6-5 魔法使いと魔王
6-5 魔法使いと魔王
人間は同じ過ちを繰り返す。
随分と大袈裟な言い方をしちまったが、間違いじゃないだろう。誰しも愚かで憎らしい。まあ、愚かなのには当然自身も含まれるんだが。
生まれつき俺は魔力の許容量が人より遥かに多かった。それを知ったのも、妙な爺さんに拾われて魔法学校に叩きこまれた後の話だ。今日の飯のために寝床にしていた廃墟からパンを盗みに行ったが、俺にしては珍しくやらかした。商店の連中から袋叩きに遭っていた死にかけの俺を偶然居合わせた爺さんが目を丸くして家に連れて帰り、「お前は魔法使いになるべきだ」なんて一頻りの学問や常識を仕込まれた後で強制入学させられたのだ。
衣食住。それらすべてを手に入れた生活は悪くなかった。襤褸切れを纏い、干からびた草をえずきならが咀嚼し、廃墟で雨風を凌ぐ。蔑まれ、見下され、唾を吐きかけられる生活から俺はようやく人間になれた。寮での他の連中の何も苦労を知らない会話にはほとほと呆れ果てていたが、まあいい。実力は俺が上だ。泥で腹を満たした経験も、虫が湧いている水溜まりで喉を潤した経験もない連中が魔法を使えばたちまち羨望と嫉妬と畏怖の顔で俺を見つめるのは心地よかった。
「随分と良い成績のようだな」
「ま。俺の実力ならこんなもんよ」
「慢心せずに励めよ」
髭を撫でつけ皺だらけの顔をくしゃりとさせる。爺さんは時折、学校に顔を出す。ここは全寮制なので入学してからは長期の休暇以外は家に帰っていない。後から知ったのだが、爺さんはこの国で上から数えた方が早い優秀な魔法使いで、国が援助しているこの場所に仕事で足を運んでいるのだった。俺を見に来たのではないのに不貞腐れているのは内緒だ。
「早く仕事してこいよ。皆待ってんぞ」
「何を。こうしてただの悪ガキだったお前の様子を見に来ているんだ。仕事は、ついでだ」
頭を家畜にするようにわしゃわしゃと撫でられる。燃えているようで不吉だと蹴り飛ばされた赤髪を爺さんは躊躇いもなく触っていた。拾われた時からずっと俺の瞳よりもその髪を見つめ、「良い色じゃないか」と笑む人だった。
「鬱陶しい!」
我ながらわかりやすい。一転して良くなった機嫌を悟られまいと悪態をつく。
「元気で何より……ノクス」
爺さんは片手を上げひらひらと振ると笑いながら去って行った。俺は撫でられて頭を触り、何とも言えないむず痒さに地団駄を踏む。
嫌な気分ではなかった。名前以外に価値のあるものを手にした生活を心地良く感じていた。
そうして月日は流れ、魔法学校を卒業する頃。灰色の雲が空を覆い、湿り気を帯びた匂いが鼻をつく。俺は主席卒業という輝かしい看板を引っ提げて廊下を歩いていた。
これなら爺さんも褒めてくれるだろうか。これなら「厄介なガキを拾ったジジイ」と陰口を叩かれずに済むだろうか。俺はいい。ただ爺さんが貶されるのは嫌だ。
「ノクス!」
教師がバタバタと足音を立てて俺に駆け寄る。立ち止まり振り返れば、遠くに爺さんの姿も、学園長の姿も見えた。
「どうしたんだよ。揃いも揃って」
「お前の役目を果たす時がやって来たんだ」
途端、目の前に光が迸り、世界が回る。膝の力が抜け、石畳の廊下に身体を投げ出そうとしていた。
「おいおい。大切なここまで育てた贄なんだ。傷でもついたらどうなる」
「すみません。おい足を持て。今から運ぶぞ」
「全く。好き放題してくれてよ。捨てられていたガキが身の程も弁えずに」
「まあ、最期に良い思い出になっただろう。驚いたぞ、君が贄を連れてくるとは」
嘘だ、信じられねぇ。何を言っている。心臓の鼓動が高鳴り、全身から汗が噴き出す。俺の身体に触れた教師が一人「汚ねぇ元浮浪児が」と吐き捨てた。
「しかし流石──先生だ。理想的な贄を拾ってくるなんて」
「ああ、ずっと欲しかったんだ。だから商店街の連中にも協力してもらった」
嫌だ。聞きたくねぇ。耳を塞ぎたくも指一本動かない。身体が宙に浮く。ぼやけていく視界が覗き込む見覚えのある連中の顔を次々と映し出していた。そして。
「全く、清々した。顔も見たくない奴を育てるなんて。……さようなら、ノクス」
爺さんが塵溜めで食料を漁っていた時に向けられた顔で俺を、俺の赤い髪を見下ろしていた。何だよ、そういうことか。
今となっては、どうでもいい記憶だ。
エレノアが苦々しげにカップを並べる。俺と自分の分。俺はもう飲み食いなんぞしなくとも生きていける存在だったが、こいつはこういう時、俺にも茶を欠かさない。不機嫌そうに琥珀色の液体が注がれていく。ダーンエイティー。勿論、クッキーも一緒だ。
「何度目の失敗だ、エレノア“ちゃん”よぉ」
揶揄うように意地悪く笑みを浮かべれば、眉間の皺が深くなった。恐らく俺にしか見せない、何も取り繕わない表情だ。
「知ってる癖に聞かないで。……三十八回目」
「そろそろ諦めろよ。お前に選択肢はない。選ぶ必要がないから光栄だろ」
「煩い。クッキーでも紅茶でも口にして黙りなさい」
乱暴に椅子を引きエレノアがクッキーに手を伸ばす。バリバリと景気の良い音がして俺は堪らず声を上げた。ケラケラと腹を抱える俺に一層ご機嫌斜めになったエレノアはダーンエイティーに口をつける。「熱っ!」と叫ぶ。そりゃあ淹れたてだからそうなるだろ。俺が更に声を上げればカップを握る手が震えていた。
「ノクス。あなたもっと縛られたいの? そもそも」
行儀悪くエレノアが机に肘をつく。鋭い眼光が俺だけを映した。
「殺さない、約束でしょう? 完全にフィンレーを殺ろうとしていたじゃない。それから私や家越しに相手に圧をかけるのも止めてって言ってるでしょう。家鳴りもそう。お陰で皆勘違いするんだから」
「家鳴りの大半はお前があの男に話した原因のせいだろ。俺が意図的に起こしたのはほんの一部だ。それに圧の方はお前と他の連中がいる時は、原則話しかけないのは守っているだろ。可愛い意思表示だ。それくらい許してくれよ」
この家で“一緒に暮らすようになった”時にした。そうこいつは続ける。ああ、たしかにした。こいつが俺を封印し続ける限り、俺は人間に手を出さない。そもそも完全に封印されている状態じゃ出せないのだが、今回のように限定的に封印を解いた時の約束だった。力は貸す。けれど殺さない。だが。
「殺さなきゃお前が死んでいただろ」
「外に放り出した時点で勝負はついていたわ」
「結果論だぜそりゃ。あのフィンレーとかいう自己顕示欲の化身は死の恐怖でも刻み込んでやらなきゃ、立ち止まれねぇ。言ったはずだ、お前の命がかかっている時は助ける。だが相手の保障はしない、と」
「だから頑張ったじゃない。あなたの魔法込みで、外に吹き飛ばす作戦だったから問題はなかったでしょう」
「失血死寸前でよく言うぜ。それにな」
ダーンエイティーが半透明な身体に飲み込まれる。いつもより少し渋みがある。上手いことできていて食ったモンは全部口内を通ったら消滅するようになっていた。つまり俺にとって食事は娯楽だ。目の前のこいつと過ごすための。
「惚れた奴が命懸けで俺以外の奴の生存と未来を守ろうとしてんだ。嫉妬するしかねぇ、だろ」
エレノアが心底げんなりした顔で「はあ」と天井を見上げる。白い喉元がしなり、ラベンダー色の髪が揺れ動いた。
「勿体ないからしないけど、あなたの顔に熱々のこれをかけたいと思ったわ」
マグカップを持ち上げそっと口づける。血色の良い、薄い唇の先に琥珀色の液体が消えていく。生きている人間の身体だった。死んでも可笑しくない量の血液が廊下に水溜まりを作り、青白い顔をしたエレノアの上にあの男が馬乗りになる。恐怖と嫉妬でどうにかなりそうだってんだ。俺は何も悪くないだろ。
「まあでもよ」
「でも?」
「俺はあの自己顕示欲の塊、許してやろうって思ってんだぜ。お前が恋人と同居している可能性を真っ先に言及した。それからお前に最後まで恋愛感情は抱かなかった。弁えている奴は嫌いじゃない」
「馬ッ鹿じゃないの!」
エレノアは辛抱を切らしたように机を軽く握り拳で叩いた。
「まあ、抱いたらその時点で殺していた。お前に殺意も恋愛感情も抱くなんざ贅沢過ぎるだろ」
「何が贅沢よ、全く」
「照れるな」
「どうしてそうなるの」
クッキーが口内へあっという間に消えていく。頬が膨らんでゴリゴリと音がした。意外にこいつは態度に出るし、俺に対して出そうとするのだ。
少しの静寂。俺のくつくつとした笑いとエレノアのクッキーを齧る音だけが部屋に響く。何のことはない俺達の日常だった。この三年間、壊されては戻るを繰り返している。
「だから自己顕示欲の坊ちゃんは戻ってきたら迎え入れてやっていいぞ。“絵本”に到達した点も高評価だ。ここで茶飲んで帰るくらいなら俺は許してやるぜ。寛大だからな」
「なぁにが寛大よ。わかって言ってるでしょ。……フィンレーはもうここには来ないわ。危険だからじゃない。いつものとおり、よ」
「お前にご執心だったじゃないか。嫉妬しちまうくらい」
「その言い方止めて。でも、“いつもどおり”彼は一人で再出発をしようとしてる。『エレノアに合わせる顔がない』なんて思ってね」
「“助けてほしくて”やってるのにな」
「元凶に言われたくないわ!」
「おいおい。俺だけじゃねぇぜ? そもそもお前がこんなことになっているのはお前の選択のせいだろ。それよりもフォルセーラ財閥と政府のせいだがなぁ」
口角を引き攣らせてエレノアが口を噤む。エレノアのせいと評するにはあまりにも理不尽だろう。その理不尽のお陰で俺はこいつに出会えたのだが。
俺は悔しげなエレノアから視線を外し、部屋を見渡す。何てことはない、ただの一軒家だ。一人暮らしには広すぎて、何より立地条件が最悪の森の奥。ここがエレノアと俺の世界だった。
「絵本の件はさすがに驚いたわ」
ポツリと漏らすエレノアに俺は首肯する。三十八回の中で一番真実に近い場所に到達した人間だった。ただの絵本好きが、ねぇ。わからねぇもんだ。
数百年前、世界は未曽有の危機に晒された。原因不明の魔物の大量発生。何人もの冒険者や魔法使いが食い止めようとも次々と命を落とし、何年もかけて町は、隣国は滅んでいった。そんな中、この国で一番偉大だとされていた器の魔法使いは一つの研究結果を秘密裏に当時の国王へと発表する。
この世で一番魔力を蓄積できる生物はアイネの実である。だが真に一番魔力を封じ込められる素養があるのは人間だ。アイネの実はただその場に魔力を溜め込むだけだが、人間は自ら思考し留めようとする。その思考が、意思が何よりも魔力をコントロールするのに向いていた。
だからもし、アイネの実以上に魔力を己の身体に溜め込める者がいたとしたら──?
器の魔法使いこと爺さんは偶然、廃屋で雨風を凌いでいるガキを見つけた。先天的に魔力、つまり魔物を肉体に封印できる者。名をノクス……つまり俺だった。
こうして世界と俺は天秤にかけられ迷う時間すらなく、天秤は世界へと傾く。俺は丁寧に魔法使いとして魔力コントロール技術を身に付けさせられた挙句、一カ所におびき寄せた魔物の群れを全部身体に吸収させられることとなったのだ。
マジで痛かったぜ。内臓全部をナイフでかき回されている感覚が三日三晩なんて目じゃないくらい続いた。俺のと空気中を漂う魔力。そして大量の魔物こと魔力が体内で暴れて混ざり溶けあう。肉体は消滅し、最早魔物なのか人間なのかわからない変幻自在で可視化された魔力の塊に俺は変えられた。
そうしてぐちゃぐちゃの俺は特殊な祭壇へと捧げられる。異空間を作り出す禁止魔法。それを大勢で唱え、俺ごと魔物をこの世界から消し去ろうとしたのだ。
「アイネの実の伝説を描いた絵本……。冒険者ノクスが魔王を封印したなんてよくもまあ噓っぱちを書き連ねたモンだぜ。本当は“魔法使いの俺が身体ごと魔物を封印された”なのに」
「身体も奪われこんな姿になったも追加か」と鼻を鳴らせばクッキーに手を伸ばしたエレノアの手が止まる。じっと俺の顔を見上げればその瞳が悲痛に揺らいでいる。その後の真相だって何もかも知っている癖に。
国総出で俺を亡き者にしようとしたが、そうは問屋が卸さない。無限に続く痛みと裏切られた憎悪の果てに俺は力を手にした。魔物を操る魔法。祭壇の上で魔導書も無しに俺は大量の人間を容易に殺める手段を得て、まずは目の前の連中を全て消した。無論、爺さんは念入りにだ。生きたままできるだけ苦しむように少しずつ切り裂いてやった。
何もかも、俺以外の全てが許せなかった。全部消えちまえと思った。
俺以外は全て敵だ。思えばずっとそういう人生で、その果てに人ですらなくなった。
気がつけば、魔王と呼ばれていた。呼んだ奴を片っ端から殺していった。
「散々暴れてやったのによぉ。人間ってのは随分としぶといことで。結局世界の半分くらい滅ぼしたところで予定どおり封印されちまったな。まあ、そのお陰で」
じっと金色の瞳を見つめ返した。俺の熱を孕んだ視線に対して、エレノアはどこまでも冷たくて、そして憐憫を纏っていた。
「お前に出会えた、エレノア。お前に会うための封印だったならお釣りがくる」
人間ってのは愚かで繰り返す。俺は自分以外の奴を憎み、滅ぼしてしまいたい欲望を抱えながら何百年も何も無い闇の中に放り込まれた。隙間から見えたのは様々な世界の光景。化け物に近しい存在となった俺は所謂“心が壊れる”って状態にはならなかった。そして三年前、声が聞こえた。
かつて俺の封印の先陣を切った者の末裔達はフォルセーラ財閥と名乗り、歴史の真実を秘匿しながら俺の動向を監視していた。といっても主な作業は魔法が正常に起動しているかの点検だけ、だったが。何百年も経てば人は事実ではなくその実感を忘れる。祭壇はもう欠片も残っていない。真の歴史は歪曲され、真実は嘘に塗りつぶされる。なのに“真実”を知り得ている優越感と紙切れに書かれた作り話の悲劇を読んだような感覚であいつらはのうのうと暮らし、俺の悲劇はそれこそ御伽噺になっていった。
大州娯楽として親しまれ始めた時は笑っちまった。そこまでして俺への恐怖を消したいのか。お前らがこんな目に遭わせなきゃいいのによぉ、人間共。
そんで、何が起こり始めたか。どうやら国民には隠されていたが、国の中枢を担う奴の中に異常なくらい過激な奴が紛れ込んだらしい。豊かなこの国はいつか隣国に侵略されると根拠なしに騒ぎ立て、抑止力のための兵器を生み出すとフォルセーラ財閥と共に開発を始めた。
そこで目をつけたのは俺だった。歪められた歴史と数百年の間に進んだ文明、技術は俺に対する危機感を失わせていた。
魔王を復活させ兵器として使う。フォルセーラ財閥が開発した魔導書、魔具なら魔王すら制御可能だと信じ切っていた。魔王と言ってもただの強大な魔物の塊で意思などない。兵器として扱うのに問題はない。
そんな愚かしい計画から悲劇を繰り返そうとしていた。今度の代償は世界の半分じゃねぇ。全部だ。
「何で居合わせちゃったんだか」
エレノアがそっと視線を逸らし、立ち上がる。冷蔵庫から牛乳を取り出すとカップにそのまま景気よく注いでいく。温くならないか、と聞けば「気にしない」と返ってきた。
「ああ。最高だったぜ。お前があの場に来てくれて」
「そんな危ない儀式、他所でやれっての。軍の訓練場とかあるでしょう」
「国立の魔導学院だったからなぁ。特殊な魔法を発動させるための魔導書もありゃ、世界最高峰の魔法実験場も備えている。何より“隠せる”ってのが最大の魅力だろ。何かあっても“学生の実験の失敗”で誤魔化せる」
「地下にあんな場所を作ってたなんて知りたくなかったわ……。どうせ他にもよろしくない研究をしてたんでしょうに。別の学校を選ぶべきだったか……だから選ぶのは嫌いなのよ」
生温いミルクティーを喉を鳴らしながら飲んでいく。そっとエレノアが牛乳パックを向けてくる。俺が手を振れば、小さく頷いてキッチンの方へしまいにいった。
器の魔法使いと認められ、今後の輝かしい人生を選ぶ立場にあったエレノアはその日、妙な魔力を感知したらしい。歪んだ、気を抜けば嘔吐しそうな威圧感に耐えながら、遂に地下研究所の隠し扉を見つけてしまう。
解き放たれた俺はまず、近くにいた連中の腕やら脚やらを吹き飛ばす。血が舞い、鉄臭さが鼻をついた。悲鳴。怒号。懺悔。このまま皆殺しだと異空間から足を踏み出した瞬間だった。
「ちょっと! 一体何を……!」
驚愕に満ちた声と共に部屋の扉の封印が解かれ、けたたましい音を立てて開く。呆然と立つ女が一人。それがエレノアとの出会いだった。




