4-8 君の無謀で傲慢な優しさ
4-8 君の無謀で傲慢な優しさ
「ずっと気になっていたんだ」
先を行くエレノアも立ち止まり、振り返る。真剣な面持ちで僕の動向を窺っていた。
「知らないならお人好しで済んだけど、やっぱり異常だ」
「幸運だったじゃない。盗みに入った先の人間がこんなにも警戒心無しで」
「寧ろ、怖かったよ」
エレノアの表情が強張る。“善意”が恐怖として捉えられたことに納得いっていない顔だった。
「最初に君と会った時からずっと僕は不安だったんだ。だって何もかも自分に都合の良いように事が運ぶし、君に全部見抜かれているんじゃないかって考えもした。……でも結局何も君は気づいていないと判断してここで過ごすことにしたんだ。盗人をそのまま宿泊させ短期間だが住まわせた挙句に一応目的のものすら渡す約束をする……そんな人間いる訳がないんだから」
いないはずだった。だからそれを拠り所として僕はここでの生活を送る決心をしたのだ。
「でも結局君には全部お見通しだった。僕を疑った上で一緒に過ごすと迎え入れたんだ」
「森で一人っきりで生活してるとね。物騒だから疑わないとやっていけないのよ。一年前の件もあったし」
「そうじゃない! 疑うのは正しい行動だ。僕が言いたいのは真実に到達していた君が僕を受け入れたことの異常性だよ。いや、やっぱり僕の任務に全く気づかなくても度が過ぎたお人好しで可笑しいけど……疑い、全部知った上でこうやって生活を共にしてきたのはもっと可笑しい。器の魔法使いだからとか、いざとなったら僕を魔法で叩きのめせるからだとかそういう問題じゃない。君は血走った目でナイフを持った人間の前で眠ることができるかい? 君がやったのはそれだ。危機感の欠如か、善意の塊なのか、全く別の何かわからないけれど……何で盗人と知りながら僕を受け入れ暮らそうとしたんだ?」
「人の善意は疑わない方がいいわよ」
「失礼な自覚はある」
歯を食いしばるように言葉を絞り出し見つめ合う。互いに口を噤んでしまった庭でやけに大きく木々の葉がこすれ合う音がした。
鳥の囀りが遠くから聞こえるものの、僕達はそちらを見ずに暫くそうしていた。
やがて。
エレノアが深く息を吐き出す。そして観念したように空を見上げた。
「あなたが脅されている連中は……アイネの実を渡せば縁を切ってくれそうなの」
「僕が仮にアイネの実を盗んで渡したとして、今度はその犯罪歴を盾にもっと悪事を働かされるって?」
「そういう奴は出涸らしになるまで使い潰してくるわよ」
「それなら大丈夫だと思う。僕は今回の件でオルナ町の住民に顔を覚えられ過ぎたし、連中だってもしかしたら覚えられているかもしれない」
前髪を掻き分けて微笑めばエレノアが得心したように頷いた。
「なるほど。たしかにあなたが今後何処かで死体で見つかっても、罪を犯し続けて逮捕されても、いや妙な噂が立った瞬間にオルナ町の住民はあなたの人柄を警察にでも訴え出るでしょうね。それにフィンレーと町の人々の繋がりを連中は監視しているんだっけ? 犯罪をするには他の町だろうと連中含めて顔が知れ過ぎてしまっている。そう考えると……言い方は悪いけど“一度きりの使い捨て”で済むのか」
「うん。僕が洗いざらい警察にぶちまけても証拠はもう消されているから捜査は無理だろう。でも僕を消すか手駒にするかよりもこれっきりの関係にした方が連中にとってリスクが低いんだ。落とし前をつけた冒険者として放り出した方が連中にとって得だから約束どおりに解放されるだろう」
「あなた、それ計算していたの?」
「してないよ。流石に」
訝しげな視線を送られるがこれは本当だ。
「そう。じゃあ連中を捕まえられるかは別として今すぐオルナ町の保護施設や警察に駆け込むことは可能? あなたがしたいかは別として手段として可能かって話ね」
「それは無理だろうなぁ。任務を終えるまではオルナ町の至る所に潜伏している連中が見張っているからそれこそ施設に辿り着くまでに殺されてしまうよ」
「でも私としては一応、こうなった以上駆け込むのも選択肢に入れておくことをお勧めするわ」
「守ってくれるって言いたいの? 僕が施設に辿り着いて連中の目が届かない場所で再び冒険者として一歩を踏み出す手続きをするまで」
「オルナ町の対策班を舐めないで。荒事なら慣れているからあなた一人守るくらい余裕だし、申請さえしてしまえば困るのは連中の方よ。だって相手が冒険者一人ではなく町の行政全てになるんだから手を引くでしょうね。電話一本でこの森までやってきて身柄を引き受けてくれるし、私だって器の魔法使いなのよ。あなたがオルナ町の保護施設に入るまで戦うことくらい容易だわ」
胸をどんと叩くのを見て、僕は苦笑する。たしかに器の魔法使いなら可能だろうとは思う。けど。
「君が今後の身の振り方を一つ教えてくれたのはありがたい。けど、僕が今聞きたいのはそれじゃないんだ」
「ああ。……そうだったわね」
途端風がピタリと止む。エレノアは小さく息をついて、手櫛で髪を撫でつけた。
「一年前に盗みに来た人はいきなり魔法を使ってきたって話、覚えている?」
「は」
「そこの柵の色。少し違うでしょう? こんな森の中で炎を操るなんて危険極まりない」
エレノアが指差した先に首を捻ればこの家を囲う柵が立っていた。よく見れば一部変色、正しくは周囲の経年に対する変色に対して新品に近かった。
「そんな状態だったから前の時は魔法でコテンパンにした後で警察に引き渡すしかなかったの。薬局内まで不法侵入してきた姿がカメラにも映っていたしこっちとしても被害を出されたからには庇えないしね」
「庇った? 庇う必要なんてそもそも微塵もないじゃないか」
「普通ならそうね。私だって庇うなんてどうかしていると思う。ただ……前の放火犯と違って未遂ならそもそも庇う必要がなくなるのよ」
今、何て? 身体を強張らせていればエレノアは近づいてきて肩を叩く。続きは歩きながら話そう、ということらしい。
「何も事件が起きなければ客観的には問題はない。心の中で何を考えようとも自由だもの。あなただって“ただ盗むことを考えただけの臨時で私に雇われた冒険者”になるわ」
「たしかにまだ僕はこの件に関して犯罪者じゃない。アイネの実を盗んじゃいないし、君が滞在を許可してくれているから不法侵入でもない」
「だったらそれが一番だと思わない? 私もあなたも損をしない。庇う以前に犯罪者なんていない、でおしまいよ」
風が鎧の隙間から入り背筋が凍るような感覚に襲われた。つまりエレノアは。
「僕を……僕を未遂のままにするために雇ったっていうの! 犯罪者にしないために!」
「事実だけ述べればそうなるわね」
歩幅が小さくなり前のめりに倒れそうになる。土の靴の下で捩れる感触が僕を嘲笑っていた。
エレノアは僕を犯罪者にしないために遭難しかけた僕を招き入れ、一カ月の滞在を許可し、更には臨時職員として雇っていたのだ。
彼女の今までの献身や優しさの意味が大きく変わる。僕は唇を戦慄かせながら恨み言を吐き出した。
「可笑しいと思ったんだ。僕にとって都合の良過ぎる条件ばかり提示してくる。過剰なまでに献身的に優しくしてくれていた。けど異常だよ。そんなの……」
「リスクが高いって?」
「わかってるじゃないか! 僕がアイネの実が成った後で本性を露わにして君を脅して奪う可能性を考えなかったとは言わせない! 人生のどん詰まりでやけっぱちになって金目の物を奪うだとか、腹いせに殺すとかそういう可能性もあった! 停滞した一カ月の中で捨てちゃいけないものを捨てて変わることが容易だって想像もつくだろう!」
「事情は変わらずとも任務に対するスタンスが変わる可能性は十二分に考えたわ。いや、むしろあなたに変わってほしいから“過剰なまでに献身的だった”のよ」
思わず息を呑む。ふらつく足を何とか前に出し、L字型の建物の内側に行くように角を曲がった。土と肥料の匂いが濃くなって噎せそうになる。
「例えば最初にあなたの任務を全て見抜いて『お前は私の温室のアイネの実を盗みに来ただろう』と大雨の中叩き出してもあなたの心の中に残るのは憎しみだけだわ。いくら悪事を企んでいて自業自得とはいえ、疲労し冷え切った身体のまま冷たくあしらわれれば一層犯行への決意を固めてしまう。任務の他に私怨も混ざるから」
「随分と酷いこと言ってない?」
けれど想像は容易についた。あの雨の中勝手口の扉を叩いた僕に対してエレノアが冷ややかな目を向けていたら。「泥棒め!」と正解なのだが閉め出されていたら。僕は自分勝手に憎しみを募らせ、任務を冷酷に遂行していただろう。
「諦めるどころか、恐ろしい手段を取っていたかもしれないのは否定できないや。僕だって色々賭けていたんだ。ちょっとやそっとの失敗だけじゃ諦めないよ」
「そして私があなたを迎え撃つ。そうすればあなたは警察に突き出されるか、逃げ帰って連中に制裁されるかでしょう。仮に私が負けた……例えばうっかりあなたが私を殺してしまったとしても強盗以外に殺人の罪も加算される。そうすればもう取り返しのつかないことになる」
L字の内側に入る。青々とした野菜達が風に負けることなく畑を埋め尽くしていた。元々一人暮らし用の畑で規模は小さいが、それでも葉野菜が畑を染め上げる光景は中々見応えがあった。
「だからね。フィンレー」
エレノアが葉野菜の近くで屈みこみ、土に一番接している葉にそっと触れる。根元に傷が入っていないのを確認し、そのまま僕の方へ首を捻った。
「私は意地でもあなたの犯行を未遂で済ませたかった。そのために必要なのはあなたが変わることなのよ。私がどう対処しようとあなたが盗みを諦めて変わらなければ未遂にはならない。結局のところあなたの気持ち次第なのよ。……そのためならいくら不審者だろうと雇うし、別に私だけであなたを変えなくてもいい。さっきも言ったけど、町の行政支援の話だって何度でもするわ」
エレノアは立ち上がりそんな僕に向き合う。
「ああ、ダイニングでも言ってたね。その時は“逃げ道”を用意してくれてたんだと思った」
もう一度エレノアが路地裏で立ち止まってまで町の成り立ちから丁寧に説明をし出したのが脳裏に蘇る。実はあの時、見抜かれているのではという不安の他に妙だと内心疑問に思っていたのも事実だった。
「オルナ町は中央と……元凶のフォルセーラ財閥と繋がっていないと念を押したかったんだろう」
「頼りやすいでしょ? あなたが心変わりしてくれる助けになると信じて」
「そこまでして僕を変えようと、変えたいと思ってくれていたの?」
大きく首肯し、エレノアは一歩畑から遠ざかる。僕はその隣に並び、ゆっくりと歩き出した。
向かう先はもうわかっていた。
「エレノア……」
歩みを止めないまま、エレノアがこちらを向く。こうやって見下ろす彼女はやはり小柄で、とてもその身体に大き過ぎる献身を宿しているとは信じられなかった。
「何」
「エレノア。それは……」
透明なビニールを潜る。一定の温度に保たれた温室は外よりも生温かい空気で支配されていた。
湿った空気が喉を潤す。大きく息を吸ってその恩恵にあやかり、そして口にするか迷っていた言葉を吐き出した。
「君は傲慢だよ。人を変えようとするなんて……魔法でも使わなきゃ無理だろう」




