年かけて育てるんだろう?」
「双子もいるけど、まあね。少なくとも数年は誰かが面倒みないと死んじゃうかな。」
「悪魔は違う。生まれてから一週間ぐらいは起きずにひたすら体を成長させる。そして目覚めた途端に走るし言葉も喋れる。」
「え、怖……生まれて一週間で成人するってこと?」
「成人とまではいかないが、まぁ、親に面倒を見てもらうことはない。他の悪魔なら食料のありかを教わるかもしれないが、この城ならそれも必要ない。」
それが本当なら確かに親への感謝なんか芽生えそうもないな。
ふんふんと納得していたら気づいてしまった。この話も例の仕立て屋の子としたんだろうな。ってか魔王の知識の半分ぐらいはその子から聞いた話っぽい。なんか嫌だな。
私をきみって呼ぶことも、部屋で二人きりにならないことも、なんなら何されたって怒らないこともそうなのかもしれない。
「ふーん……わかった。」
そう言うと魔王はホッとしたような顔をした。
「もうすぐ仕立て屋から連絡が来ると思うから、その時に一緒に向こうへ行けばいい。彼らを紹介しよう。」
「なんで? 何の話?」
「なんでって……戻りたいだろう? 人間の社会に。」
魔王は邪気のない顔でそう言った。私が無言で見つめ返すと慌てて立ち上がった。なにを警戒しているのか。
「とにかく、俺は何度か向こうと行き来することになるから、行きたくなったら言ってくれ。こちらも行く時は連絡する。」
魔王はそう言うとこちらに背を向けて机に座った。話は終わったということらしい。うーん……私やんわりとまたフラれた? 別に好きでもない男にフラれてもショック受けないんだけど。
私は色々考えながら黙って魔王の部屋を出た。確かに魔王の言う通り、この城での夫探しは諦めて人間の世界に戻った方がいいのかもしれない。何しろ私は方方に喧嘩を売り過ぎた。ここから恋なんてどうやって始めればいいのか。見当もつかない。
「ゲームオーバーかなぁ……」
溜息混じりに言うと廊下の向こうからキツネが現れた。キツネはにこやかに笑って言った。
「それは困りますね。」
うーん、コイツとの恋はもっとないんだよなぁ……




