5-12 取引 その2
5-12 取引 その2
「何百年も姿を隠していた魔王だが遂に尻尾を掴んだ。それがこいつだ」
紙束から一枚の写真がローテーブルの上に滑り込む。首を前に出し覗き込んだ。
「この……この人が?」
「人じゃない。魔王だ」
顔を一度目の前の男に上げれば言葉を一言発して、真一文字に唇を結んでいた。もう一度見下ろす。
明らかにこちらを向いていない盗撮である写真の中央に、若い女性が写っていた。
「彼女はエレノア。所謂、器の魔法使いだ。魔法学校の通常四年かかる課程を一年で終えている。だからまあ、通常の器の魔法使いよりか若く見えるだろうね」
「こんな女性が」
「おいおい。ちょっとばかし見た目が可愛い女だからって怖気づいてしまったか。外見だけだ。魔王が攻撃されぬよう、好かれるように作り上げた姿。恐らくだが本来のエレノアは幼少期に死亡している」
「死んでいる?」
「魔王の手口さ。幼い子どもを殺してその姿を真似て入れ替わる。そうしてその人間として過ごし必要な情報が集まった、あるいは見込みがないと判断した途端同じ手口で別の人間に“成る”。失踪、蒸発、神隠し。何とでも呼べばいいが、未解決失踪事件のいくつかは魔王の仕業だ」
へえ、と声を漏らしながら写真を包帯で指が固定されていない方の手で取る。何かを話しかけている半開きの口はほんの少しだが微笑んでいるようにも見える。友人とでも会話しているところを撮影したのだろうか。
この平穏そのものの光景も偽りなのか。
「ピンとこないかい?」
「ええ。まあ、その」
「本来ならその場所には本物のエレノアが在ったはずなんだ。魔王はその場所を、命を奪いぬくぬくと暮らしている。しかも器の魔法使いという高貴で崇高な意思と才能を努力によって昇華させた一握りの人間が到達する場所で」
苦々しく吐き捨てた言葉は随分とわざとらしい。恐らく本当は何とも思ってないのだろう。本物の“エレノア”が死んだことなど。
「まどろっこしい説明は不要だ。簡潔に君に何をしてほしいか伝える。フィンレー。君は今日から私設騎士団の一員として魔王を倒してもらう」
「はい……え?」
僕は素っ頓狂な声を出し写真を床に落とす。写真の中の“エレノア”が一瞬こちらを嘲笑った気がした。
「どうした。英雄になりたくは」
「違います。だが」
「どうして、か? 簡単なことだ。私達は顔が、正確には魔力がバレてしまっている。人間が持つそれぞれの、双子だろうと重複することがない魔力配列。我々は多くの犠牲を払いながら魔王の所在の調査に心血を注ぎ、遂にその“エレノア”を発見した。だが捜索時にそれを記憶されてしまったのだ。だから君にしか頼めない」
「いきなり魔王と戦えと言うんですか?」
「それは無理だろう。君が死んでしまう。絵本で複数の国を一晩で滅ぼしたという描写があるがあれは真実だからな。魔王は魔物を操る力だけでなく、魔法使いとしても最高峰の実力を持つ。言いたくはないが君が挑んだところで骨の欠片すら残らないだろう」
「じゃあどうやって」
「ここを、使う」
ロートの指先が自身の顳顬を叩いた。
「オルナ町を知っているだろう。あの冒険者と町民が互いに利用し合いながら中央に歯向かっている忌々しい町だ。エレノアはあの町の近くの森の奥で魔法薬局を営んでいる。……冒険者が行き交う町の近くなら遠い国の情報も入ってくる可能性があるからな。そこで失った魔力の回復方法を探っているのだ。……アイネの実を独占しながら」
「アイネの実を?」
「あいつにとっては自分を苦しめた唯一の武器だ。自然に独占するには魔法使いとして成り上がり、更に植物を取り扱う職業に就くのが一番だからな。逆にこっちとしてはアイネの実を手にするのが最優先事項だったのだ。財閥でアイネの実を使用した魔導書や魔具を開発したかったのだが……」
「……無理でしょうね。一生を捧げても見つからないくらいアイネの実は希少なんです。それを待っていては魔王を取り逃がしてしまう」
「だから作戦を変えたんだ。“エレノア”に近づき、“エレノア”と共に過ごし、“エレノア”と友好を深める。お前を殺しに来た冒険者ではない、と“エレノア”に思い込ませるんだ。これを見てくれ」
ローテーブルに広がった紙にはエレノアについてのあらゆる事項が記載されていた。彼女が現在店頭ではなく注文制で薬を販売していること、庭にある温室は二つで門扉を潜って右手の方でアイネの実を生育していること、結構な頻度でオルナ町に出かけるが長居はせずに家に帰ること。
ただの情報だった。真の姿が魔王だと知ってしまったからではない。ニュースで遠くの町の人間が死んでも何の感慨も沸かないような冷徹な気持ちで、僕はそれらを脳に叩きこんでいく。
「近づけそうか」
「あの」
僕が怪訝な声を上げればロートは不思議そうに瞬きをしていた。
「どうしたんだい」
「僕を私設騎士団に入団させてくれる以上、貴方は命を救ってくれた恩人だけでなく僕の上司、雇い主になります」
「ああ。でも気さくに」
「……結局のところ、騙し討ちですよね。この作戦」
ロートの顔が一瞬で歪んだ。
「この資料を見る限り貴方は僕にエレノアに近づいて仲良くなり隙を見て殺せ、とそう言いたいんですよね。相手が油断しているところを襲えと」
「……卑怯だと言いたいのか。人間が魔王に勝つにはそうでもしなければ」
「そうじゃない。正解だと思います。相手が魔物の一種である以上、そこに誇りもルールもない。ただの殺し合いであれば最も安全な策を取るべきです」
「そ、そうか。やはり正しいか」
「寧ろ安心しました。貴族の方は礼節を重んじる余り身動きが取れなくなる、といった偏見があったので」
ロートがホッと息をつき、足を組んだ。世間的には屑扱いだろうと同じ片道切符を購入する大切な上司だ。手段を選ぶ人間では困る。最後の希望なのだから。
「でもお言葉ですがこれじゃ駄目です。相手が数百年も逃げおおせた魔王である以上、何重にも罠は張り巡らすべきだ。それに……質問なんですが」
目を通した資料に書かれていた内容はざっとまとめればエレノアの顧客兼友人となり騙し討ちをしろ、という内容だった。だから書いてあるのは彼女の趣味嗜好といった情報が多い。その中で一つだけ異彩を放つ文言が存在した。
「この『アイネの実の回収』というのは?」
「先程述べたとおりだ。フォルセーラ財閥は今後も魔物討伐のため戦闘用魔導書や魔具を開発する。今後魔王級とはいかなくとも強力な魔物が突然出現しないとは限らないだろう。魔王が誕生した理由も魔物が誕生する理由もどちらも未だ不明なのだから」
「そのための切り札としてアイネの実が欲しいと?」
「そうだ」
「アイネの実が育つのを待ってまでですか」
「“エレノア”を懐柔するまでに必要な期間だとして一石二鳥だと思わないか」
資料の角を指で摘まみ読む振りをして僕は小さく唸る。果たして本当にそうなのだろうか。
取ってつけたように情報が追加されている割に、事細かに入手のための条件が記されているのだ。専用の保管ケースがいるがそれはエレノアが所持していること。大きさと値段の表。アイネの実の生育期間やそれに伴った任務の延長と連絡の取り方。エレノアの家に保管されている戦闘用魔導書や魔具のリストはないのに、だ。まるで本命はこちらのような……。
何よりもやはり。
写真をもう一度眺める。ラベンダー色の髪がふんわりと広がっていた。
「君に時間を与えるのにはもう一つ理由がある」
ロートは真剣な面持ちで僕に視線を合わせた。
「迷っているだろう。本当にその写真の女性が“魔王”かどうか」
「……ええ」
心の内を読まれていた。が、僕もロートも落ち着いていた。当然の疑問であったからだ。
「逆の立場なら同じ不安に駆られるだろうからな。たしかに私がどう説明しても“エレノア”が魔王かなんて心からは信じられないだろう。だからアイネの実を回収するまでの、“エレノア”を懐柔するまでの時間を君に用意した」
「つまり?」
「……会って、その姿を見て、共に過ごせば君なら分かる。その女性が本当は悍ましい魔王だと。全てを支配し人間を滅ぼさんとする化け物だと骨の髄まで身に沁みて確信するはずだ」
「そんなにも、ですか」
「君を選んだ理由の一つだ。魔物と戦い、生存した者は魔物……つまり魔力の塊が変異したものに対する無意識の警戒心が働きやすくなると言われているだろう。生理的嫌悪感、第六感、魔力過敏感知。様々な言い方があるが君は特に困難な状況から生還を果たした。会って“エレノア”と話せば即理解できるはずだ。家を訪ね、そこで共に過ごせばわかるはずだ。目の前の女性の姿をとった化け物はこの世の嫌悪感を煮詰めた存在だと。人の命を何だとも思わない傲慢さを内に秘めたる怪物だと。魔物を操り人間をも自分の思いどおりに操ることが当然だと傲慢にも信じ切っている悪魔だ。もっとも選ばれし魔力感知が行なえない人間からすれば普通の心優しき女性に見えるだろうが……君は違う」
熱弁する男の前で僕は呆然としていた。そんなにも、なのか。この写真の女性はそこまで醜悪な内面を宿しているのか。すると考えあぐねている僕を見透かすようにロートは追い打ちをかけてきた。
「……だが、君に一番危険な役回りを任せる以上、最終的な判断は任せようと思う。フィンレー」
写真とロートを交互に見やる。甘い声がじわじわと鼓膜に染みていった。
「君が隙ができる程共に過ごし、それで“エレノア”が魔王でないと判断したらそれでいい。アイネの実もそのまま、エレノアの親しい知人として帰還して構わない。信じてほしいが君にも君の考えがあるだろう。その場合、盛大に英雄として祝福はできないが、それでも私設騎士団には入団してもらい、今後世界のために働いてもらう」
「僕の判断でいいんですか」
「一蓮托生だ。私は、君を選び託した。ならば君の判断を受け止めるのが筋というものだ」
ロートが囁く。甘くも凛とした声で宣誓する。じわじわと心の奥が温かくなり融解していくようだった。
「……本当に僕が選んで、決めて」
「構わない」
今度は鋭く、僕の鼓膜を刺す力強い声だった。
正直に言ってしまえば、僕はこの女性が世界を滅ぼそうとしている傲慢な魔王だと信じたくはなかった。外見が好みだとかそんな色恋沙汰な理由じゃない。
一瞬だったが仲間だった同業者達は僕の目の前で魔物に殺された。あの依頼で生き残った冒険者は僕だけというのはつまり、他の連中の死因を理解はしているってことだ。
形が残らない死体もあった。思い出すだけで吐き気を催す最期を迎えた奴もいた。その原因たる魔物を支配する魔王が人間の形をしている、世界の一部として生活している事実を脳が拒否していた。思考が揺らぎ腹の奥底から黒い泥のような感情が沸き立つ。気持ち悪い。
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げればロートはただ首を横に振った。雄弁な口から何も言葉が飛び出さないでいてくれるのがありがたかった。
“アイネの実”が目の前にある。掴んで僕は英雄となりたい。
でも、エレノアという人間の正体が魔王であってほしくない。
相対する感情がくらくらと脳を揺さぶっていた。魔王を倒せば英雄になれる。でも魔王なんてそもそもいない方がいいに決まっている。
では、人間のエレノアを──して英雄になれば。
心臓が痛い程に脈打った。首筋に薄らとかいた汗が背中へと落ち服へと染み込む。今、僕は何を?
「どうしたんだい? 大丈夫か」
ロートが遂に怪訝そうに声をかける。僕は大丈夫です、と呟きながら顔をぐるぐる巻きの手で覆った。
「……怪我が痛むのか」
「違います」
「本当に?」
ハッ、ハッと呼吸音だけが耳鳴りのように響く。浅い呼吸から戻らず足指の先が痺れる。
「大丈……夫です」
落ち着け。僕は心の中で数を数えながらできるだけ深く息を吐こうと努力する。
大丈夫。まだ時間はある。
確かめればいいじゃないか。エレノアの正体を。
結論の先送りだった。けれど、必要な決断だった。
ストローで薬湯を一気に吸い上げる。ほんの少し鉄の味が混ざり、痛みが襲ってきた。
「大丈夫です。エレノアの正体、たしかに見極めさせてもらいます」
“アイネの実”の一番正しい使い方。エレノアの正体がどちらでいてほしいのか。僕にとっての“最善”が何であるか、過ぎってしまった考えを思い出さぬよう僕はしっかりとロートに向かって返事をしたのだった。




