6-3 庇護の揺り籠から目を覚ます
6-3 庇護の揺り籠から目を覚ます
「フォルセーラ財閥の現状は知っているだろう」
「ええ、まあ」
互いに間仕切りの外を眺める。先程よりか歓声は潜めたものの、相変わらず店内はいつもよりも騒がしい。様々な、主に冒険者達が熱弁を奮っている。ロート・フォルセーラの失脚で持ちきりだった。
とにかくエレノアが具体的に何をしたか僕は把握していない。ボロだけは出さないようにと机の下で足に力を込めた。
「まずこちらの状況から伝えよう。君が森の奥で何をしたのか。ここでこうして珈琲を飲んでいるのが何を意味するのか。君が報告に来ない点、そして現状から容易に推測はできる」
「脅しですか?」
「それができれば、例えば君一人を始末してどうとでもなれば良かったのだが」
物騒な物言いに一瞬怯みそうになる。だが様子がおかしい。先程からこの男は僕を殺しはしないと、そしてその行為自体に意味がないと何度も主張している。早い話が下手に出過ぎているのだ。
たしかにここまで騒ぎになってしまった後だ。今更僕を始末したところで情報の修正は不可能だ。だが、フォルセーラ財閥の過失は少ないと世間に主張できているし、何よりエレノアの件は何一つ話題にあがっていない。
森の奥で一人暮らし、人々のために薬を作る偉大なる魔法使いを手にかけようとした──おそらくアイネの実欲しさに──汚点、そして下請けの状況を全部とは言わなくてもある程度は知っていて放置した事実もまだ明かされていない。ロート・フォルセーラを一番乏しめるための材料は依然闇の中だ。そしておそらくだが、彼は僕がまだ証拠を手にしていると信じている。だったら口封じをするのに十二分に意味があるのだ。僕を拷問にでもかけ、残った証拠品の場所を吐かせた後で始末すればいい。それがフォルセーラ財閥にとって倫理的な問題を抜けば最適解ではないだろうか。
注意しなければ、そう睨み返すように秘書と視線をかち合わせれば眉間に皺が寄った。
「この手の情報はうまく分散して保管されているのが定石だ。例えば数日連絡がなければ所定の場所に郵便が送られるよう、郵便局と契約したりだとか。だから俺は君を始末するのではなく納得して引き下がってもらわなければならない。それにだ。実は君とフォルセーラ財閥の関係を示す証拠は何もないんだ。知っているだろうがロートが全ての証拠を処分しろと命令したからだ」
え?
「……ええ。貴方達の会話も押さえています」
合わせるしかない。僕は覚悟を決め堂々と言葉を紡ぐ。
「正気を疑ったよ。証拠を手放すなんてな。だが命令されたから仕方がない。そもそも今だから言うが君も信じていなかったから、記録を取ったんだろう」
「だって私設騎士団じゃないですか。私設ということは完全にロートさ……ロート・フォルセーラだけが管理している団体で財閥の組織ではない。……だったら予防線を張るでしょう?」
これは事実だった。ロートが“私設”と言葉を臆面なく使用した瞬間、予防線を張ると決めたのだ。そのために大枚をはたいて魔具を購入した。今は手元にはないけれど。それよりも。
「そうだな。……俺が君でもそうする。だから取引しにきた」
「さっきから言っている取引とは?」
「……正確にはお願いだがな。要は我々には今、君がフォルセーラ財閥と関わりがあった証拠が何一つないのだ。だから君を脅すための証拠も、君に利益をもたらす情報も皆無だ。だからお願いするしかない」
動揺を何とか隠し切れたようだ。僕は胸を撫で下ろしつつ、思わぬ僥倖に内心ほくそ笑んだ。
本当にロートは、フォルセーラ財閥は僕に関する証拠を全て消したとは──!
これなら本当に僕を始末する必要はなかった。僕に手を出すということはただ犯罪に手を染めるだけとなってしまう。彼等に利益が全くないのだ。いくら大財閥であっても、人の死を完全に隠蔽するのは困難であるし、できれば使いたくない最終手段だろう。
自分の身の安全がある程度保障され、息をつく代わりに珈琲を流し込む。熱い液体に口の中を火傷しそうになるが気にしちゃいられなかった。零れそうになる笑みを消すのにむしろ丁度いい。
「口約束だ。信じるに値しないと嘲笑うだろう。だが、俺は君を信じて頼むしかない」
秘書が太眉を波のように動かす。オールバックの髪を撫でつけ、そして頭を下げた。
「頼む。金で解決できるならいくらでもしよう。これ以上フォルセーラ財閥の……お前の持っている“他の”情報を世にばら撒かないでくれ。一切を忘れ、生きると誓ってくれ」
◇◇◇
マグカップが二つ、並んでいる。一瞬エレノアとの日々を思い出し、僕は緩く首を振った。
「顔を上げてください。それから何個か質問を」
オールバックの髪は乱れない。黒々としたそれがゆっくりと上がり、彫りの深い顔立ちから鋭い視線が僕を刺した。
とても“お願い”をしている態度には見えない。けれどきっと本心からの頼みなのだ。
「その……まずはこの会話の危険性です。録音して僕を陥れる証拠になる、という結末は」
「ない。それに知っていて質問したな。君はずっとこの会話を第三者が聞いた時に俺が加害者になるよう、誘導している。何度も身の安全を確認しておいてよく言う」
バレていたか。凄んでくる目の前の秘書から目を逸らし、僕は背もたれに体重を少しだけ預けた。
僕は万が一を考慮し被害者振って何度も恐る恐る自分の命が奪われる可能性を問い続けていた。勿論、本当に不安だったのもあるけれど、僕と同じように彼が録音といった手段を取ってくる可能性は高いと踏んだからだ。
「録音魔具は所持していない。通信機器も何もかも、だ。俺が持っているのは財布で」
机の上に草臥れた四角い二つ折りの黒の革が投げ捨てられる。手に取り内部を確認すれば数枚の紙幣と、コインが収納されていた。カードすら入っていない。
「それをポケットに入れ、後は近くのホテルに置いてきた。信じられないのなら身体検査でもするか」
「こんな場所で貴方に全裸になれと言ったらそれこそ通報されます」
嘘はついていない、と信じよう。突然喫茶店で全裸になる男と、それを指示した僕で逮捕なんて未来は避けたかった。
「では最低限の信用は得られたとしよう。ところで」
指の腹で机を叩く。えらく神経質そうに見えた。
「彼女に絆されたのか」
無論、エレノアだろう。
「……ええ。罪悪感が沸いたので逃げました」
「敵前逃亡を認めるのだな。……ああ、これは尋問ではないさ。好奇心だ、あんなに息巻いていた君が諦めるとは」
「一カ月も暮らせばわかります。……僕は名誉より情を取った」
大嘘つきめ。流暢に綺麗事を抜かす自分に嫌気がさしながらも取り繕う。
「また会いに行くのか。次は客としてか、友人かそれとも」
「貴方に話すことじゃない」
おや? 違和感を覚えながらも僕は吐き捨てた。この質問はまるで……。僕が怪訝な顔を作れば何故か得意気に秘書は鼻を鳴らす。僕は呆れ返りながら軌道修正を計った。
「脅迫の可能性がないのなら……結論から言えばお金は要りません。それにこれ以上、情報を世間に公開するつもりもありません。もう現状の光景で充分です」
「君が持っている更なる情報は公開しないと」
「……そうですね。本当にこれっきりなら、ですが」
「こちらこそ望むところだ。君は始めから何もフォルセーラ財閥とは関係なかった。あの馬鹿息子と面識もないし、君はあの地獄を経験していない。彼女とは……まあ、旅先で会ったことにすればいい」
地獄とは依頼先の現場か、その後の拷問か、それとも。米神を押さえながら僕は続けた。
「ええ。この被害者救済制度を利用する気もありません。僕は決して妙な依頼を受けて死にかけた上に拷問され、更に“馬鹿息子”に騙されたりなんかしてませんから。こうして身の安全が確保された以上元の冒険者稼業に戻らせてもらいますよ」
「元の、ね。彼女以外は、か」
甘ったるいであろう珈琲で喉を鳴らして、秘書は意地の悪い笑みを浮かべた。神経を逆撫でする奴だ。“お願い”する気はあるのか。様々な苛立ちが僕の中で渦巻いていたが、新聞を膝の上に置き、おくびにも出さず笑みを張りつけた。
これからが、ある意味正念場だった。
「では最後にもう一つ質問を。この約束を守るか守らないか。完全に口約束じゃないですか」
「というと?」
「貴方は僕を信じ切れるのですか。僕の素性、知ってますよね」
ロートが僕の陰口を叩く時、相手となっていたのは常に彼だった。指摘すれば笑みが顔から消える。
「貴方はお願いをしていると下手に出てますが、結局のところこの契約は口約束で、おまけに僕が圧倒的に有利だ。そんな状態で頭を下げられて、困惑している。僕はこれから先もずっと眠れぬ夜を過ごすのかと不安で仕方がありません。彼女に……相談でもすべきか。当然、この喫茶店内の熱気の原因は伏せますが。何もなかったが約束ですからね」
歯ぎしりの音がする。やはり、目の前の秘書は。一番の懸念事項は。
「言ったはずだ。俺達に君を告発する術はない。それに君を始末するメリットも」
「僕の告発はロート・フォルセーラの告発と同義。……違うか。もっと大きな理由が」
「何が言いたい」
苛立ちが声に混ざる。店内の騒めきに掻き消されているがこんな報道がなければ、周囲の人間が聞き耳を立てる程の声量が逞しい喉から漏れていた。
「信じられないと言っているんです。確固たる、それこそ冒険者の契約のようなものがなければ。貴方は絆されてくれそうにないですし」
「黙れ! あの女にお膳立てされ、交渉のテーブルについたつもりか! 庇護されている分際で!」
遂に秘書の声が響き、店内が一瞬静まり返った。
水を打ったようにとはこのことだろうか。間仕切りと壁、そして秘書の巨躯に囲まれているにも関わらず複数の視線を感じる。秘書もばつが悪そうにその背を縮こませた。
数秒の沈黙の末。店内は再び騒がしさを取り戻し、視線が分散される。僕はハムサンドを手掴みし、大きく咀嚼する。
やっぱりあの味が恋しい。そんな感傷が過ぎった。
「……すまなかった」
「いえ。僕も言い過ぎました。けど怖かったんです」
咳払いをした秘書の顔は悔しさで滲んでいた。勝負はついた。だから。
「確約できる何かを俺は君に渡せない。だが」
「信じます」
再び秘書の顔が歪む。確約できる何かを渡せない、だが“それ以上の確証”を得てしまった。それを提示したのを彼も理解したからこそ僕の眼前でそんな顔をしているのだろう。
「……君が路頭に迷い、何処かで魔物の餌食にでもなることを願うよ」
「随分と物騒なことを言いますね。それじゃあ隠していた情報が何処かに送られてしまいますよ。連絡が取れずに」
「送られたところで君のような存在の情報を信じるかは別問題だ。……ついでに“証拠が本当は何処に存在するか”も、な。それに……君が財閥に仇を成す存在じゃないのは理解している。ただの矮小なごろつき以下だと認識している。力も無く後がない任務をしくじりおめおめと逃げ出す哀れな存在だと俺は知っている」
「酷い言い様だ」
「本当に後がないからこそ、釘を刺しにきた。自分には何もないと認識した人間は愚かにも凶行に走りやすいからな。本当に何もなくなった人間の回るだけの口に乗ったのを、人生で二番目に反省しているが」
秘書が思い切り音を立てて立ち上がる。照明を隠し影が僕の顔に落ちた。
「これ以上の情報は絶対に公開しません。……する必要がないので」
「ああ。わかっているさ。できないのだろう?」
黒い財布を再びポケットから取り出す。乱雑に紙幣とコインを置いた。
「餞として奢ってやろう。では」
「素敵な負け惜しみをありがとうございます」
秘書の手が固い握り拳となるのを僕は見逃さなかった。
「……後がない連中とは本当にどうして口だけは回るんだ。ロートもこいつも」
地を這うような嘆きが、たしかに僕の耳を打つ。
一つ瞬きをすれば、男は目の前から消えていた。
「後がないのは百も承知だっての」
乱暴に誰に聞かれるでもない言葉を吐き捨てる。ハムサンドをもう一口胃に収め、僕は背もたれに寄りかかると盛大に溜め息をついた。
「一番の反省はロートに仕えたこと、かな。聞けばよかった」
“財閥を守るため”の監視役だったのだろう、あの男は。いけ好かない奴だがその苦労は計り知れない。ほんの少しだけ同情した。
「……エレノア」
両手で顔面を覆う。ドッと汗が全身から吹き出す。想像以上に緊張していたらしい。
息を吐いてマグカップに手を伸ばす。カラカラになった口を潤した。
「大体の状態は把握できた……かな」
かつてエレノアの鼻を明かそうと息巻いていたような薄暗い愉悦は一瞬で霧散した。そもそも今回は情報を引き出すための安い挑発だ。彼の言うとおり本当に後がなくなった僕の唯一の関心を満たすために随分と無茶をしたと我ながら思う。
彼は僕を始末するメリットはないと言っていたが、何も始末でなくても腹いせに暴力を振るわれる可能性は纏わりついていた。あれ以上やれば店を出た途端殴られていただろう。最悪、魔導書を持ち出されていた。
汗ばむ額をハンカチで拭う。そして腕を組んで目を閉じた。
第一にフォルセーラ財閥側は既に完全に僕を無害──正確には取るに足らない矮小な存在だ──と認定し、放置すると決めた。僕“ごとき”にこれ以上財閥を揺らがせるのは不可能であり、今回の件は馬鹿息子ことロート・フォルセーラにお灸をすえるための苦い経験として利用する。それを伝えるために接触してきた。つまり、縁を切ると一方的な宣言をしに彼はやって来た。僕を始末しない代わりに二度と顔を見せるな、と。無力だが、脅迫だった。何も僕にできないのに、脅迫の体を成していた。だが僕からしてみれば身の安全が保障された瞬間だった。今後僕はフォルセーラ財閥から命を狙われない。ロート・フォルセーラという馬鹿息子に踊らされた哀れで無力な被害者で済むのだ。代わりに計画そのものが白紙となった。もう二度とフォルセーラ財閥は僕を雇わない。僕が仮に次に何処かで秘書に会おうが“初対面”として振る舞うだろう。本当の意味でエレノア殺害計画はここに幕を閉じたのだ。……そんなもの端から存在していない、開ける幕もなかったという結末で。
そしてそれは同時に目の前の話題の中心を引き起こしたのが僕ではなく、エレノアだと把握しているのを意味する。証拠を集めたのは僕だ。だが、それを上手く利用し彼女が独自に調べ上げていた全てを加え、現状を生み出したのは間違いなくエレノアであるとフォルセーラ財閥は確信していた。更に僕が現在“流出したら問題な記録入りの”魔具を所持していないのも知っているのだろう。
溜め息が漏れる。あの男の態度からも丸わかりだった。彼は僕への絶縁宣言よりも……僕とエレノアがどういう関係で着地したかを確認しに来たのだ。
仮に僕がエレノアに指示を飛ばせる立場なら、僕の気分次第でフォルセーラ財閥は更なる苦境に立たされる。僕という矮小な一冒険者ではなく、何らかの方法で財閥と対等に渡り合えるエレノアから致命的な情報をちらつかされるのだ。
結局僕とエレノアの間に何があったのか、関係性をどう理解して帰ったのかはわからない。ただ、確実なのは。
無邪気なエレノアの笑顔が浮かぶ。彼女は人間だ、魔王では決してない。だが。
つまりは、僕自身とフォルセーラ財閥は共に今回の件では無力なのだ。
全てをエレノアが掌握している以上、互いに出せる取引の材料が存在しない。だからあの秘書はお願いするしかない。僕も証拠なき虚勢を張るしかない。それを理解しながらも秘書は、フォルセーラ財閥は騙されるしかない、のだ。
歪な信用が作られていた。互いに相手を信じるしかない状況を僕とフォルセーラ財閥は作らざるを得ないのだ。
手のひらの上。一人勝ち。そんな単語が浮かび、僕は拳で机を叩く。
エレノアの無邪気な笑顔が歪んでいく。そんな表情を一度たりとも僕に見せてはないのに、嘲笑を浮かべ冷たい言葉をその薄い唇から吐き出す。
世界から音が消えていく。唇がゆっくりと開き──。
──世の中に認められたいならちゃんと手段は選びなさい! この大馬鹿! 反省してやり直しなさい! 馬鹿!
ハッと目を見開く。騒めきを取り戻した世界の隅っこで僕は齧りかけのハムサンドと飲みかけの珈琲、そして手付かずのふんわり卵と海老のホットサンドを視界に入れる。
香ばしい匂いが鼻腔を擽る。鼻で息を吸う。そして口から吐く。
もう、幻想のエレノアは冷たく微笑んでなんかいなかった。
「ああ、もう。何だよ……」
代わりに呼び起こされたのはあの血生臭い廊下での幼稚な悪口。彼女の怒りが込められた、何とも馬鹿らしい。
「本当に、何だよ」
だからこそ気づいてしまった。
僕がこんなにもエレノアのことを考え続けている本当の理由を。




