5-4 とある人間の何処にでもある過去 その2
5-4 とある人間の何処にでもある過去 その2
冒険者になろう。それも絵本で読んだあの出来損ないみたいに旅を続け、魔物と戦う冒険者にだ。武勲を立てるなんて古臭い考え方だが、そうすれば僕だけの“アイネの実”を手にできると信じた。魔物の脅威から人々を守り、魔力を回収し貢献する。今までは待つだけだから何もできなかったが本気を出せばどうとでもなる。そのための力として僕は魔法使いになろうと決めた。あの出来損ないの仲間の一人が魔法使いで出来損ないを様々な場面で献身的に支えていたのを思い出したからだ。
魔法は、使える。僕の人生を彩るのにぴったりだ。それに本気を出せばあっという間に様々な魔導書のライセンスを得て、僕だけの“アイネの実”に近づける。同情的な眼差しを向けてきたクラスメイトも、諭すように両肩に手を添えて説教をかましてきた教師も皆「間違っていました」と許しを請うことになる。ベッドの中で月明かりが差し込むカーテンの隙間を見つめながらほくそ笑む。倒れる仲間と魔物の大群の間に颯爽と飛び込み、手をかざす。すると大きな魔法陣が宙に浮かび一瞬で魔物が消え去るのだ。これは高等魔法の一つである光線を無数に出すものだった。見栄えもよく、何処にいても“器の魔法使い”である僕が放ったと分かる代物だと思う。恐怖で腰が抜けた仲間に手を差し伸べていれば遠くで戦っていた者が駆け寄ってくる。「フィンレーさん! さすがです!」と声を弾ませるのは愛弟子だった。
確実に訪れるであろう未来を夢想し眠りにつく。器の魔法使い、それが僕という選ばれし者だけが到達できる“アイネの実”だった。だからもう少しだけ努力してやろう、待っていろ“アイネの実”と薄れていく意識の中で輝きに手を伸ばしていた。
屈辱だが高等学院後の進路を魔法学園にしたいと両親に頭を下げ、今までの遅れを取り返すように勉学に勤しんだ。そうして何とか僕は魔法学校の扉を潜る許可を得たのだった。まあ、僕が本気を出したんだから当然だけど。
選ばれし未来は確実に近づいている。せわしなく学園内を見渡しながら僕は胸を張った。入学式の太陽に照らされた中央に位置する講堂の輝きを今でも覚えている。煉瓦のような模様をした壁は雲母が混ざった土を使用しているようできらきらと光を反射していた。
さて。無事入学した僕は魔法使いになるため、様々な講義を選択し勉学への道を邁進することになる。一番前の席を陣取り、積極的に手を挙げ質問を投げかける。何だ、やっぱり本気を出せば簡単じゃないか。周囲の疲れ果てている生徒達を尻目に講義室を後にして図書室で魔導書の手引きを片っ端から読みに行く。数回の講義の後、複数の教師から「君は凄いね」とお墨付きをいただくこともできた。ほれみたことか。やはり魔法は、いい。魔法を扱う高尚な人間には僕の価値がわかるのだろう。高揚していく胸を押さえて僕は軽やかな足取りで学園内を闊歩する。何もかもが順調だった。光り輝く未来はすぐそこに──あるはずだった。
不合格。及第点。五段階評価とするなら一や二が踊る成績表を僕は学園の壁にもたれながら握り潰していた。
結論から言えば僕は努力の仕方を間違えたのだ。待つことが当たり前だった僕は自ら手を伸ばし“どうすればいいのか”まるで知らなかったのである。
目立とうとした。認められようと努力した。僕は誰かに褒められるために見当違いのアピールを繰り返し、肝心の魔法使いとしての知識も魔力も実践もおざなりにした。講義中の挙手に隣の机の連中が舌打ちをする。質問内容に教師が首を傾げている。そんな遠回しの拒絶を僕は僻みとして無視し続けた。そうすれば悪意は跳ね返り、今度は僕が“無視”の対象になる。面と向かって、例えば肩にかけた手を振り払われるなんてことはない。けれど、その手をそっとどけて、話を僕に適当に合わせ早々に打ち切り去って行く。
心の中のアイネの実がまた輝きを失う。重い足を引きずるように学園内を歩き、図書室の片隅で読めやしない魔導書を開き、退屈そうに頭を抱えた。
注目されたい。褒められたい。僕だけの輝きが欲しい。
皆に選ばれたい。報われたい。特別になりたい。
欲望が腹に沈殿し血液を駆け巡り、そうして僕を支配していく。いや、ずっと。幼い頃絵本を読んだ時からずっと僕はそんな感情に支配されていた。
泥のような毎日を送り、家で眠る。その繰り返しをしていればあっという間に卒業という節目を迎え僕の手に残ったのは初級の、学園に数年通わなくとも獲得できる魔法のライセンスだけだった。
灰色の空の下、外套を羽織り階段を下りる。振り返れば入学時には輝いて見えた学び舎が冷たく僕を見下ろしていた。
視界が滲んで、鼻の奥が痛んだ。歯を食いしばって僕は足早に逃げ出す。僕が“真っ当に”感情を認識していたのはここまでで、それからは全てに靄がかかった状態だった。怠い身体に霞んでいる思考。呼吸をするのすら億劫なのに、ただ昔の夢を叶えなければならないと冒険者として、家を後にした。
依頼を受けてはこんなこともできないのか、と怒鳴られた。契約は破棄させてもらう、と蹴り飛ばされ扉を閉められた。殆ど魔法が使えないため、付け焼刃の剣術で魔物の討伐に参加し助けられては「帰れ」と凄まれた。違約金を支払い続け、貯金が底をつく。他の冒険者から白い目で見られているがもうどうでもいい。元々無い実力で受けていた仕事にはもうありつけなくなっていた。
「良い話がある」
雨がざあざあと降っていた夜だった。背中を蹴り飛ばされ水溜まりに仰向けに倒れ込む。僕を蹴り飛ばした依頼主達がいなくなってからもしばらくその姿勢を保っていた。すぐに立ち上がり去ろうとすれば「まだ元気があったのか」ともう何発か殴られるのを身をもって学んでいたからだ。要はそういう奴しか僕はもう仕事相手に選べなかった。シャツに水が染み込み、アスファルトのごつごつとした表面が僕の背中を刺す。真っ暗闇の空から切り裂くように水が降り注ぐ。生温かい水を冷たい水が洗い流していった。
「笑いに来たんですか」
顔を洗った後のように僕は両手で拭いながら立ち上がる。僕のことなんかお構いなしに黒い傘を差した男はニタニタを笑みを浮かべ、一人雨を避けていた。こんな奴と相合傘なんて御免だから、差し出されなくていいけれど。
「お前さんのことだからどうせ失敗すると思ったさ。なあ、何にもできやしないのにどうして魔物討伐の仕事ばかりを選ぶんだい」
どうして。よくわからなかった。ただ選ばなければならない、そう“決めた”からだ。
無言で雨に打たれ続ける僕を見て、男は腹を抱える。下品な大声が雨音で掻き消されていた。
街灯が光る大通りからは遠い路地裏。それでも僕等を僅かに照らしている。鼻で吸った空気に生ごみの匂いと雨の匂いが混ざる。鼻が曲がりそうだった。
僕は無言で男に背を向け大通りへと向かう。ギリギリ安宿を取れるだけの金はまだ残っていて今の拠点はそこだった。熱くなくてもいい。ただ泡立ちの悪い薬品の匂いがする石鹸が恋しくてシャワーを浴びたかった。
「まあ、待てよ青年。良い話があると言っただろう」
薄汚れた手が僕の腕を掴む。じくりと水を絞った音がして水滴が落ちていった。
「何を」
「お前さんがもう正規の魔物討伐依頼を受けられなくて“こっち”の依頼所に来たのはつまり、身の丈に合ってないと国が判断したからだ」
「煩い。今からでも実績を積めば」
「魔法も殆ど使えないのにか」
乱暴に手を振りほどけば男がよろめく。黒い傘が更に路地裏の奥に吹き飛んで男の身体に水滴が落ちていった。
「魔法は……」
「お前さんはライセンスを持ってないだけだ」
わざと水溜まりを踏みしめた足がピタリと止まった。
振り返れば男は腰を曲げ溜め息をつきながら傘を拾う。暗闇の中で男の汚れた歯だけが鈍く白く光を反射していた。
「魔法の才能があるのとライセンスの有無は全く違うだろう? お前さんはただライセンスを持っていないだけ。聞けばなんか優秀な魔法学園を卒業したとか……まあ、そこを卒業したのに何でライセンスが初級の……その中でも一番“アレ”なのかはわからんが。でも卒業しただけの才能も運も兼ね備えている」
「何が言いたい?」
地団駄を踏む。水溜まりが弾ける。僅かな光を背にして僕は雨音に負けないくらいの声量で吠えた。
「もう、正規ルートではお前さんへは誰も魔物討伐の依頼はしてくれないだろう」
「だから今日もアンタが寝床代わりにしてるところで受けた」
つまり裏の。法律の手の届かない、正しくは法の手から逃げ出した悪役達の世界で僕は手先として働き始めていた。所謂“汚い”仕事でしか僕は自分の欲しい依頼を貰えなくなっていたのだ。
「だったら法を守る必要なんかないだろう。破っている連中に雇われているんだから」
「わかっている。だが僕自身は」
「あー。わかっているさ。法が許してくれない環境を強いる輩の下で、あるいはお天道様の下を歩けない奴に依頼されてお前さん達は働いているだけ。仮に警察にバレてもお前さん達はまだ被害者面できるご身分だ。今日だって土地の持ち主の依頼で魔物を倒しただけで“本当に依頼主が持ち主だったのか”は知らなくていい。他にも……昨日は魔物からの護衛も兼ねた運送もやってたな、お前さん。だが運べと言われた荷物の中身が何かなんて知らねぇ。お前さんは依頼どおり運んだだけだ。運送業を遂行したに過ぎない。中身を知らなければ、な。善良な冒険者として正しい法遵守だ。でもなぁ」
男の歯が一層剥き出しになる。汚い笑みだと僕は舌打ちをしていた。
「ライセンスを守る必要はないだろう。裏にはそのライセンスを破るための技術がごまんと転がっている。丁度お前さんみたいな“才能があるのにライセンスのせいで魔法が使えない奴”を探していたんだ」
雨の音が一瞬掻き消えた気がした。
ライセンスを、破る?
魔導書を扱うには、魔法を使うのにはライセンスが必要で、それがなければ魔導書を手にしても魔法は発動しない仕組みになっている。ライセンスは国の魔法で管理されたデータベースに登録され、授与申請時に僕達の身体に直接かけられる。だから僕は「初級の本当に簡単な魔法だけが扱えますよ」と魔法を国からかけられている状態だ。魔力の量だとか、魔力の扱い方だとかそんなものは関係ない。ライセンスとなる魔法をかけられていないから、魔導書を持っていても発動ができないのだ。
それを破ろうとして逮捕される犯罪者の姿をニュースで見たことはある。そしてどんなに頑張っても強固で破れなかったという話も付属して。
背の方から差す明かりが点滅している。男の笑みが深くなり剥き出しの歯が僕を待ち構えている。
かつての夢想が脳を駆け巡った。どんな魔法でも扱い人々に崇められる僕。
僕にとっての“アイネの実”は、チャンスはこれなのではないか。
運命の岐路に立たされていた。裏の仕事をやっているといってもまだ法を犯してはいない、はずだった。法を犯している条件で働かせられているだけで、僕自身はまだ犯罪に手を染めてはいない。
だが、これは明らかな犯罪への誘いだった。僕が本当に裏の社会で生きていくか否か。
傍から見れば同じ穴の狢であっても。ここで引き返せばまだ取返しがつく。ちっぽけな自分を受け止めてありきたりな、何の特別でもない人生を歩んでいく。そんな未来を目指す選択肢は残されていた。
それでも僕は。
「……嘘じゃないだろうな」
「こんな雨の中、お前さんをからかうだけに外になんざ出たくねぇわ」
ヒッヒッヒと引き攣った声が歯の間から発せられた。喉が痙攣している。男の太い眉が上下した。
裏の社会に首を突っ込み始めてから理解したのは“人を褒める時には裏がある”だ。要は煽てて何か危険な仕事を僕にやらせるつもりなのだろう。それでも。
「どうすればいい?」
待ち続けていたチャンスが遂にやって来たんだ。吐く息は熱く、唇が震える。もう十分落ちただろう。だから浮上するだけだ、僕の人生は。
男から差し出された手を僕は固く握る。ここから遂に始まるのだ、僕の夢が。
それが更に転がり落ちるきっかけだろうと構わなかった。
だが、僕のあの時の居場所は全く底ではないと気づいたのは、もう少し先の未来だった。




