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5-8 エレノアの正体

5-8 エレノアの正体


「今家から出て行ったら全部なかったことにしてあげる」

 エレノアは前傾姿勢ながらも立ち上がっていた。コホコホと咳き込む。息はまだ浅く、時折苦しそうに顔を歪めていた。

「連中と縁を切るためにアイネの実が必要なら庭に落ちているケースに入れて持っていくといいわ。これから一時間以内にフォルセーラ財閥管轄の警備会社がやって来る。確認はしてないけど、たぶんあなた電話も何もかも電源を落として魔力阻害の何かをしたでしょう? 今から電話を復旧させて連絡をしても、もう確認で出動したはずの社員を止めるのは無理だから」

「黙れ」

「前に語ったようにこの家は強盗に襲われたことがある。だから私が今回も同様だと証言すれば警察達も疑わないわ。あなたが出て行ったのを見計らって強盗がやって来て私に傷を負わせ逃げた。幸い何も盗まれなかったが、薬局内等一部の家具が破壊された……こう言えばあなたの罪は記録としては残らない」

「気休めを言うな。真っ先に疑われるのは僕に決まってるだろう、稚拙な嘘を」

「稚拙だろうと押し通さなければならない。そうしなきゃあなた、恐らく」

 エレノアの唇がゆっくりと形を変えていく。何かを、僕に話しかけている。

「──だから……で────」

 ──君は今日から。

 頭蓋骨を揺さぶるように声が響く。目の前の聞き慣れた声が遠ざかっていく。

 視界が端から黒ずんでいった。血塗れで、ボロボロで、それでも真っ直ぐに僕を見つめている──誰だっけ──女も黒に飲まれていく。僕を救い出してくれるはずのあの人……こっちも誰だっけ?

 ──魔法と自然の理がまだ解明されていない時の話です。貧しい村の端に小屋が建っていました。

 母の声がする。初めてあの絵本を読んでもらった時だ。頭が妙に重い。だけど母の声だけが鮮明だった。何よりも大切な僕の根幹を語っていた。

 ──冒険者となった……は遂に魔王の元へ辿り着きました。囚われの姫は叫びます。「私のことはいいから、どうか魔王を!」

 ああ、そうだ。魔物を操り世界を滅ぼそうとする魔王は姫を生贄に更に魔物を増やそうとしたんだ。その儀式を邪魔しようと冒険者が魔王の城に乗り込んで。戦って、最後に。

 アイネの実を。

 瞬間、霧が晴れるように視界がクリアになる。黒が失せ、赤の中で立つ彼女の顔が驚愕で歪み、後退った。

 視界がぐるりと回り、血が僕達を中心に撥ね、エレノアの血が顔に付着する。鈍い音がして僕達は血溜まりの上にいた。

「フィ……ン、レー……」

 今までで一番、息苦しそうな声が真下からする。ラベンダー色の髪が彼女自身の血で汚れていた。

「アイネの実と伝説の冒険者の彼も──ノクスも魔王に剣を折られてからアイネの実を使って魔王を封印したんだ。なぁんも問題はない」

「何を……言っているの?」

「そうだ、ノクス。君より僕の方がもっとアイネの実で大きく羽ばたけるんだ。だって最初からもう持ってたんだ。僕こそが、僕自身が」

「誰と……あなたまさか絵本の」

「黙れ! 魔王が!」

 エレノアの金色の瞳がまん丸く見開かれた。邪悪な本性を隠した、魔性の月のような輝きだ。

「まさかこの絵本の“一部”が本当に真実だったなんて……魔王が存在していたなんて僕だって信じたくなかったさ! でもエレノア。実際そうじゃないか。全てを見透かし人間を思いどおりに操ろうとしていた傲慢な態度! アイネの実を独占して育てていたのも自分の弱点を潰すためだ。……あの人、ロートさんの言うとおりだなんて僕だって信じたくないよ。でも!」

「私はアイネの実の独占なんてしていない……。それにあなた、やっぱり、ロート・フォルセーラと」

「ほらやっぱり“読んでいる”じゃないか! でも何も問題はない。エレノア、君が教えてくれたんだ。“殺すのに魔法なんて必要ない”んだ。例えば」

 僕は馬乗りになったエレノアの首に手を添え、力を込める。ぐう、と息が吐き出され赤い舌がちらりと見えた。

「こうやって締め続けてもいいし、あの折れた剣を突き刺してやってもいい。何ならここで失血を待つのも“あり”じゃないか。ノクスにはアイネの実が必要だった。だから僕にもアイネの実が必要だけど、それも問題はないんだ。だって──僕自身がアイネの実なんだ。君を殺して僕こそが憧れの的になるんだから」

 先程までいた客室の前で僕はエレノアを殺そうと見下ろしている。客室の開いた窓から風が吹き、汗ばんだ首筋を冷やしていた。


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