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5-13 取引 その3

5-13 取引 その3


「では、続きの話をしてもいいかな」

 頷けばロートはホッとしたように張りつかせた笑顔を浮かべていた。

 最善を尽くす。絶対にチャンスを逃さない。僕は吐き気のする真実の可能性、つまりロートの言うとおりエレノアが魔王である方向に思考の舵を一端切り、書類のとある箇所を指差した。ここからはまた、目の前の“アイネの実”すら疑いながらの攻防だった。

「……これをエレノア殺害の手段に組み込めないかと」

「アイネの実をか? 言っておくが優先順位は」

「エレノア……魔王の殺害が第一。アイネの実の取得が二位でいいんですよね」

 引き攣った唇を大きく動かしゆっくりと尋ねる。凝視したロートの表情は崩れなかった。

「当然だ。アイネの実は未来のために必要だが、何より大切なのは魔王の討伐だ。現在の安寧なくして何が未来だ」

「では最善は尽くしますが、魔王を倒すのにアイネの実が必要となったら使用してもいいと。かつてのノクスのように封印とまではいかなくとも、魔力を奪うのは可能なはずですので」

 手に入らなくてもいいんですよね。簡単に言えば僕は彼に鎌をかけた。冒険者が依頼主と契約を交わす時のように真剣に、しかし当たり前のように笑みを浮かべる。照明を反射し輝くロートの瞳から視線だけは逸らさない。この優先順位は重要だ。英雄になるために浮かれているだけでは駄目だ。目の前に“アイネの実”があるからこそ慎重に見極めなくてはならない。後がない最後の大逆転チャンスなのだ。相手が悪魔だろうと構わないが、何処まで心を許すかの線引きは知っておくべきだ。

「構わないよ。アイネの実はまた探すだけだ」

 表情は変わらなかった。つまり相変わらず張りつかせた笑顔のままだ。僕は──

「良かったです。それなら僕なりに考えた作戦を聞いてもらえますか」

 疑わしいが信じる。僕は一人納得し、脳に膨らむ優先順位の疑問を一先ず隅に追いやることにした。これくらいの裏ならお互い様だ。もう付いて行くと決めたのだ。

「ではまず──」

 それから僕はロートに思い付いた作戦を提示した。

「よく言うじゃないですか。嘘は真実に混ぜろって。本当に隠したい心臓以外は寧ろ真実を伝えてしまう。相手が姑息な魔王な以上、こちらもそれを利用するくらいでなければならない」

「それは経験から学んだのかい?」

「ええ。そうしなければ裏の世界では生き残れなかった」

 僕が説明した作戦はこうだ。森の中に住んでいるエレノアの薬局をアイネの実を探している冒険者として訪問する。アイネの実を探している。この森の奥ならあるんじゃないかと足を踏み入れたら薬局があったので訪ねさせてもらった。何か知らないか──そう取り入るのだ。そしてその正体はアイネの実を獲ってくるように脅迫されている盗人だ。エレノアの薬局にアイネの実があるのを知り、“アイネの実を追い求めて旅をしている冒険者の振りをしている人間”である、という設定だ。

「アイネの実が目当てなのを明かしてしまうと?」

「原則はアイネの実を探している冒険者で押し通します。多少矛盾があろうと訳ありの振りをすれば大抵の人間っていうのは触れないでいてくれるんです。少なくともエレノアを演じている魔王なら必ず」

「脅迫されている、という設定は必要なのか」

 当然の疑問を口にしてきたので、してやったりと僕は声を潜めて続けた。

「順を追って説明します。……今回の作戦の切り札なんです」

「そうか。では理由は一先ず置いておくとして、誰に脅されていることにするかは」

「今日、拷問を受けた連中ということにします」

「……では彼等の“処分”は少し待とうか。嘘には真実を混ぜるのがいい、のだろう。なぁに、心配はいらない。色々と私から聞きたいこともあったからな。十二分に利用してくれたまえ」

「ありがとうございます。で、エレノアなんですが」

 ロートが用意した資料にはエレノアの性格や評判についても記載があった。曰くお人好しで献身的。なんともまあ“お優しい”女性を演じているらしい。

「基本的には一番安全な手段を目指そうと思います」

「と言うと?」

「譲ってもらうんですよ。アイネの実を。エレノア本人から」

「何だって!」

 ロートが今日、初めて驚愕から声を張り上げた。いい気味だと内心ほくそ笑む。

 やはり運が巡ってきている。上から見下ろしてきている連中の喉元に手が届きかけている。僕でも鼻を明かしてやれるのだ。ストローで薬湯と共に唾を嚥下した。

「譲ってもらえるよう交渉します。書類によるとアイネの実のサイズは問わないんですよね。だから一番小さいのを、金でも労働でも何でもいいから対価として払い彼女から直接貰うのです。オルナ町に暫く宿泊し、毎日エレノアの薬局へ通い、交流を深める。最初は首を横に振ろうとも付き合いが深くなれば心も緩む。本来の目的である指針になるとは思いませんか? アイネの実を譲るに値する程の関係性というのは、それだけこちらに心を許し、隙を作っている証拠だ。それにエレノアが本当に魔王か見極めるのにも最適だと判断します」

 ロートが眉間を中指で押さえる。うんうんと呻きながらもう片方の手で書類を手にした。

「エレノア……魔王は今でも少なくとも僕より遥かに強い魔法使いだ。器の魔法使いになっているのだから。だからこそロートさん。貴方は騙し討ちを考えた。それならアイネの実自体を騙し討ちが可能かどうかの指針にしてしまうのが一番だと思います。あんな希少価値の高い物を“何も知らない他人”に譲るとは思えない。貴方の望みも叶えるのにも最適解じゃないですか」

「……そうだが」

「成功しないと?」

「いや、それだと脅迫されているという嘘はやはり必要ないのでは」

「必要ないと信じたいですが、相手は魔王だ。だからもう一つ特大の罠を張る。切り札を用意しておく」

 語尾が震えた。興奮している。目の前の偉そうな男も魔王も僕の術中に踊らされる可能性に酩酊しそうになっていた。僕を認めなかった者達のせいで僕は裏の世界に転落し、そこで嘘のつき方を学んだ。皮肉にもその技術が僕を英雄に押し上げようとしているのだ。これを興奮と呼ばずに何と呼ぶのだろう!

「どんなに優れた曲芸師だって命綱はつけるでしょう。それと同じで僕も第二の策を張り巡らせる。もし何らかの不測の事態が起き、僕がアイネの実を探し求めている冒険者ではない、とエレノアにわかってしまった時、謝罪として口にする。散々抵抗して言い訳を重ね、万事休すといった時に告白する。『すみません。実は僕は脅されて貴女のアイネの実を盗みに来た犯罪者です』と。嘘の先の懺悔を、更に嘘にしてしまうんです。嘘を看破された後に“申し訳なさそうに明かした内容が嘘だと”人は見抜きにくい。『実は』と告白すれば真実だと思い込んでしまうものなんです」

「……素晴らしい」

 ロートの声も震えていた。

「見込んだとおりだ。清濁併せ吞み、目的のために手を打てる」

「先程から伝えているようにあくまで切り札、できれば使わない方がいい最終手段ですが」

「ほう」

「……僕が第二の嘘を開示する時にはもう、エレノアと気の置けない仲になっている想定です。でも誰だって“脅迫されて盗みを働かされそうな友人”にアイネの実を渡そうとは、思わないでしょう。友人が脅されていたらその場しのぎの手助けではなく、何とかしてやろうと思うのが普通なんです。だからこのカードを切った場合、譲ってもらうために“もう脅迫者にアイネの実を渡すしか道がない”と盛大にアピールしなければならない」

「無駄な労力は割きたくないものだからな。だが有効……正に切り札だ。騙し討ちには適している」

「はい。僕達の目的はあくまで魔王を討伐し、アイネの実を奪うこと。僕の作戦だとアイネの実を譲ってもらった後に、魔王討伐と順番が変わりますが二つの嘘を用意しておくのがいいと考えます」

 嘘だった。僕はただ己の嘘で魔王兼器の魔法使いにも、目の前の男にも「ざまあみろ」と言ってやりたいだけだったのだ。完璧な裏の技術という名の演技で。先程から続く内なる興奮に身を任せているだけなのだ。

「……なら私を使うといい」

 ロートが両手を合わせ乾いた音が響いた。

「そこまで考えているなら私ができるのは“命綱”の強化だけ。……魔王討伐に後が共に無い身。フォルセーラ財閥の名を使いなさい」

 今度は僕が目を見開く番だった。

 ロートは僕に降りかかった悲劇をそのままいざとなったら使うように進言してきた。要はフォルセーラ財閥が行なっている工場開発事業の下請けの件でこんなことになっていると、そのまま言ってしまって構わないと提案してきたのだ。

「ニュースと結び付ければ一層真実味が増す。……というより下請け企業からの脅迫と目的以外はほぼ事実と変わらないのだからそれでいい」

「僕が心配することではないですが、それは」

「おいおい。これでも天下のフォルセーラ財閥だぞ? 問題の一つや二つ黙らせてしまえる力だけは備えている。それに」

 軽薄そうに歯を見せた。あの下劣な週刊誌が延々と書き連ねてきた記事は間違いではないのかもしれない。

「証拠となる“エレノア”はいなくなるのだ。いくらでも財閥の醜聞をまき散らしてきたまえ」

 とにかく僕は正義とはかけ離れた後ろ盾を得たのを確信した。そしてその後も二人だけの作戦会議は続いたのだった。

 そして。

「では明日から治療と、それから完了し次第、討伐に使う魔導書の訓練に入る。再度確認だが……魔導書は」

「一番威力の高いので結構です。英雄は時に死を恐れない生き物です」

「気をつけてくれよ。これから訓練担当の者からも言われるだろうが魔王は魔物を操る。“エレノア”の家に魔物が潜んでいた場合、威力の高い武器だろうと関係無いからな。こちらが騙し討ちされてはお終いだ」

 ロートから魔王討伐のため、本来僕のライセンスじゃ使えない魔導書を渡すと言われた。君なら扱える。間違っているのは君の才能と努力を無碍にした学園であり、資格制度だと。かつて路地裏で汚らしい笑みを向けてきた男と同じ台詞を吐く。

 ああ、そのとおりだ。僕には資格がある。チャンスがある。“アイネの実”を手にしたのだから。

「最後に三つだけ質問させてください」

 「どうぞ」とロートは目配せをして促してきた。

「フォルセーラ財閥を始め、国家が血眼になって探しても見つからなかったのが魔王です。つまりエレノアはただの人間にしか見えない」

「特殊な魔力の流れを探知する魔具の精度を上げ、漸くだな。これもいつ対策されるかわからない」

「……僕は、あなたの力になりたい。エレノアが魔王かは僕自身で見極めさせてもらいますが僕の夢を叶えてくれる、引っ張り上げてくれる貴方に報いたいのです。だから今も“エレノアは魔王である”前提で話を進めていた」

「光栄だよ」

「だからこそ、些細な疑問を潰しておきたい。……“エレノア”は討伐したら、殺したらどうなるのでしょうか。人間の姿をした化け物を真っ二つにしても、傍から見れば“人間の死体”だと思うのですが」

「何だ、そんなこと」

 ロートは困ったように眉を下げた。

「当然の疑問だね。けど大丈夫だ。魔王とはつまり意思を持った魔物。魔力の塊の突然変異だ。魔物を斬った時を思い出してほしい。黒い霧となり分解され、空気中の魔力と結合し消滅するだろう」

「つまり斬っても死体が残らない」

「魔物が消滅した後の魔力痕、それも特大のが残るだろう。それこそが彼女が人間ではなく魔王だった証であり──誰も君を殺人犯とつるし上げない理由となる。更に」

 一拍置き、頷いた。

「冒険者は魔物討伐後、魔力痕に向かって魔具を使用し魔力エネルギーとして回収する。魔物討伐は民の安全を守るためだけでなく、魔力エネルギーの確保にも役立つ事業だ。そして魔王は通常の魔物よりも遥かに濃度が高く、莫大な魔力エネルギーを有している。君の剣に、鎧に回収用の魔具を組み込んでおく。通常の魔物では有り得ない魔力エネルギーを纏った君を誰も責められないどころか讃えるだろう。それこそが魔王が実在した証明でもあり、君が私設騎士団の若き英雄としての道を踏み出す第一歩となる。大騒ぎになるぞ。君と私で世界をひっくり返そうじゃないか。魔力という疑いようのない真実が君をあらゆる疑念から守るだろう……二つ目の質問の回答にもなったかな」

「バレていたんですか」

「君の立場なら当たり前の疑問だからね。質問がなければ私から補足するつもりだったよ」

 何だかばつが悪くなり僕は居住まいを正す。

 僕が恐れなければならないのは尻尾切りだった。魔王を倒したところでほぼ完璧に擬態しているのであれば第三者から見ればただの殺人にしか見えないのではないか。そしてそれは僕だけが不幸になる、そんな結末への一歩になるのではないか。だから証明が必要だった。僕はエレノアではなく、魔王を討伐した。人間を殺したのではなく、魔力の塊の変異体を消滅させ、僕こそが世界を救ったのだという揺ぎ無い証拠が。世間に信じさせる証拠が。

 それすら見抜かれていたとは、目を伏せていればロートがまた甘い声でクスクスと笑った。

「気にしないでくれ。寧ろ警戒心と客観性を持っている点で評価が上がったよ」

「その……最後の質問内容は正にそれなんですが」

 これが最後のそして最大の疑問だった。何度もロートはそれらしいことを口にしている。けれど、どれも心から信じられない弱々しい理由だった。

 確固たる理由がほしかった。

「何で僕を選んだんですか? 他に魔王と戦える人間なんて無限にいるでしょうに」

 僕だけを選んだ理由がほしかったのだ。


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