5-3 器の魔法と、そして
5-3 器の魔法と、そして
人生において大きな目標がない人間はどれ程いるだろうか。僕は意外に殆どの人間がそうなんじゃないかと思っている。
例えばスポーツ選手として活躍したい。弁護士や医者になって人を助けたい。自分の人生の指針をはっきりと持ち、行動する者は少ない。僕自身が今まで生きてきて感じた事実だった。殆どの人間は“何となく生活し”ただの好みやその場の気分で分岐点を選択する。そうして平凡な人生を歩むのだ。たまにきらきらと輝く夢を叶えた存在に少しだけ嫉妬しながらありきたりで平凡な自分だけの人生を歩んでいく。それ自体は何も恥ずべきことじゃない。寧ろ日々の荒波こそ一番の苦難であり、誇るべき生活なのだ。
だが、僕はそんなものは御免だ。僕は“アイネの実”が欲しい。“選ばれた”人生を送りたい。
僕を馬鹿にして来た奴等全員が頭を下げ涙を流しながら許しを請い、褒めたたえる姿を見たい。僕の指先一つで瞳を潤ませ感謝の言葉の述べるそんな人達に囲まれたい。
「……どうして」
うっとりと宙を舞う赤を見つめていた僕の意識が引き戻される。か細い、震えた声だった。
「掠っただけだったのか」
狙いは万全だったはずなのに。露骨に舌打ちをして足元の保管ケースを一つ蹴り飛ばす。左手で右の二の腕あたりを押さえながらエレノアが立ち上がる。右腕のブラウスが裂け、周囲の布地が赤く染まっていた。じんわりと赤が広がっていく。せめて腕を持っていきたかったがあれなら右腕は使えないも同然だろう。
「可哀想に。今楽にしてあげるから」
自分でも驚く程冷徹な声が喉を震わせていった。最初の一太刀で死んでくれれば苦しまずに済んだのに。一カ月も共に暮らした仲だ。それくらいの情けはかけたかった。
「フィンレー……」
エレノアが後退り、薬局入り口の壁に手をかける。大きく目を見開いて一瞬だけ振り返った。“仕組み”に気づいてしまったかもしれないが、問題はない。
「あんまり苦しそうな声を出さないでよ。手元が狂うだろ」
情けがどうやら手元を狂わせたらしい。僕はエレノアを真っ二つにすべく放った最初の一撃が外れた理由をそう結論付けた。だったら今やるべきことは情を捨て、今度の太刀で完全に仕留めることだ。
剣の柄を握りしめれば、鎧が光り食い込む。
「次は当てる」
剣を振り下ろそうした瞬間だった。
「どうしてか……答えなさいよ!」
エレノアが叫びながら玄関に置いた僕の革袋を左手で投げつけてくる。証拠隠滅のために生活用品を大量に詰め込んだそれは利き腕ではない女性の手で僕に届かせるのは不可能で僕とエレノアの丁度間くらいの距離に落ちる、はずだった。
踏み込んだ足に衝撃が走り姿勢を崩す。刃が不格好に宙に形成され薬局二階の丁度僕の部屋だった場所の窓へと吸い込まれていった。──何も斬らずに。
「え?」
僕は瞠目しながら確かに何が起きたかを目に捉えていた。低い放物線を描き僕とエレノアの間に転がるはずだった僕の革袋が突如斜めに速度を上げて下降、そして僕の脛にぶつかってきたのだ!
たたらを踏みながら体勢を立て直す。まさか──! 僕は転がっている革袋からエレノアに視線をやる。
「それさぁ」
エレノアが息を吐き出す。苦痛に歪んだ顔が震えていた。怪我した腕を押さえていた左手が血塗れだった。同じく血に染まった右手を前に突き出している。
右手が手首までグローブをしたように少し変色している。そして親指以外の四本が血液ではない理由で赤く光り輝いていた。つまり。
「器の……」
「あなたのそれ、禁術じゃない。禁止魔法」
十数メートル程離れて僕達は対峙していた。歪んだエレノアの瞳から苦痛でも驚愕でもない見覚えのある、だけれど思い出せない光が零れる。
感情が読めない。僕が眉間に皺を寄せるとエレノアはまた大きく息を吐き出した。
「その“剣”……まさかそこまで小型化が進んでるとは思わなかったけど、十四年前に国際的に条約で禁止になった“人間だけを斬る魔法”でしょう。斬撃を作り出し、一直線に飛ばす。完成した当時は戦車を二回りも大きくしたサイズの魔導書で撃ちだされていた。紛争で五百年前から残る……名前は忘れたけど歴史的価値のある建築様式の教会が破壊され『偉大なる過去を踏みにじるな』と批判された結果、生まれたのよね。……歴史的建造物には傷一つつけずに人だけ斬れば問題ないなんて馬鹿みたいな発想で」
シェルターに逃げ込んだ無抵抗の民間人を外から全員わざと斬り刻んでおいて「兵隊を斬ろうとしたら流れ“弾”が当たった」なんて非道な行ないが多発したから半年で禁止になった……捕虜を都合よく始末できる言い訳になるくらい、戦う術も意思もない者がただ犠牲になるくらい魔法が生み出された時点で想定できただろうに。心底嫌気がさしている、といった感じでエレノアの唇が動く。口紅を塗らなくても血色の良いそれが少し青ざめていた。
「時間稼ぎかい?」
舌打ちをすればエレノアが首を振った。警戒しなくてはならない。あの右手……エレノアの器の魔法が既に発動しているのだから。魔法の正体を突き止め、対策を練らなければならない。
僕の頭に過ぎったのはあのエドワードとかいう馬鹿だ。エレノアに手をあげようとしたあいつの身体が不自然に止まった瞬間を僕は確かに覚えていた。つまり、何かしらエレノアの魔法は“動きを止める”ものなのかもしれない。だがそれでは僕の革袋が妙な軌道を描いたのと矛盾してしまう。
「いいえ。交渉。……というより時間を稼ぎたいのはあなたじゃないの」
血色の悪い唇が弧を描く。僕のこの魔法の最大の弱点をエレノアはもう気づいているのだろう。それでも後には引けない。額から流れる汗をそのままに的外れだと鼻を鳴らして僕は凄んでみせた。
「交渉ってのは圧倒的に不利な場面でやるものじゃないよ、エレノア」
動きを止める? 例えば身体を石にしてしまう上級魔法使いにしか扱えない魔法があったはずだ。それか大気を動かし圧縮して自在に操る高等風魔法。あるいは光の屈折を利用した影を具現化させ操る魔法。もしくは冷気で瞬間的に凍らせる……でもこれならあの時に部屋が冷えたはず。
どれも正解のようで、どれも間違いな気がした。風魔法なら僕の革袋の軌道も説明がつくが、妙な風の音は一切していない。
わからなかった。僕は睨みつけたまま、内心に巣食い始めた不安を押し出そうと躍起になっていた。エレノアの三日月を描いた唇が薄く開く。血液を失い青ざめたそれが妙に現実離れしていて背筋に冷たいものが走った。
「そうね。……あなたが不利だもの」
一々癇に障る奴だ! カッとなり僕が荷物を蹴り飛ばせば鈍い音がして革袋が転がる。すると同じく足元にあった保管ケースの内の一つが何と“まるで元からくっついていたように”一緒に転がったではないか。思わずエレノアから視線を逸らし目を見張る。「あーあ」と落胆したような声がした。
「バレた、か」
目を凝らせば革袋と保管ケースはまるで串焼きの具材のように一つの光り輝く赤い串で射抜かれていた。先端に三角錐のような突起がつき、反対側には羽根のような光が揺らめいている。
矢。
それを限りなく細くしたものが一番近い形状な気がする。
待て。形状は違うがこれは……!
「これが、君の……」
「想像どおりよ。で、交渉を再開させたいんだけど。フィンレー。別に今あなたがその違法兵器魔法を使用していても別に問題じゃないの。あなたがずっと持ち歩いていた剣が実は魔導書であったのも、そもそもあなたが魔法使いだったのも何も問題じゃない。隠されてちょっと傷ついたけど」
「待て。嘘だろう。こんな」
「聞きなさい。私の器の魔法の正体なんてもうわかったでしょう。今気にしなきゃいけないのはそれ、よ」
狼狽える僕の正面で家の壁にもたれかかったエレノアの右手が握りしめられ、人差し指だけが突き出された。彼女が指差した先には……僕が、正確には僕の鎧があった。
「あなたが鎧を頑なに脱がないし、私にも触らせなかった理由。例えば“顔を別人だと認識させる魔導書”だとか思ってたけど、そんなちっぽけなものじゃなかったのね。出会った時に脱いでた姿を見てたし」
「気づいて」
喉がひくついて声が掠れた。これが、鎧が魔導書だと気づいていたのか。つまりエレノアは始めから。
「やっとわかったわ。あなたが私にそれを触らせなかった理由。軽い疲労が残っていた理由。鎧を風呂に入るだとか必要最低限しか脱がなかった理由! 剣以上に質の悪い、碌でもない代物だったなんて」
「黙れ!」
「今すぐ脱ぎなさい。『生命力を魔力に変換する魔法』なんて“一カ月も”唱え続けたら。このまま私を殺すために剣を振るい続けたら……鎧に殺されるわよ!」




