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5-14 真の切り札

5-14 真の切り札


「信じたくはなかったよ」

 互いの息遣いだけの空間を引き裂くように僕の声が響く。

「君が魔王だと聞いた時も、ここに来てからもずっと君が魔王じゃない理由ばかり探していた。君がただの献身的で、お人好しな人間だって信じたくて何度も何度も考え続けていた。全部わかり切ったような傲慢な態度も君の優しさが支配的に向かっているだけだと思いたかったし、全てを見抜きこちらの行動を操るような素振りもちょっとだけ勘が良くて、親に玩具を買ってほしくて『皆持ってるから』なんて可愛らしい嘘をつくようなずる賢さだと信じたかった。でも」

 鉄の匂いが鼻をつく。僕の下で浅く、でも規則的に呼吸を繰り返す存在は沈痛な顔をしてこちらを見つめていた。

「でも……駄目だった。今日までずっとそうじゃない理由を探して沢山作ったけど、君が魔王である理由が、たった一つの理由が大き過ぎる。君のその魔力や性格じゃない。君と向き合っていて時折感じる威圧感だ。心臓を鷲掴みにされているような、鳥肌が立って歯がガタガタなり震えそうな恐怖。そう……“特にこの家に来てから家鳴りがする時に”何度も味わったんだ! ロートさんの言うとおりだった。会えば、わかる。本当だ。君は……魔王なんだね。もう“本当の”エレノアは殺され、エレノアの振りをしている、魔王なんだ」

「……違う」

 吐き出し切ってしまえばどっと疲労感が押し寄せてくる。そうだ。今現在も家鳴りはしないが僕の身体ごとまるで大きな手の平で握りしめられているような閉塞感に襲われている。僕が圧倒的に優勢に立ち、ちょっと首に当てた手にしばらく力を込めるだけで、目の前の女性は死ぬのに、だ。

 何度もそれを味わっていた。家鳴りにあそこまで怯えたのも、ロートの言うとおり魔物を飼っている可能性を信じただけじゃない。音と共に監視されているような感覚に襲われたからだ。お前をずっと見ているぞ。機嫌次第でいつでもその首を刎ねられるぞ、と命の危機を突きつけられた気がしていたからだ。

「一応否定しないといけない状況よね……私は人間よ。魔王じゃない」

「そんな口から出た言葉だけで信じられるわけないだろう」

「でしょうね」

 やっぱりとエレノアが小さく首を捻り溜め息をつく。そうして血の海の中で弱々しく言葉を紡いだ。

「ロート・フォルセーラ。信じない方がいいわ。あいつの評判の悪さは……知ってるでしょう」

「君よりかはいいよ、エレノア。魔王だった君よりは信頼できる」

「……あなたとロート・フォルセーラの関係やどんな約束がされているかはこの際どうでもいいわ。でも言っておく。ロートは碌でもない奴よ」

「あの低俗なゴシップ誌の話かい」

「今までのあいつの興して潰してきた事業の数と種類。ニュースにもなっているわよね。それからあなたが裏の世界で生きてきたなら知ってるでしょう? これ以上の様々な根拠を」

「それも君よりかは、だ」

「だったら尚更よ。あいつは平気であなたを裏切るでしょうね。良い顔をして言葉を巧みに操りながら心にもないことを言って」

「……そんなの知ってるさ」

 小さな呼吸と言葉が一瞬止まる。僕はその隙に言葉を挟んだ。

「君を殺しに来る前にこの魔導書の使い方の訓練があったんだ。影でロートさんに何て言われてたと思う? 『英雄になんてなれるわけがないだろう。絵本を信じて馬鹿馬鹿しい』『あいつが“エレノア”殺害に成功したらその威光を利用するだけだから煽てておこう』『失敗しても使い道がある。寛大に許せばあんな奴簡単に心酔させられるさ。元々汚らしい世界を生きてきたんだ。何でもやってくれるだろう』『下請けの連中も下手くそな真似をしてくれた。もっと気をつけろと言ったのに。処分に手間を取らせやがって』『死んだらそれまで。今から私とあいつの繋がりを示すものは森に向かわせたら全部処分しろ』……面と向かっては『君が誰よりも英雄を望んでいる目をしてるから選んだ』と言っておきながら。もっと聞きたい?」

「……フィンレー。それじゃあ下請けが何をしていたかも知ってたのに、あいつは放置してたの? 何でそれでも」

「言ったはずだ。それでも僕にチャンスを与えてくれた人間だと」

「チャンスじゃないでしょう。それこそ利用するための発言じゃない」

「わかっている! だから」

 片手をエレノアの首にかけたまま、僕は鎧と服の隙間に右手を突っ込み小さな紙を取り出す。紋様が複雑に描かれたそれを見てエレノアが「まさか」と唇を震わせた。

「魔具? それって」

「裏の世界の作法に精通しているのはこちらだ。これにロート・フォルセーラのエネルギー工場について部下との会話、他にも様々な口を滑らせていた発言を記録してある。この魔具、高かったんだぜ? でも僕だって後がないんだから全財産を突っ込んで購入した。相手の弱みを常に握り上に立つためには隙を与えちゃいけない。ロートさんはそれを理解していなかった。ただのごみ溜めから這い上がろうとしてきた一介の冒険者だと油断していたんだろうな」

 得意気に取り出した魔具は簡単に言ってしまえば記録に特化したノートだ。ただし、音声だろうとその場の光景だろうと込められた魔法によって全て記録する。そして一番恐ろしいのはその記録は改竄が記録を取った本人にも不可能な点だ。つまり、特殊な手順を取って破壊しない限り一生モノの記録として残ってしまうのだ。当然、こんな悪用が可能な魔具が通常の市場に出回るわけがない。だから使用権限を持つものは限られていて、警察が殺人事件が起こった現場で調査を行なう時のように公的な権力が関わってくる。許可なく所持しているだけで罪に問われるが、僕はこれを魔王退治ではなく、ロート・フォルセーラ向けの切り札とした。僕の罪とロート・フォルセーラの罪を比べたら天秤はロートに傾く。僕も処罰されるが、情状酌量の余地があると見込んでの判断だった。

「だからロートさんに感謝はしちゃいるが、心酔はしてないんだ。僕を認めず褒めたたえない奴なんて信ずるに値しない。いざとなったらこれを使い屈服させる」

「そんなもの、ただの捨て身、心中じゃない」

「そんなロマンチストじゃない。これを使用し告発した時点で僕は犯罪者だろうけど、世間の誰もが同情してくれるだろう。“哀れな冒険者の勇敢なる告発”と。そこを足掛かりにして僕は成り上がる。多少手が汚れても拭き取ってしまえばいいんだ」

 そう、後がないのは一緒だが僕には真の二重の策があった。この件で魔王を倒し英雄になる、あるいは末端の馬鹿息子とはいえ大財閥の悪行を告発し英雄になる。後がないからこそ、慎重に念入りに僕は自分を輝かせるための策を張り巡らせた。逃げ場はない、逃さない。

「ロートさんはね。“アイネの実”だったんだ」

「フィンレー、何を」

「冒険者ノクスにとってのアイネの実。あれがなければあいつは英雄なんてなれやしなかった。僕にとっても同じさ。千載一遇の好機。どんな理由があろうと僕が英雄になるために手を差し伸べてくれた。だから僕は裏切れなかった」

 相手が裏切ってくるなら話は別だけど、と付け足す。見ればエレノアの瞳がぼんやりと僕を見上げている。精彩を欠いている。余りにも失血が多いのだろう。

 このままずっと会話を続けていればエレノアは死ぬ。何もできずにこの魔王を倒せるのだ。気分が良い。僕は熱に浮かされたように続けた。

「きっと。というより君の指摘は間違いなんかじゃない。ロートさんの真の目的はアイネの実なんだろう。アイネの実ついでに魔王を倒せたら、なんて本末転倒もいい私利私欲で僕を利用している。欲しい理由も女に送るとか、あの週刊誌どおりのそんなものだ。世界平和のための兵器開発に使用するとか言ってたけど、一カ月後にはあの男の隣に並ぶ女性の指輪には光り輝くアイネの実があるんだろうね。だからさ」

 ぐっと顔を近づける。僕の前髪がエレノアの血塗れの額に当たった。

「食べちゃえばいいんだよ。“アイネの実”を。食べて逃れられないように……一つになってしまえばいい」

「食べる? アイネの実は可食できな……」

「煩いなぁ。比喩ってわからないの?」

 紙型の魔具をしまうと腹いせにエレノアの喉を押す。ぐえ、と何とも言えない声が響いてくつくつと笑みが漏れた。あんなに澄ました顔をしていた魔王がぐえ、だなんて!

「ロートさんは僕にとってのアイネの実、つまり好機、チャンスなんだ。人間に与えられる人生を逆転するための権利さ。人生とはそれを掴めるかどうか、掴んで利用できるかだと僕は思っている。でもさ、チャンスは逃げてしまうんだよ。手に入れても指の隙間からこぼれ落ちてしまう」

 上体を起こす。ロート・フォルセーラが碌でもない悪党で僕の好機を利用しようとしたように。現実の“アイネの実”は手にしてからどうするかが、重要だったのだ。

「だったら。取り込んでしまえばいい。利用して必要な部分だけ……ロートさんが持っているありとあらゆる権利や富を利用して、そして奪い取るんだ。ねぇ。僕が生きてて今まで足りなかったのはそれなんだよ、エレノア。僕は強欲になれていなかった。奪い取ってでも自分の夢を叶えようとしなかったのがいけなかったんだ。学生時代、僕の夢を馬鹿にした奴等を全員殴りつけて言うことを聞かせ利用すべきだった。そんな強い意思が必要だったんだ! 魔法学園に通っていた時もそうだ。僕を評価しなかったあの教授! 弱みでも握ってライセンスを勝ち取れば良かった。奪って相手の力を僕の力とすればこんな遠回りしなくてよかったんだ!」

「それはあなたの力でもチャンスでもない。ただ暴力を振るって従えているだけじゃない。強い意思? ふざけないで、ただの暴力に格好つけた名前を」

 パン、と乾いた音が響く。エレノアの頬が赤く染まる。ゾッとする快感が背骨を突き抜けていった。ほら、何も間違いじゃない。

「……馬鹿じゃないの」

「負け惜しみはいいよ、エレノア。現に今、君はもうすぐ死ぬし、僕は英雄になろうとしている。そう。チャンスを、皆の“アイネの実”を奪って僕の物にして、“僕自身がアイネの実になれば”良かったんだよ。僕自身がアイネの実なら、それは英雄と同義だ! 誰もが僕を見て讃え、頭を垂れる。僕自身が誰かにチャンスを施す存在になれば皆、僕に憧れるしかないんだから!」

 目を閉じて息を深く吸い込む。とろけるような感情が身体から漏れていきそうだった。恍惚。快感。ごちゃ混ぜになった心地良い感覚が身体を癒してくれる。

 幼い頃からずっと考えていたんだ。僕は自分だけの“アイネの実”を探して生きていたのに、自分の内にも“アイネの実”がある気がしていた。外の好機と内の好機。降ってくるチャンスを待てばいいのに、何故自分の中にもあるのだろうと。

 でも全て解決した。ロート・フォルセーラから裏切られた瞬間、全てを悟ったのだ。

 アイネの実とは他者から奪い、自分の中で育てるもの。チャンスとは自分以外の全てを踏みにじり奪い取って抱きしめて育てるもの。心の奥底のアイネの実が大きくなっていく。外と内が一つとなる。

 これからだ、お前が輝くのはこの目の前の──

 ああ、失血死を待つのは止めだ。もう待てない。奪わなければ。

「だから君は魔王として死んでくれ。エレノア。どうか魔王として!」

 両手を首に添え、力を込めた。


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