5-15 あなたが信じていた本当のこと
5-15 あなたが信じていた本当のこと
歯を食いしばったエレノアの苦しげな顔を僕の瞳が映したのは一瞬だった。
バタン、と大きな音がした途端、衝撃。それから身体が浮いたような感覚があった。
「ぐっ……ぐううッ?」
エレノアではない。僕だ。僕の口から息と共に情けない声が漏れていく。どこにも踏ん張れない身体が大きく傾き堪らず目を閉じた。急降下。生温かい何かが顔に付着したと思えば鉄臭さに思わず噎せる。そして生温かい何かが付着した左半身と、反対の右わき腹にも衝撃が走っていたことにようやく気づく。遅れてきた痛みが左右の半身を襲う。痛い、痛い──!
目を恐る恐る開ければ視界が赤に染まる。エレノアの、血だった。僕は何らかの衝撃で身体を吹き飛ばされ、エレノアの血だまりに左半身から落下したようだ。
「魔法は……」
捻り出した声は血液と共に吐き出された。
「魔法は効かないはず」
「魔法は直接あなたに効かないわね。でも例えば垂直落下……まああれは厳密には垂直落下じゃないけど、とにかくただ降ってくる薬のように魔法じゃない物体はあなたに届く」
玄関の! 歯噛みしていれば隣でエレノアが寝転がっていた。首を捻り、血の海の中で青白い顔だけがこちらを向いている。
起きなければ──! 僕は腹筋に力を入れ折れた剣を取りに行こうとした。何としてでもこの魔王を仕留めなければならない!
足に鈍い痛みが走る。
何故か僕が破壊したエレノアの部屋の防犯装置が、物凄い力で右足を圧迫していた。
「つまり魔法じゃない攻撃には無力なのよ、その鎧。例えば魔法で火を放ってもあなたは燃えないけど、バケツで石油をかけてマッチを放り投げれば燃えてしまう。……魔法でマッチを投げた場合、魔法の威力……放物運動は鎧で無効化されるわ。でも無効化するよりも速く、つまり無効化する速度よりもマッチにかけられた魔法の等直線運動が速ければあなたに物体は届く。ただそれだけのこと」
ハッとして視線をエレノアの向こうへずらす。エレノアの自室の扉が何故か開いていた。あの自室から壊れた防犯装置が物凄い勢いで飛び出し、僕の脇腹を狙い、そして足を挟んでいるのだ。
でも。何故? エレノアが今使える魔法は器の魔法だけだ。ちょっとした物体を支えるだけのちゃちな魔法で、物体を飛ばす力はないはずだ。
「フィンレー」
起き上がれないか、流石に。苦々しげにエレノアが呟く。僕達は殺し合いの最中に互いに横に並んで仰向けになっていた。血塗れで。
「あなたが世の中に何を求めているか、よくわからないわ」
「……今から死ぬ君にわかってもらう気はないよ」
「でも二つだけ言いたいことがあるの」
呼吸に雑音が混ざる。ざらついた声。ロート・フォルセーラの甘く鋭い声とは正反対の、それが魔法以上に僕をこの場に縫いつけていた。
「あなたは最初から選んでいたのね。ここに来る前から、ロート・フォルセーラに会う前からずっと生き方を選んでいた。多くの人間に愛されたい、憧れられたいって夢見てたのね」
「説教? ああ! そんなの聞き飽きてんだよ! 不特定多数に何の理由もなく、ちやほやされたいなんて幻想を捨てろって? 周囲の友人や恋人に深く愛され、愛する真の幸福を手に入れるよう努力しろって?」
「別に。少なくともあなたが選んだ幸福の在り方は“不特定多数にちやほやされたい”なんだ。一緒に暮らしていた私も、碌でもないとはいえあなたに手を差し伸べたロートを裏切っても……他者を踏みにじってでも叶えたいと強く願っているんだなって思っただけよ」
「この状況でよく……嫌味が言えるね」
予想以上に脇腹への一撃が大きかったらしい。小さく咳き込めばまた鉄の味がした。臓器をやったのではなく、口内が切れただけなのは幸いだった。
「純粋にそう思っただけよ……ただ、嘘をついてるでしょう」
嘘?
「ふざけるなよ。やっぱり否定したいだけじゃないか……。僕の幸せを嘘と」
「私のこと、本当は魔王だなんてちっとも信じてないでしょ」
ゾッと冷たい衝撃が全身を貫いた。目を皿のようにしているであろう僕の顔をエレノアが呆れたような、この期に及んで情けをかけているような顔をして見つめている。馬鹿にされているのではない、と理解してしまったのが運の尽きだった。
「魔王に決まってるだろ。何でも見透かして、こっちの意思を誘導して、全てが上手く行くと信じてるその傲慢さは」
「違うわ。私のことを人間だと思っている。エレノアって人間だとずっと信じてしまっている。だから怖いのよ。そうじゃない時もあったんだろうけど、この家にいて不安を感じたのは主に家鳴りがする時だった。それは家鳴りにより不安を煽られた結果、私を殺害する近い未来を、現実を考えてしまうから。そしてその度に私を人間だと理解してしまっていたから苦しいのよ」
ざらついた声が鼓膜を、心を撫でる。不快さに声を上げたかったが咳となり消えていった。
「また傲慢って言われるのかしら。でもね、フィンレー。私はあなたとの一カ月間のこの生活が楽しかったし、あなたも楽しんでくれていたと思ってるの。だからこそ信じたくないんでしょう。一カ月間の同居人が魔王だった。あなたを苦しめた魔物と同類の存在だったって。ところが私を人間とするとあなたの夢と矛盾が出てしまう。策を用意しているとはいえ、あなたの一番の目的は絵本のように魔王をどうにかして英雄となることだわ。だから私が人間であると困るの」
「何言ってるんだ、だから君は」
「いいえ。人間よ。そしてあなたは自分で証明してしまった。何をしてでも英雄になると決めてしまっている。あなたが一番理想とする英雄になるのに一番必要なのは“アイネの実じゃなくて魔王なの”。でも気づいてしまった。魔王が本物である必要は全くない。偽物であっても世の中が信じてくれれば問題はないのよ。ロートから証明の仕方を学んだのでしょう。それ以上に証明をしてくれる操り人形であるロートを手にする術も手に入れている」
「やめろ!」
エレノアと同じようなざらついた声が出て、腹が痛む。エレノアは止まらなかった。
「だからあなたは選んだ。悩んだ末なのか、初志貫徹したのかはわからないけれど、自分にとって一番都合のいい真実を作ろうとして今こんなことになっている。一線を踏みにじってしまえば全てあなたの理想どおりになると理解してしまった。そう──殺すのは人間のエレノアでも構わない。世間から魔王と信じ込まれる予定の“人間のエレノア”を殺してなり上がるともう決めてしまっているのよ」




