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森の奥には〇〇が暮らしている  作者: 高崎まさき
6.選択を嫌う魔法使いと○○の話
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6-4 僕だけの君へ

6-4 僕だけの君へ


 ゆっくりと転がり落ち続けていた。もう後がないと、これが最後のチャンスだと殺人にすら手を染めようとしていた。

 碌な魔法使いにもなれず、遂には裏の世界で生きるようになった僕が世間からどう見られるか。負け犬、落伍者、掃きだめ。いくらでも僕の在り方を形容する言葉はあるし、何なら投げかけられ続けた人生だ。でも耐えられた。僕には全てをひっくり返す切り札がいつか舞い降りるから。その切り札さえ掴み取れば何もいらない。そうすれば全てを見返せる。何もかもがひっくり返ってどん底の僕が頂点に立つ。

 だからこそ、僕はアイネの実を絶対に何があっても掴まなければならない。後がない。チャンスは一度きり。泣いても笑ってもこれが最後。そう考えていたのはロート・フォルセーラ一味も同じで、「君の最後のチャンスだ」と鼓舞するように熱弁を奮われた。

 エレノアは違った。「やり直しなさい」と僕を叱った。

 それだけじゃない。共に過ごした一カ月、彼女は僕の先の人生を考え行動していた。逃げ道はある、駆けこめる場所もある、アイネの実を手に入れた後は連中と縁が切れるの、大丈夫なの。喧しいくらいに僕の現在と未来を心配し続けていた。そもそもあの薬局自体が森の中で迷っていた僕の灯台だった。大雨の中、想像以上に暗い森で歯の根が合わない程震えていた僕は実は死を覚悟した。そんな時暗闇の中で見えた看板の光は希望だった。まだ生きていけると、目頭が熱くなったものだ。

 僕自身ですら抜け落ちていた“先”を彼女は見ていた。僕の“後がない”先の可能性を信じていた。当たり前だと、未来を共に探してくれた。「後がない」ことは全くない。最後なんかじゃない。その先に人生は続き、「もう一度」は否が応でも訪れる。そう怒り、悲しみ、笑っていたのだ。深入りはせず見守るように、でも少しお節介。互いに嘘だってついていたけれど。

 彼女は僕と向き合ってくれた。本気で、僕と一カ月間を過ごしてくれたのだ。傲慢で無責任な優しさに溜め息が出るが、救われていたのも事実だ。

 でも、正直に言ってしまえば、それでも僕はそんな彼女よりも掴めなかった“アイネの実”が欲しい。例えば突然時が巻き戻って記憶を失ってロート・フォルセーラと会う前に戻ったとしたら、何度でも同じ選択をするに違いない。エレノアよりも“アイネの実”を選ぶ。エレノアを殺害していたら僕はきっと輝かしい英雄になっていた。血生臭い外道の手段なんか覆い隠してあのロート・フォルセーラと共に表舞台に復帰し、世界をひっくり返す真実と栄光と共に残りの人生を歩んでいた。陰りも憂いもなく、真っ直ぐに誇らしい顔付きをして笑んでいたのだろう。碌でもない。馬鹿につける薬はないというがエレノアですら僕のこの性分を治せる魔法薬は処方できないだろう。

 だからさぁ。つまり。

 エレノアは僕の存在を肯定していた。僕には僕の人生があると、それは当たり前だと心の底から思っていた。だが、同時に彼女は僕の信念を否定していた。後がないと“アイネの実”で逆転するために全てを懸ける僕の在り方に怒りを露わにした。僕を一番信じていて、僕を一番否定する人。それが彼女だった。

だから、今でも悔しくて何度も考えてしまう。何としてでも勝ちたかったのだ。

 心の靄が晴れていく。と同時に喪失と悔しさで鼻の奥が痛み、視界が滲んだ。清々しいのにぐちゃぐちゃ。そんな渦巻く感情からか胸が苦しい。温かいのに重い。大きく息を吸って吐き出した。

 後がない、とは覚悟だろう。人がその瞬間に全力を懸ける、燃え尽きてもいいと投げ出す信念だ。そう信じて生きてきた。

 でもさ、エレノア。君は気づいてしまってたんだ。僕のこの信念が、段々と諦念に変わっていくのに。

 ほんの少し、たった一欠片。それでも澄んだ僕の信念を穢すのには十分だった。「後がない」とは人生の終わりだ。

 一世一代の賭けに失敗したら人生を諦めていい。だって「後がない」のだ。もう頑張る必要も方法もない。自分で選びながら“アイネの実”を心で育てる生き方に僕はすっかり疲れてしまっていたのだ。

 これで駄目ならもう何もかも諦めよう。だから全力を尽くす。一瞬に全てを捧げるなんて格好つけた言い回しで自分を守っていたが、はっきり言ってしまえば自暴自棄だった。

 でも、残念なことに失敗しても人生は続いていく。今の喫茶店でぼんやりと甘ったるくした珈琲を啜り、ハムサンドに理不尽なケチをつけるように。

 エレノアは見抜いていた。そんな人生を賭け、同時に捨ててしまいたい自分を突きつけられたから悔しかったのだ。これで最後だと“諦めている”自分を突きつけられたから勝ちたかったのだ。

 ハムサンドを一気に頬張り押し込む。ぱさついた小麦の塊を咀嚼して、飲み込む。エレノアと食べたあの味が忘れられない。

 手の甲に生温かい水滴が落ちる。手が震え、水が伝い机を濡らした。

 久方ぶりに脳が動く。散漫としていた思考が集約し巡り、僕という意思を作り出していく。

 恐れていた本心に僕はいよいよ向き合っていた。見て見ぬふりをしていた感情が湧き出し、僕を飲み込む。抗うように考える。僕が茫然自失とここに在ったのはロート達から逃げるだけではない。敗北で気づいてしまったエレノアへの感情から逃げるためだった。悔しさの正体を認識したくなかった。だがそうして向き合っていれば僕の中の化け物が顔を出す。僕はエレノアを殺してでも不特定多数の他者から褒めちぎられたいし見返してやりたい。それが偽りの栄光でも構わなかった。そして失敗したら人生を諦めようと思っていた。楽になろうとしていた。

 では、今何故生きている? ここでこうして茫然自失と毎日を過ごしている?

「そんなの決まっているさ」

 エレノアが気づかせてくれた。何てことはない現実。僕が生きている限り、僕の人生は続いていくのだ。苦痛だろうと絶望だろうと。“後がない”先にも僕の生だけは存在している。

 僕は全部を失ったつもりだった。人生を終えるはずだった。でも悔しさや妬みという名のエネルギーは僕に残っていた。空っぽの僕に染み込んで離れなかった。特にエレノアに対する淀んだ感情が大量に残っていた。醜い。泥臭い。無意味。馬鹿みたい。何とでも言えばいい。

 幸せになりたくて何が悪い。僕はまだ生きるんだ。

 心臓が全身に力を送ろうと跳ねる。魔力と血液が循環していく。熱い、と息を吐いた。

 きっと彼女はこんな僕を見たら呆れた顔をして背を叩き、そして甲斐甲斐しく紅茶を淹れるのだろう。じっと何時間でも僕の話に耳を傾ける。あるいは無言の僕にそっと付き合ってくれるのだ。

 やり直し、か。

 涙を振り切るように天井を見上げ、そしてまた誰もいない席に視線を戻す。

 どうやり直すのかはまだわからなかった。ただ、やり方は変えると決めていた。心の中のエレノアが顔を輝かせる。僕の両手を掴んで一頻り騒いだ後にケーキを買いに行こうと町へ繰り出すのだ。僕の手を引いて、満面の笑みで。ダーンエイティーがいいかしら、と口ずさみながら。

 記憶を失い時が巻き戻れば彼女を殺害しようとするだろうが、今は違う。やっぱり僕はエレノアよりも“アイネの実”を選んでしまうけれど、やり方は変える。彼女を殺害せずとも済む道を探すのだ。それが彼女と出会った記憶を持った僕の結論だった。一カ月間の喜びと恐怖と苦しみから得たのだ。優先順位は変えられずとも手段は選べる。

 “たった一度の敗北”で冷静になり僅かな倫理観を取り戻したからでもある。何より彼女を失いたくないのだ。彼女に蔑まれようと、二度と会うことがなかろうと自分と他人の人生を終わらせる手段で燃え尽きたくはない。僕を馬鹿にした連中を見返してやりたい、羨望を集めたい。ただそのためには手段を選ばなければ。今度は外道に堕ちないように。やっぱり殺しは駄目だ。だって表の世界の連中も見返してやるには真っ当な手段を取らなくては!

 ごく当然の事実に気づき、思い出されたのは遠い過去だった。学校生活を送っていた時、皆は僕をどんな顔で見ていたか。僕の夢なんかわからないと見下していた皆は一瞬でも悲しい顔をしなかったか。

 ──エレノアとはよく話したなあ。

 わかりっこなかったのだ。僕は何も話さず距離を取っていたから。そして口を開いた時は一方的に主張だけをしていた気がする。僕の時間を他者に、感情を押し付けるだけだった。

 顔に熱が溜まっていく。腹の奥がむずむずとして大声で呻くのを抑えるために頭を抱えた。ああそうか。僕はずっと会話をしてこなかったのか。人に認められたいのに、人を認めなかった。エレノアに腹の奥底まで曝け出したように対話すれば良かったのだ。だから彼女は僕に向き合ってくれたのだ。

「エレノア……君は」

 妬みの対象で、“アイネの実”の方が大切で、友人で、宿敵で、元雇い主で。だから僕は変わらなければならない。だって今までのやり方じゃ駄目だ。

 だって、あんなに素敵な人を失いたくはない!

 ふんわり卵と海老のホットサンドを勢いよく掴み口元へ運ぶ。ぷりぷりとした海老と程良く塩胡椒で味付けされた卵が口の中で広がった。

「美味しい……」

 彼女の家を出てからやっと食べ物の味をしっかりと認識したと思う。もう一口、更に、と香ばしいパンに噛り付けばあっという間に胃の中へ収まった。

 まだ食べられそうだ。明らかに一人前を越えた量を身体が欲していた。端に寄せられたメニューを開き、今度は真剣に悩み始める。何を食べたいか以前に、胃もたれしないかも考慮して。

「デザートもいいかもなあ」

 苺のショートケーキに、チョコレートブラウニー。レモンパイに紅茶のシフォン。何ならパフェでもいいかもしれない。

 身体がやっと再び“生き”始めた。何だか可笑しくて、また涙が零れそうだった。

 これから具体的に何をするかはまだわからない。エレノアが言うとおり「やり直す」にしてもまずどうすればいいか。裏の世界から足を洗うのは何とかなるだろう。でも今までの罪──一線は越えなかったとしてもそれなりに“悪さ”をしてきたのは事実だ──は償うのか。むしろ償えるものなのか。夢を叶えるためには次は何をすればいい?

 歌い出したいような感覚に酔いそうだ。考えれば考える程これから辛い戦いになりそうだが、何だか楽しくて仕方がないのだ。

 僕がもう一度選択をやり直している事実が堪らなく可笑しくて誇らしいのだ。

 色とりどりのメニューはどれも魅力的だ。何だか全部注文しても食べ切れる気すらしてきて僕は苦笑する。浮かぶのは彼女の顔だ。全部注文するといったら彼女は喜ぶだろうか。

 選ぶのが嫌いとエレノアはどうしようもなく強い感情を込めてそう宣言した。彼女が何故その思想を持つに至ったのかは僕にはわからない。聞いても答えてくれないだろうし、興味もなかった。ただ何となく想像はついた。深い森の奥で彼女が魔法薬局を営んでいる理由。それは同時にあんな存在と共に暮らしている理由なんじゃないだろうか。

 彼女はきっと何か理不尽な選択をしたのだ。何かを選ぶのではなく全てを捨てる選択をせざるを得ない状況の結果があれなのだ。想像の彼女が脳の片隅で拗ねていた。それでも後悔はないと吐き捨て、不敵に笑っていた。

 ロート・フォルセーラの嘘。エレノアの隠し事。そして御伽噺の登場人物であるはずのノクス。もしロート・フォルセーラの嘘が半分は真実なら、僕の憶測が正しいなら──世界は一瞬でひっくり返る。僕は大切な絵本の物語に大きく裏切られるのだ。

 空いた皿を端に寄せ、メニューを置く。そうして呼び鈴を鳴らした。

 ──まあ、でも大丈夫だろう。

 呑気な結論に我ながら呆れ返る。でも大丈夫だろうと本気で信じている。森の奥に住んでいる器の魔法使いがあの場所にいる限り世界は滅びない。あの家で暮らしている限りは問題ない。絵本よりも鮮やかに世界を守るのだ。そう。

「“アイネの実”があんなにもあったなんて……な」

 煉瓦がきらきらと輝いていたのはてっきり雲母に近い鉱石が偶然入り込んでしまったのだと思った。違ったのだ。

 あれはアイネの実の欠片。“あれ”を封印するために家の壁に塗り込んだのだ。あの家自体が大きなアイネの実となるように。そのためにエレノアは温室でアイネの実を育てていたのだ。でも“本当のアイネの実”は。

「さようなら。エレノア……」

 そして絵本の御伽噺。あんなにも人生の指針と執着していたのにも関わらず、驚くほど真実を受け入れ、簡単に僕は手放せた。夢から醒めたのではない。ようやく本当の夢を掴みにいくのだ。

 無性に彼女に会いたかった。けれど彼女を選ばなかった僕にはそんな資格がないのだ。せめてできるのはあの森であった一切の出来事を口外しないのと、僕自身が何処かで下手くそでも生き長らえることだろう。彼女はこんな僕の未来を信じていたのだから。

 僕にとっての真の“アイネの実”は、英雄は彼女だった。だから手にした僕は彼女とは異なる英雄として歩き出したい。叶わなくても、その意思だけは持ち続けたい。


 森の奥には僕だけの英雄と魔王が住んでいる。


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