18.恋には遠い
結局メイドはほとんど掃除をしないまま部屋を出て行った。自由過ぎる。私はそれをベッドの中から見送り、しばらくそのままゴロゴロしていた。その内こんなことしてても何にもならないと思って起き上がった。
動いても何も変わらないかもしれないが、寝てるよりはマシだと思う。たぶん。
完全に乾いている服を着て靴を履く。廊下に出てもメイドは居なかった。ご飯でも食べるかと思いながら階段を降りていると、ちょうどキツネが下から上がってきた。
「……どうも」
「おや、なんだか久しぶりですね。」
久しぶり?なのかな? ここの時間の感覚はいまいちわからない。
「キツネってさぁ、発情したことある?」
いつもにこやかなキツネの顔がちよっと嫌そうになった。私、ヒトに嫌そうな顔させる才能あるよね。
「……自分が聞かれる側になると嫌な質問ですね。」
「あるの?」
「黙秘、とさせて頂きます。」
「この世界に黙秘権なんかないけど。」
「それを否定してしまうと、生存権すら失いますよ?」
キツネはニッコリ笑って言った。怒らせたらしい。
「……わかった。」
私は大人しく引き下がりそのまま階段を降りた。キツネもそれ以上は話かけてこなかった。
あぁ、恋とは程遠い。
ちょっと泣きたくなりながら廊下をぐるぐると歩き、とぼとぼと階段を降りた。そして一階まで来てから気づいた。いつの間にか壁を手で触らなくても移動できるようになっていた。地味すぎて感慨はないけれど。
いつも通り美味しそうな匂いを辿って厨房に入る。すると青いゴリラが鍋をかき混ぜていた。それを見た途端に心臓が跳ねた。え?
固まっているとゴリラが振り向いた。やっぱり格好いい……優しそうでありながらちょっと皮肉めいた笑顔もいい……あり、かも……身長もそこまで高くないし、ありなのでは? 見た目完全に青い上にゴリラだけど……でも、ほら、キツネよりチューしやすそうな口だし? ありなのではなかろうか?
固まっている私を尻目にゴリラは椀にスープを入れ差し出してくれた。礼を言って受け取ろうとした瞬間、厨房の奥の戸が開いた。
戸の中から出てきたのはもう一人の青いゴリラだった。二人のゴリラはごく自然に寄り添って見つめ合った。それがあまりにも自然だったのですぐわかってしまった。
なんだ夫婦か……身長もあんまり高くないなって思ったのも先にいた方が奥さんだったんだろうな。後から来たゴリラデカいし。うん。なんかさ、私、馬鹿すぎない?
私は差し出されていた椀とスプーンを掴み、その場で一気に掻き込んだ。ゴリラ夫婦が驚いてる気がするけど気にしない! 舌をちょっと火傷したけど気にしない!
「ごちそうさまでした!」
私はそう言って食器をその場に置くと、厨房を走って出て行った。そのままの勢いで廊下を走り庭に出て大きく息を吐いた。マヌケすぎる。なにがチューだ。雌雄の判断もつかないくせして。
「ふざけんなっ!」
大声で叫ぶと木の後ろから人影がはみ出した。しばらくそこを睨んでいると、やがて諦めた顔の魔王が木影から出てきた。
「タイミングが、悪い!」
指をさして叫ぶと魔王は無言のまま私の横をすり抜けようとしたので、腕を掴んで引き留めた。
「なんで逃げるの?」
思ったより低い声が出た。
「……八つ当たりされたくないから。」
「こんなとこに居るんだから仕方ないてしょう!?」
「ここは俺の城だ。どこにいようと勝手だ。」
腕を振り払われたので前に回って身体ごと体当りして歩行を止めた。魔王が怯んだので胸ぐらを掴み、無理やり首を下げさせた。落ちてくる魔王の顔に私の顔をぶつける。
「痛っ!!」
魔王は私の手を振り払い唇を手で押さえた。何をされたかわからないらしい。
「ねぇ、魔王様のファーストキスってことでいい?」
ニヤリと笑うと魔王の顔が赤くなった。そしてそのまま、口をおさえたまま城の中へと入っていってしまった。キスの後とは思えない。
私はその場に突っ立ったまま自分の唇をめくってみた。鏡がないから見えないけれど、血の味がするからきっと切れてる。魔王の唇の感触は衝撃にかき消された。
よろよろと歩いてベンチに倒れ込み空を見上げる。あーあ。私だってファーストキスだったのになぁ。あれじゃどっちかっていうと初めての頭突きだよなぁ。上手に使えばいいカードだっただろうに、なーんで死なばもろとも!みたいな戦法に使っちゃうかね。馬鹿なんじゃない? はい。馬鹿でーす。
灰色の空が眩しくて腕で目を隠した。何やってんだろ。でもこれでキスも知らずに死ぬってのは回避できた感じ? いやあれはキスを知ったと言えるのか? ただ痛かっただけだし……心が痛いとかならまだロマンチックなのに……いや、今も心はそれなりに痛い。うん、痛い。まあ自分からぶつかりに行って痛がるのは違うと思うけど。
灰色の空はずっと頭上にある。ここにいるかぎりずっと曇りの空を見続けることになるのかな。日焼けしなくていいかもしれないけど……晴れた日に洗濯するの好きだったな。あの村は布が貴重だから下着以外あんまり洗濯する文化がなかったけど、乾いたパリパリの布を取り込むのが好きだった。嫌いなものばかりの私の、数少ない好きなものの一つ。ほんと、私は何を好きになれるんだろう。この先誰かを好きになることなんてあるんだろうか。




