5-5 あと何回?
5-5 あと何回?
「後八回、がいいところね。だからあなたが生き残るには七回以内に私を殺さなくてはならない」
人差し指をこちらに向けたまま、エレノアが横に一歩足を進めた。
「魔導書作成の……いや取り扱いのだったか。法の名前はどうでもいいけれど。人体に魔力以外の代償を支払わせる魔導書の作成、使用は原則禁止になっているわ」
薬局内に逃げようとしている。エレノアが開かれた扉の方に移動するのを見ながら僕は剣を、正確には魔導書を構えた。
「やっぱり時間稼ぎじゃないか」
「命が惜しいからね。でも交渉は本気よ。とにかく何が言いたいって」
エレノアの片膝が、がくりと力を無くし崩れ落ちる。しめた! 狙いを定めている暇はない。とにかく身動きを取れなくすれば後は簡単だ。僕は驚きながらも急いで剣を軽く振り、エレノアめがけて小さな刃を射出した。
「ぐっ……ううっ」
エレノアが身体を捩るが間に合わず、先程の左太ももの外側に一筋切り傷ができた。血が舞い、玄関を汚す。わかりにくいが紺色のズボンが変色し始めていた。歯を食いしばり痛みに耐えるエレノアを見ても何も感じない。そんな自分の冷徹さに内心驚きながらゆっくりと近づこうとした。
「後、七回……正確には六回か」
エレノアが苦痛に顔を歪めながら右手を振る。指先から一つ光が放たれ、僕の右腕と右太腿をまとめて突き刺すように向かったが十センチメートルほどの距離で霧散した。
「やっぱり駄目なのね、それ。鎧の隙間を狙ったんだけど……鎧の装備者を覆うように全身に魔法を跳ね返すバリアがある、そういうことか。防犯装置には隙間が反応してたから期待したけど無理ね。足の、ただのズボンにも当たらないなんてちょっと予想外だわ」
そんなことを考えていたのか。僕は手甲の関節にできる僅かな隙間に一瞬視線をやった。エレノアは鎧の魔法を跳ね返す力の範囲が鎧で覆っている部分だけか確認をしたかったのだ。だから鎧の隙間と僕の鎧で覆われていない太腿あたりを狙った。魔法は絶対に効かない。僕の圧倒的な有利が明らかになったわけだが、それでも気が抜けなかった。何せ負傷した状態で自分の魔法が僕に通用するか、冷静に状況を確認してきたのだから。
場慣れしている。エレノアの思考は魔法使いと戦った経験がある人間のものだった。器の魔法使いといえど人と戦った経験は通常、魔法使いのための訓練以外ではないはずだし、こちらをつぶさに観察している眼光は薬局を営み、ひっそりと暮らす人間のものではなくなっていた。
──“エレノア”は。
やっぱりそうなのかもしれない。
脳内で甘い声が反響する。あの時は内心あまりにも荒唐無稽だと困惑していたけど、真実味を帯びた僕にとって都合が良い現実が目の前にあった。
エレノアの左足が動く。血がぽたぽたと玄関ポーチを汚していく。注意しなければ。相手は“化け物”なのかもしれない──!
「僕の回数を数えるのもいいけどさ。君も“後三回”なんじゃないの」
「……正解。ところでさっきの話の続きだけど」
「いい。君に何もかも自慢げに暴かれるのはもう沢山だ」
僕は左手で髪をかき上げ、肩を竦めた。
「ご名答。この鎧は所持だけで捕まる、碌でもない魔導書だ。発動魔法は単純明快。君が言ったとおり──装備した者の生命力を吸い、魔力として蓄える。昔は拷問道具にも使われた禁止魔法でもある」
「何でそんなもの」
「器の魔法使い様にはわからないだろうね! 魔力のコントロールが上手くいかない凡人以下の存在が大きな魔法を使うには補助がいるってのが!」
魔力とは空気に含まれる元素の一つであり僕達が生活していくためのありとあらゆるものを動かすエネルギーの元となっているもの。そして魔法とは、魔法使いが元々人間に大なり小なり備わっている魔力に加え、空気中のものを身体に溜め込み、変化させて魔導書に流し込み発動させるものだ。
だから魔法使いを志す者は魔法学園でまず自分の身体に存在する魔力の量を知り、その上で魔力のコントロールの仕方を学ぶ。重要なのは主に後者。元々魔力をそこまで持っていなくとも、少しずつ空気中に漂っている魔力を操る術さえ覚えてしまえば高等な魔法ですら発動が可能になるのだ。
結論から言えば、僕はコントロールを学園生活で身に付けられなかった。空気中の魔力を自身の物として扱う技術がどうやっても初歩的なものしか取得できなかったのだ。そんな人間がもう一つ魔導書を起動させる方法がある。つまり。
「自分の体内の魔力を増やすにはこれしかないんだ! 君達と同じ土俵で偉大な魔法使いになるには!」
「私は偉大ではないだろうけど……まあ、そんなことはいい」
もう一歩、横に動いた。
「あなたが魔法使いとして自分で言う程実力がないのか。私にはわからない。けど、その鎧は使い続ければ半日で筋肉が強張り身体を動かすのが困難になるほどの疲労が襲ってくる。更に一日で全身に痛みが走り、吐き気、眩暈、排泄時の出血等の症状が出る。三日で内臓器からの出血で……ともかく命を削る危険なものよ。この一カ月……いやそれ以上前から“休みを入れながら少しずつ魔法を発動させて鎧自体に蓄積させていた”としてももう限界でしょう。鏡、見てみなさい。きっと私より青白い」
「うん。だからさっさと斬られてくれたらありがたいんだけど。これさぁ、元々複数人をまとめて殺す大砲や爆弾に近い兵器として作られた魔法だし。これくらいしないと動かなくて」
「動かさなくていいのよ、そんなもの。今、私の首や胴体を狙えなかったのも無理しているからでしょう」
正解だった。エレノアが身体をよろめかせたのと同じく、僕も一瞬腕に力が入らなくなり刃が足に向かったのだった。
僕がエレノアの露骨な時間稼ぎに付き合っているのは“無理をしている”からだった。さっきからずっと鎧は僕の身体に食い込み、僕の身体の中の大切なものを吸い続けている。立っているのすら正直辛いのだ。ストローで思いっ切り吸われて凹むジュースの入った紙パック。例えるなら剣をエレノアに向けてからあんな感覚を味わっている。鎧が搾り取り、剣が二度と僕の身体に戻すものかと魔力という名の僕の命の欠片を放出する。最初の一太刀を浴びせた瞬間、目の前が真っ暗になり吐きそうになったのは内緒だ。そもそも薬局を訪れる前からずっと体力を少しずつ吸わせ、魔力として蓄積させ続けた間、疲労感がどんなに寝ても食べても抜けなかったのだ。エレノアの介抱と二日間の休養、そして栄養補助薬を飲みながらの健康的な生活がなければ──その点について本当にエレノアに“感謝している”──おそらく既に倒れていただろう。
これでは──本当に剣を振るい続ければ僕は、死ぬ。
「後六回があなたが死なずに剣を振るえる回数。でも実際はそれより早く決着をつけなきゃならない。“死なない”のと“無事でいられる”のは違うからね。私を殺してここを無事に去るには後、三回がいいところじゃない?」
「回数を同じにして立場も一緒だと? 馬鹿にするなよ。死ななきゃどうとでもなる。それに君の薬のお陰で体力の消費を最小限に留められている」
エレノアが左手で服の裾を握りしめた。本当に感謝しているんだ。エレノアの魔法薬は見事に僕の魔力を回復し続けてくれて、お陰でほんの少しの疲労感はつきまとっていたものの、この一カ月鎧が原因の痛みを感じることはなかったのだ。敵に塩を送り続けていた屈辱か、それとも僕の疲労の原因に気づけなかった悔しさか。震える拳の理由がどちらかなんてわかり切っていたけど、もうどうでもいい。
「……事情を話してくれる気は?」
「ない」
剣を大きく振り上げる。エレノアは僕のきっと歪んで三日月を作っているだろう目に視線を合わせ「わかったわ」と零した。
「勝負だ、エレノア。僕が死ぬか、君が死ぬか」
「フィンレー。忘れたの? 私は」
エレノアが歯を食いしばりながら前方に手を伸ばす。薬局の立て看板を右手で掴み身体を捻りながら僕に投げつけた。
「選ぶのが嫌いなのよ!」
力を込めた途端、右腕傷口から血が噴き出していた。宙を舞う赤と看板を交互に見やりながら僕は剣を振おうとすれば、エレノアはまるで足なんて怪我をしていない速さで薬局内に入り玄関の扉を閉めていた。ガチャリと鍵の音がしたのでそのまま扉に刃を走らせる。薬局内から何かが砕ける音──僕の魔法で物体は破壊できないのでエレノアが焦って転んだのかもしれない──が響き、「危ないじゃないの!」と罵声が飛んできた。ということはエレノアには当たらなかったらしい。当たったのなら、真っ二つになっているならぐちゃりと湿った音がここまで届かず消えるだけだからだ。
ふらつく足に力を入れた。胸に食い込んだままの鎧を誤魔化すように拳で殴る。そしてそのまま僕は大股開きで薬局の入り口に近づいて行った。
当然鍵がかかっていた。僕は左手で眉間を押さえ、深く息を吐きながら冷静に道を引き返す。この禁止魔法は人しか斬れない。つまりこの扉を切り刻んで中に侵入するのは不可能だ。意外に不便なのかもしれない。そう舌打ちしながら視線を上げれば見慣れたものと今日の朝初めて見たものが並んで置かれていた。
僕の革袋と保管ケース。もう赤い矢も刺さっておらず、不自然にくっつくこともなく離れて転がっていた。
「何だよ……あれ」
勝手口に鍵をかけたとはいえ、悠長なことはしてられない。革袋に手を突っ込み、鍵開けの魔具を取り出す。以前エレノアの家を探索した時に購入した解除用の魔具を更に改造したものだった。
にしても、だ。沸々と湧き上がってきたのは怒り以外の何物でもなかった。エレノアは確かに器の魔法使いだ。事前に調査済みだったし、先程使用したのはその器の魔法だ。器の魔法であってしまった。
「何でだよ! あんな低級魔法を!」




