5-6 彼女が選んだ魔法
5-6 彼女が選んだ魔法
器の魔法使いは魔導書に記された魔法を一つ選び、自らの身体を器として魔法を所持する。その魔法は原則、今僕が使って死にかけているような禁止魔法じゃなければ何でもいい。炎を操り町一つ覆い尽くせる程の火球を降らすものでも、立ちどころに骨や血肉を再生させる医療魔法だっていいのだ。そこまで高度な医療魔法を使いこなすのは器の魔法使いになるより圧倒的に難しく、世界に数える程しか使い手がいないのだけれども。
そんな高度な医療魔法は例外として。器の魔法使いになった者は、普通は器の魔法使いでなければ、少なくとも上級魔法使いでなければ使うことすらできない魔法を所持する。そうして優越感に浸りながらその魔法を更にアレンジする。自分だけの、魔法。それを作るのが醍醐味であり、選ばれし者の権利なのだ。
「あれ、僕でも使えるやつじゃないか……」
鍵開けの魔具を扉にかざす。カチャリと音がしたと同時に僕はドアノブに手をかけ乱暴に開けた。
血液が付着した薬局内の棚が移動され目の前に立ちはだかっていた。くだらない時間稼ぎだ。
そう、エレノアの器の魔法もくだらないのだ。彼女はただの“物体と物体をくっつけ固定する魔法”を選択していた。
物体をくっつけ固定する。これだけ聞けば、使い方次第によっては恐ろしい魔法に聞こえるかもしれない。だがエレノアの“あれ”は違う。僕でも魔導書があれば今すぐ使えるし、間違いなくオルナ町のあのアランって郵便局員も使える。というよりも“魔法使いならば全員使えてしまう”。日常が少しだけ便利になる、そんな魔法だった。
エレノアの器の魔法は空きがある本棚の本が横に倒れないようにする、そんな目的の魔法だ。本と本棚の底を魔法で縫いつけ固定するのだ。要は“本棚を整理して隙間ができたせいで本が倒れてしまい、不格好だが支えるブックエンドが無い”時に唱える魔法……読書家なら本を傷つけずに済むと笑みを零すかもしれないがはっきり言ってしまえば必要がない。魔法を使わなくとも解決できる困りごとにライセンスを取って魔導書を購入し、魔法を使う労力を割くのは馬鹿みたいだからだ。本でなくともハードカバーの書籍程度の重さのものなら固定できるが、“机の縁に置いた皿が床に落ちないようにする”だとか“チェストにしまうのが億劫で山積みにした畳まれた服が倒れないようにする”だとかその程度だ。しかも完全に固定するのではなく普通に成人女性の腕力で押す程度の力を込めれば縫いつける矢は折れて、つまり解除されてしまう。更に一つの魔導書で同時に何個も発動はできない。つまり一度に出現させられる矢は一本のみなのだ。例えばブックエンド代わりに魔法を唱えていたら、机の縁の皿には使えない。うっかり服の山に躓けば矢は折れ崩れてしまう。そもそも皿は机の中央に移動させればいいし、服はとっととチェストに収納すればいいのだ。実際、この魔法はそれこそ魔法学園の一年目の実習で試しに唱えさせられるものだ。失敗しても事故もまず起きない、そんな代物だから。
誰もが憧れる器の魔法使いの権利を持ちながら彼女はそんなくだらなくてどうしようもない魔法を選んだ。
馬鹿にしているのか──! 僕を、この世界で器の魔法使いに憧れる全ての人間を!
棚を勢い良く蹴飛ばす。薬局内は清潔に、と自室の掃除は横着する癖に毎日磨いていた床に硝子片が散らばる。
硝子を靴底で粉々にしながら踏み出そうとした途端、視界が真っ白に染まり口にざらりとした感触が走った。
「うわっ」
毒かもしれない! 咄嗟に鼻を塞ぎ口内に唾液を溜めてそのまま床に吐き出す。口を拭って見渡せば、床に小さな胃腸薬と書かれたビニール袋が落ちていた。
エレノアの仕事を手伝い、何度も嗅いだ匂いだった。なるほど。落ち着いて呼吸を再開すれば口内に僅かに残る独特の苦みは食べ過ぎた日に飲まされた味だった。棚を移動させるだけで一苦労だ。毒薬を用意する──来ないとはいえ一応客が手に取るスペースに毒薬を置かないだろう──時間はなかったと見える。
でもどうやってこれを僕に? 頭の粉をはたきながら視界に留まった赤い光を見上げれば天井に例の矢が二本突き刺さり、ビニールの破片がこびりついていた。そして処方した薬袋を縛っていた紐が棚の取っ手に縛ってある。
「……忌々しい」
さっきの音の正体はこれか。短時間でエレノアは時間稼ぎのための罠を作成したのだ。僕が棚を蹴り飛ばせば棚と天井を結んでいた糸が切れる。そして天井と紐を固定していた矢が衝撃で破壊され、更にそこに固定されていた薬の入っていた袋と紐も衝撃で切れる。僕が棚を蹴り飛ばせばあっという間に薬塗れになる罠の完成だ。
赤い矢が粒子となり消えていく。僕はそれを見届けるとジャリジャリと音をさせながらカウンター奥へ進み右手の研究室への扉を見やる。魔力阻害用の装置に一切手が加えられていないのを見るに、ここに閉じ籠るのは止めたようだ。
閉じ籠ったところで本来“この兵器が使用されたように”僕は扉の前、あるいは庭から斬撃を浴びせるだけなのだが。剣を縦に振るのではなく横に振る。家を輪切りにするように丁度エレノアの身長と以前見せてもらった机の高さを考慮して喉元、腹あたりに三発、無理をして四発斬りこめば致命傷は避けられないだろう。エレノアも自身の場所が発覚するリスクを恐れてここに逃げ込むのは止めたに違いない。
開けっ放しの住居スペースにいく扉を土足で潜り、廊下に出る。薬品倉庫の鍵は事前に抜き取っておいたし、勝手口も塞いでいる。エレノアは窓からしか脱出ができない状態だが、流石にそれをやられれば音でわかる。つまりエレノアは今、研究室、薬品倉庫以外の僕でも出入り可能な何処かに隠れているのだ。もしかしたら自室に戻り保管していた魔導書と魔具の棚がきっちり塞がれていることに絶望しながら。自分に残された抵抗手段があんなちゃちな魔法だけだと震えながら。
耳をそばだてて廊下を一歩一歩進む。血液が、点々と廊下に滴り落ち、階段の方へ一直線に向かっていた。あの足で上れるのは驚きだが、やはり戦闘に使える魔導書や魔具を取りに行ったのだろう。僕はほくそ笑みながらそれでも一階の探索を怠らない。露骨な血痕が何らかの罠な可能性も十二分にある。なんせ玄関の無駄な罠を即席でこさえる奴が相手なのだ。そしてあの罠を仕掛けたということは、“何かしらの時間稼ぎ”がしたかったからに他ならない。用心しなくては。僕は胸を押さえ深呼吸をすると、階段口を警戒しながらも塞いだ薬品倉庫以外を慎重に回ることにした。
明かりの消えた廊下は僕が入ってきた入り口が光源になっていて薄暗い夕方の空のようなくすんだオレンジに染まっている。
嗅ぎ慣れない他人の家の匂いが鼻を掠め僕は呼吸を一瞬止めた。
温かみのある家だったはずだ。少なくとも僕はエレノアと暮らしていて他人の家だという理由で孤独を感じたことはない。寧ろ我が物顔で寛いでいた記憶だけが残っている。いずれ殺す相手だけれど、それまでは大切な恩人だと感謝するのを自分に許していたからだ。それくらい快適な生活だった。だからこそ魔力を吸収させるために鎧は装備し続けていたが、剣に関しては絆され過ぎないようにと精神的な理由で帯刀していたのだ。居心地の良さに引っ張られて人生を台無しにしないように。
なのに、今目の前の光景から感じるのは断絶だ。他人の家の色、匂い。温かみのあるはずのオレンジは炎のように僕を拒絶している。部屋の空洞は獣の口のような、魔物がひしめき合う洞窟のような湿り気を帯びていて噎せ返りそうになる。
ここはもう、僕の居場所ではない。始めからだし、そうしたのは僕だけど。
洗面所、風呂、トイレに制御室。リビングダイニングにキッチン。念のために勝手口の南京錠の確認。更に窓の痕跡も調べる。全てを終えて再び廊下へ戻ってくる。見上げるのは血痕が続く階段だった。この上にエレノアはいる。
血痕を踏みしめるように僕はゆっくりと足を上げて、下ろす。
物音はまだしない。小さな踊り場を曲がりまた足を上げる。
ピチャン、と水の音がした。
血液の滴る音か。それとも。
エレノアが今発動可能な魔法を整理しよう。僕は鼻から息を吸って口から吐く。
まず器の魔法はあのちゃちな魔法で確定だ。問題は“アレンジ部分”だがおおよそ予想はついている。
「一度に撃てるのは五発まで」
声には出さず、空気を口内で転がすように呟く。一本では心許ないからアレンジして増やしたのか。馬鹿馬鹿しい。
「おそらく右手の光と連動している。威力……というか耐えられる負荷は殴りかかろうとしたエドワードの腕を止めたことから大人一人くらいは止められるのかもしれない。だが “重ねがけ”での威力調整の可能性あり。過負荷で消滅。ただし消滅後、さほど待たずに次の弾を打てると思われるので……今のエレノアの残り発動回数は」
全弾の五発に違いない。これが僕の結論だった。
まず威力は元の魔法より上だ。ただこれは憶測できる範囲にばらつきがある。高威力と考えれば、一本で人間一人くらいなら身動きを取れなくする力がある。僕がベッド下で隠れていた時、エレノアは殴りかかってきたエドワードの腕と壁を縫いつけたのだ。鎧がなければ一瞬で身動きできなくさせられていたのだとゾッとする。
逆に元の魔法より少し上、つまり一本の耐荷重は小さい可能性も否定できない。玄関で僕が棚を蹴り飛ばした時に縫いつけられていたのは棚と床ではなく、天井と紐、そして紐と薬袋だった。床と棚を縫いつければもう少し時間が稼げただろうに、面倒な罠にしたのは五本全て使用しても僕の蹴りの威力を支えられないくらい弱いのかもしれない。ただし、エドワードの腕を止めたのは事実なので同じ場所に矢を縫いつけた場合、耐荷重が上がるのだろう。結局一本の威力が低くとも鎧を脱いだ瞬間、僕の負けは確定するのだ。
そしてエレノアの器の魔法は回復が早い。
一本の矢を消した後にすぐ使用できるか確証はない。だが器の魔法使いならそれくらいの魔力コントロールは可能だ。だからあくまで同時に縫いつけられるのが五カ所なだけなのだ。つまり命に直結した残り回数が決まっている僕と違い、エレノアは現在までに四本魔法を発動しているが全部回復していると考えるべきだろう。二本目を撃った時点で後三回だと同意していたがとんだ大嘘付きだ。
──選ぶのが嫌いなのよ!
瞳の奥で怒りの炎が揺らいでいた。エレノアはこの先で待っている。選ぶのが嫌いだからこそ彼女の勝利条件は僕を殺すことでもここから逃げることでもない。だから窓の確認も、研究室や薬品倉庫や勝手口の施錠も本当は必要なかったのかもしれない。
彼女はこの先で僕に諦めてもらうために、待っている。ちゃちな僕には効かない魔法とそれを使った罠のみで僕を変えようとしている。
ピチャン、ピチャン。水滴が落ちる音がする。聞き耳を立ててもあとは己の呼吸と土のついた靴で階段を汚す音だけだった。
赤と茶色が混ざった足跡が階段に残る。そうして。
最後の段を右足で踏みしめれば見慣れた二階だった。




