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森の奥には〇〇が暮らしている  作者: 高崎まさき
4.答え合わせ
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4-9 君の傲慢さが誰かを救うのなら

4-9 君の傲慢さが誰かを救うのなら


 エレノアは眉一つ動かさず、逆に足は止めなかった。僕達はゆっくりと目的地に向かって進んでいてそれが少し腹立たしかった。

「僕を変える? エレノア、きっと君は本当に僕の身を案じてくれているのだろうな。ちょっと過剰だけど献身的でお人好しな人間なんだろう。仕事だってそうだ。こんな辺鄙なところに住んで依頼主のために薬を作って届けている。“人を助けるのが生きがい”とかそういうことを真顔で言える奴なんだろう」

「……一応付け足せばあなたが盗人にならない方が私にとっても得なのよ? 真面目に働いている警察にこう言うのは申し訳ないけど、面倒な取り調べから逃れられるし、薬局業務の妨げにならない。私に非はないとしても、妙な噂が立ってお客様が減る可能性はあるんだから何も起きないのが一番。私が面倒くさがりなの、知ってるでしょう? 空き部屋の散らかり具合も酷くて……」

「そうやって『あなたは気にしなくていい』と逃げ道をなくすところが尚更だ。僕の思考を、行動を全部操ろうとしている」

 エレノアを見下ろして低い声を降らす。立ち止まらずとも少しだけ、歩む速度が落ちた気がした。

「犯罪を止める。犯罪者予備軍の者を更生させると言えば聞こえは良いよ。けど君がやっているのは僕を自分の思いどおりにしたいだけじゃないか。僕は盗人予備軍で君は薬局店長だ。悪いのは全面的に僕で、君は何も悪くない。でも……」

 エレノアと出会ってから今日までの記憶が次々と思考下に浮上しては消えていく。彼女と過ごした日々は短かったが、ささくれだった僕の人生に光を射してくれるものだ。そうだったはずなのだ。

 だが全ての意味が変わってしまった。彼女が善意であろうとこの生活は全て僕が“自発的”にエレノアが望む道を選ぶための誘導だったのだ。

 それをここまで気づけなかったのが怖かった。生温い温室の湿った空気が額に滲む汗を撫でていく。薬草独特の匂いで鳩尾に不快感を覚えた。生活の記憶は遂に遡って雨の中鬱蒼とした森へ入ろうとした場面となっていた。顔を知られないため、オルナ町では購入せずに全て中央区で揃えた道具を確認し足を踏み入れる。妙な浮遊感を覚えたのは今考えれば漂う魔力の濃度と鎧が反応したからかもしれない。

 更に遡って連中との作戦会議の内容が蘇る。

 ──君に頼むのは……。

 差し出された写真。告げられるあまりにも衝撃的で俄かに信じ難かった脅迫。

 ああ、でも。僕は唾を飲み込んだ。

 根拠はまるでなく、内心あの時は馬鹿にしていた。何を言っているのだろうと笑いを堪えるのに必死だった。ただ今を思えば“正しかった”のかもしれない。

 まるで、エレノアは──

「でも。僕は怖いよ。全部僕のためって僕を操ろうとしている君が。そこに善意しかないと思い込んでいるのが。ねぇ、器の魔法使いってそんなに偉いのかい? 他者の人生の舵を勝手に取っていいと思っているの? ……それとも君の器の魔法はもしかして思考に干渉する類の」

「そんな魔法はまだ開発されていないし、されたとしても禁止扱いでしょう」

 エレノアが遂に──いや目的地に辿り着き、僕達は立ち止まった。

 地面からまるで剣が突き刺さったかのように真っ直ぐ濃い緑の茎が伸びていて、その先端には大きな赤い蕾が揺れている。

 アイネの花の前。大きく膨らみながらも小さな実をつけるかも危ういそれが、今では醜悪なものに感じた。

「フィンレー」

 エレノアとアイネの花が並ぶ。じんわりと手に汗が滲んだ。

「あなたが私をどう思おうと構わない。たしかに今回はやり過ぎた気もするし」

 腕を組みうんうんと唸る。以前炎の魔法を放った奴との対応と比べているのかもしれない。

「一つだけ聞いてほしいことがあるの。あなたを盗人にしないよう……あなたの言い方を真似れば“操ろうとしていた”一番の動機」

「何だってのさ」

「今までだって本音だったけど、これが本当に一番大きい」

 髪をかき上げる。勿体ぶられたようで眉間に皺が寄っていったが僕は辛抱強く続きの言葉を待った。

 外で大きく風が吹き、ビニールの壁を弛ませた。僕がそちらを向き、そしてエレノアに視線を戻せば小さな口が開かれようとしていた。

「私ね……嫌いなのよ。どちらかを選ぶのが」


◇◇◇


 ポカンと大口を開けながらも僕は瞬時に過去、と呼ぶには近しい記憶を掘り起こしていた。

 ──片方だけ選ばないの、嫌いなの。

 彼女が紅茶の飲み比べをした時の呟きだった。背筋が寒くなる程の恐怖と胸を掻き毟りたくなるような悲しみを覚えている。

「傲慢なのは百も承知よ。でもそれの何がいけないの」

 あっけらかんとした声色に僕は身を縮こませる。恐る恐る顔を見やれば至って落ち着いた顔付きの彼女が当たり前のようにそこにいた。僕と真正面から向き合っていた。

「『変えられるのは自分だけ』なんて言葉があるけれど、何も解決に向かわない諦めの言葉だわ。現実として『他人に変化してほしい』と願い行動する場面なんて山ほどあるのに。大きな視点から見れば国家の法律だって“生活に新しいルールを敷き、それに適応するよう、つまり国民を変化させるため”に作るのよ。親が子を育てるのも成長という変化のため、医療や福祉だってより良い生活へと変化させるためのもの。例えば友達が犯罪に手を染めようとしている時に止めるのは……相手に変わってほしいと働きかけるのはいけないことなの? 変化したりさせられたりしながら生きているのに、人に変化を求めるな? くそくらえよ」

 くそくらえ。乱暴な物言いに呆気に取られる。淡々と、まるで夕食の献立を思い付くような声色でエレノアは言葉をはっきりと僕にぶつけてくる。まだ、止まらなかった。

「勿論、やり過ぎは良くないし人権侵害に当たるわ。私はあなたに未遂の道に進んでほしいからその情報を開示し続けたんだけど、あなたが操られているようで怖いと思ったのなら素直に謝るしかない。でも、どんなに変えようとしても“操ろうとしても”最終的に決めるのは自分自身なことも事実。だからフィンレー。私を恐れようと決定権はあなたにある。私の意にそぐわない道を選んでも私が文句をいう義理はない、けど」

 両足に力を入れる。淡々とした口調に熱が籠り始めていた。

「私とあなた。ここに今いるのは二人の人間で、あなたが盗みを働けばどんな結果になろうと“私達どちらか片方が確実に悲しみに直面する”。私はそんな“片方が選ばれない”道を歩きたくない。だから未遂の道を何とか成立させようとした」

「その傲慢さで僕が変わった手応えはあるのかい?」

「さあ? でも私あなたのさっき言ってた理屈を認めたくないのよ、傲慢だから」

「……どん底にいる人間は本当の意味で這い上がるのではなく、上にいる奴を困らせて人生の慰みにするってやつ?」

「あなたのこれまでの人生なんて知らないけど、人生に客観的な上も下もないでしょう」

「それは下になったことがない器の魔法使い様だから言えるんだ!」

 喉を傷つけるような声が飛び出しビニールハウスの中で音が反響する。なのに澄ました顔をしているのに今までで一番胃のむかつきを感じた。

「……客観的な話をしているのよ。別にあなたの捉え方を否定したいわけじゃない。過去や気持ちも……というより過去なんて知らないけど」

「聞いてこなかったからね。何なら今話してやろうか。片方が選ばれないとか言ってたけど、選ばれて器の魔法使いになった君と違って何にも選ばれなかった僕がどれだけ……」

「やめなさい。それで傷つくのは私じゃなくあなたでしょう」

 ぴしゃりと言ってのける。組んでいた腕を解いて両手で握り拳を作っていた。

 エレノアの拳はほんの少しだが震えていた。

「傲慢だから何度でも言うわ。今まで“選ばれなかった”のなら尚更! 何かの縁があって出会ったあなたを、訳ありだと困っていたあなたをお節介で傲慢だから助けたいと思った。かといってあなたのために私は損をしたくない。というか……何故どちらか選ばなきゃいけないのかしら!」

 怒鳴り声に近い甲高い声が響く。真っ赤なアイネの花の隣で色素の薄いラベンダー色の髪が振り乱れる。赤を薄紫が染めていく。

「どっちかを選ぶなんて後味が悪い思い、なんで私がしなくちゃいけないのよ! それならどっちも選んで、いや“選ばないで済む道を作ればいい”だけでしょう! 傲慢で結構! 自分の人生を侵害されそうだとあなたを怖がらせたことは反省している! けれど私はやれるだけのことをやると決めた。選ばないで済むように、あなたと私が何事もなく生きていけるように」

 最後の方はもう、声が掠れていた。エレノアは肩で息をして僕を睨むように見上げている。

 僕は──

 今までの、エレノアと過ごした記憶が、これまでの人生の記憶が、連中とのやり取りの記憶が混ざっていく。どれかを選ぶのではなく、混ざって溶けてそうして一つの破裂しそうな感情として胸の奥から僕を殴りつけていた。

 どうすればいいのだろう。もう答えは出ている。とっくに出ているのにそれを目の前のとんだ傲慢で厄介で恐ろしく……そして優しい彼女に伝えるのが憚られた。

 僕の心臓を殴りつける感情は全身に広がり鼻の奥をツンと痛めた。目頭が熱い、と思った時には赤と薄紫が混ざって滲んでいた。

「エレノア」

 後悔するかもしれない。でも、今はこれを言いたかった。

「君は本当に……傲慢、だよ……」

 滲んだ視界が晴れれば生温い液体が頬を伝う。なのに僕は笑っていた。何故かはわからないが、小さく笑い声が漏れるのを押さえられなかった。

 鮮明になった視界の先でエレノアはただ静かに、僕とは違う笑みを浮かべていた。哀れみでも軽蔑でもない穏やかな、けれどどこか悲しみを感じる。そう意識した途端一際大粒の涙が目から零れ落ちる。ビニールハウスの舗装された地面に水滴が吸い込まれていった。

「ええ。傲慢だから選ばないで済みたいのよ。面倒くさがりだからかもしれないけど」

 褒めてくれていいのよ、と彼女は今度は得意気に胸を張る。ああ、これが彼女の本音で質問の答えか。僕は得心したように頷き今度こそと綺麗に笑みを作ったつもりだった。きっと歪んでいるだろうが、この気持ちが彼女に伝わってほしい。

 彼女はただ優しく傲慢だった。馬鹿みたいに選びたくないと叫んでいたのだ。

 僕の醜い僻みと似た感情だ。自己満足のためだけのそれでも通したい意地。けれど示す道は真逆で、この涙の理由だった。

「一方的だよ。こんなの」

「一方的なのが嫌ならその内助けてくれればいいわ。……例えば一年後にでも薬局に沢山薬を注文してくれるとか」

「売り上げ貢献じゃないか」

「売り上げがなきゃ薬局はやっていけないのよ」

 呆れたと云わんばかりにわざとらしく溜め息をつかれる。

「フィンレー。だから……私としてはあなたも私も理不尽を選ばなければそれでいいの。未遂で終わってくれればそれ以上は望まない。まあ、社会通念上はあなたはきちんと保護されて法の下で守られた方がいい。こんな呼び方嫌がるだろうけど今回の件に関しては間違いなく詐欺の被害者よ。でも、“私は”選んで良いと思う。あなたがこれからどうするか。成っても小さいけどアイネの花はもうすぐ開花する。実を持っていくなら持っていってもいいし、保護を望むなら全面的に守る」

「その過剰なお節介さはそのままなんだ」

「当たり前よ。あと数日だけどあなたは。だって」

 僕の涙腺を更に刺激する飛び切りの笑顔だった。

「あなたが此処を去るまで臨時職員。私は店長なんだから守る義務がある。あなたがどんな事情や任務を抱えていてもね。そういう契約でしょう?」

 最初は犯罪のために眺めた温室で。獲物の近くで僕は悪戯っぽく微笑む彼女に会えて良かったともう一粒雫を地面に滲ませるのだった。


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