4-7 君と過ごした日々が僕を
4-7 君と過ごした日々が僕を
水を打ったような静けさが部屋を支配していた。
コツ、コツと秒針の音が響く。先程よりは穏やかになったものの、相変わらず風が窓硝子を殴る。木枠が揺れ音を立てていた。
僕は呆然として目の前の女性を視界に辛うじて留めていた。ラベンダー色のさらさらとした髪を今日は結わいていない。白のブラウスにベージュのカーディガンというシンプルな服装は町で安売りしていたから同じ形のものを複数枚購入してきたらしい。小柄な肉体の首の上には当然顔がある。猫のような蜂蜜色をした瞳がただ光を湛えて僕を見つめていた。
「清々、しい?」
「あなたの言うことを信じるなら……人生の逆転のチャンスを今、失ったはずよね」
胸に鋭い痛みを覚え、押さえた。エレノアは一度目を辛そうに細め、それでも言葉を吐き出していく。
「でもその割に随分と楽しそうじゃない。あなたの言う“逆転”なんか認めたくはないけど、生きるための拠り所にするならもっと絶望していてもいいのに」
「それは……」
後に続く言葉が出なかった。わからないからじゃない。もう理解していたからだ。
「……あーあ」
両手で頭を抱えれば静寂を破るように椅子とテーブルが軋んだ。
「エレノアってさぁ。さっきもそうだけどどこまでお見通しなの?」
「フィンレーがわかりやすいだけよ」
「こう見えて嘘は得意だったんだけどなぁ」
「全然。だから悪事から足を洗いなさいな」
「本当に君は……」
溜め息が自然に漏れる。それを僕に言わせるのか。
「そうだよ。僕は……止めてほしかったんだ。他でもない君に。だってさぁ」
冷たい雨の中薬局の明かりを見つけた時を思い出す。ゆっくりと勝手口に近づけば予想よりも早く扉は開いた。小柄な女性が待ち構えていたかのように微笑んでいて何だか拍子抜けしたのが第一印象だった。
乾いた唇を舐めて湿らせる。とっとと言い切ろうと声帯を震わせた。
「毎日、ここに来てから楽しかったんだ。畑の手入れをして、薬局の手伝いをして、一緒に紅茶飲んでさ。君と出会って一緒に暮らして、毎日罪悪感を抱くばかりだったんだよ。やがて“譲ってもらう約束をしたとはいえ”実質盗んで逃げるってのに……二度と君と出会わないようにしなければいけないのに。一人でご飯を食べるだけでも物足りなくなったんだよ?」
ころころと表情を変える女性だと思った。得意気に語ったと思えば途端不安そうにこちらを窺う。大人びた顔付きで薬を袋に詰めていくかと思えば、たかが小説の幽霊に本気で怯えている。
僕の人生はただ坂道を転がるだけだった。そうして転がり切った先の沼で這い上がるための悪意に身を焦がしここまでやって来た。
そんな中、彼女はただ側にいた。側で騒いでいたのだ。距離を詰めたかと思えば見守るように遠巻きから僕の泥に塗れた心を眺めている。その干渉するけど触れない姿勢が好きだった。
これから先行われるはずの譲渡という名の強盗の加害者と被害者。森での遭難者と保護者。薬局の店長と臨時従業員。魔法使いと冒険者。僕達の関係は思いつくだけでも大量にあってどれもが真実でどれもが嘘くさい。当たり前だ、僕も彼女も隠し事をしているのだから。
でも僕にとっては最高の関係だった。沼の底の僕と縁で踊る彼女。それでも側にいた。だから会えたのだし、それで良かったのだ。
僕の事情に触れないでいてくれることに、成し遂げなければならない任務に罪悪感を抱くのには丁度良い関係だった。
「それは良かったわ。私も毎日楽しかったから」
当然だと言わんばかりに彼女は微笑む。方向は違くとも感情の一致に思わず笑みが零れる。
今なら問えると僕はおずおずと口を開いた。
「なあ、エレノア。まだ聞きたいことがあるんだ」
「何」と小首を傾けられる。
「主に二つ……いや、一つは想像がつく」
「何よ。この際全部聞いちゃいなさい。答えるかはわからないけど」
「酷いなぁ」
クスクスとエレノアが意地の悪い笑みを浮かべた。呆れて頬を掻いていれば突如エレノアが立ち上がる。
「どうしたの」
「あなたの質問に答えるにはきっと直接見てもらった方がいい」
僕も椅子を引き後に続く。廊下に出て、そのまま階段に向かう。二種類の足音が小気味よく家に響いていた。
「一つ目って家鳴りの件でしょう」
階段を上り切ったエレノアが廊下を右へと進む。僕が借りている部屋を背にして迷いなく進む先には見慣れた扉があった。
「ねぇ。入っていいの?」
「さっきも入ったじゃない」
「あれは緊急事態だろ」
「家主がいいって言ってるんだから気にしないの」
躊躇う僕を他所にエレノアが勢い良く自室の扉を開ける。そして背を押し込まれ僕は再びエレノアの部屋へと足を踏み入れた。
「えっと、その……僕がずっと聞いてた家鳴りって防犯装置だったんだろ」
あまりじろじろと部屋を見渡すのは気が引ける。僕は足早に問題の黒い“箱”の前に行き、ゆっくりと隣に来るエレノアを待った。
「最初に謝らなきゃいけないことがあって」
「ああ、謝らないでよ。エレノアからすれば当然だ。寧ろ危機管理ができていてホッとしているんだから。君、ちょっと僕に対してあまりにも無防備で」
「何を言っているの?」
「これのことだよ。つまり、家にどこの馬の骨かわからない人間を住まわせることにしたけど、やっぱり不安は存在する。僕が寝首を掻く、あるいは最低の性犯罪者の可能性だってあるんだから居場所だけは知っておきたいって」
「違うわ、フィンレー。……そこの防犯意識については魔具で何とかできる。張ろうと思えば何者の進入を拒む結界だって張れるし、研究室のような施錠も可能よ。それに言ったわよね? ここに住んでもらう前に何かあったら魔法でぶっ飛ばしちゃうって」
ポカンと大口を開けてしまった。エレノアはそんな僕を見て不思議そうな顔をしている。
「え。ならこれは」
「今日、エドワードと私の話をそこで聞いていたから詳細は省くわね」
エレノアが手をかざす。青白い光がベッド下で盗み見ていたのと同じように輝き出した。
「この防犯装置は私以外の人間がこの家に立ち入った時に、反応を示すようになっている。範囲は家と温室……と見せかけて正確には門扉から一周柵で覆っている一応私の土地となっている場所。魔力を感知して家のどこにいても家鳴りという“自然な形”で伝えてくれるし、ここからならモニターに表示されるの」
「でも……」
僕は困惑を顔に張り付けたまま、モニターを凝視する。エドワードとエレノアの会話でも明らかに矛盾が存在していた。
「僕がいないじゃないか。さっきも聞いていて妙だと思ったんだ」
モニターには誰も表示されていなかった。家の間取りだけが青白い光で描かれ、丸い人間を表す光は一つもない。
「答えはあなたが持っているじゃない」
「僕は何も」
「正確には着ている、よ」
カチャリと金属音が響いた気がした。僕は思わず腹を押さえ、その薄い魔力を帯びた金属に手を触れる。
冷たく固い感触──鎧を今日も僕は着用していた。
「この防犯装置はね。実はフォルセーラ財閥から譲り受けたもの、なの」
思わぬ告白に僕は眉を動かした。今、何て?
「辺鄙なところといっても温室付きの家を建てるわけでしょう? だから安くできるところはできるだけ安くしたくて。そんな中、フォルセーラ財閥の魔具を取り扱うメーカーから打診があったの。防犯装置のモニターをやらないかって」
「モニター?」
「二十四時間ずっと電源を切ることなく使用し続けて使い心地を一カ月に一回本社へと郵送する。それを五年続けてくれるならタダ同然で譲ってくれるって言われて承諾したわ。……あの会社、今回の一件の前から信用ならなかったんだけど背に腹は代えられなくて。本当はあなたと一時的に暮らすことになったから電源切りたかったんだけど、そうしたら担当がすっ飛んでくるような契約だから」
「電源が切れる……つまり装置の故障を疑い、何が起こったかをフィードバックする。そのためにフォルセーラ財閥の人間がやってくれば」
「あなたと共に暮らしていることが間違いなくバレるでしょうね。だから私はあなたを受け入れるにあたって“防犯装置にあなたの存在を感知できないようにする工作”をする必要があった」
エレノアがベッドの方へ進む。僕がさっきまでいたベッド下の箱の一つを引っ張り出し蓋を開け、手の平程の大きさの石を取り出した。
「これは?」
「あなたが着用している鎧と同じような素材でできた魔法を無効化する結界を生み出す魔具ね。実は家中の至る所に仕込まれていて防犯装置を阻害するようになっているけれど」
「待って。それなら防犯装置の意味がないんじゃ」
「今だけよ。来客がある時は基本、家の中に置くようにしているの」
「そうじゃなくて」
ああ、やっぱり! 僕は叫びたい気持ちを抑えて呻き声を上げた。
「防犯の意味ないじゃないか!」
「これは私以外の人間が家の中にいると反応するものよ。滞在を許した時点で今更でしょう」
そうだけども。僕は喉奥から獣のような声を出して肩を落とした。本当に全て見抜いていた人間と同一人物なのか。閉口しているのも気づかずにエレノアは装置を軽く叩く。
「本当はあなたにもこれに似た魔具をずっと身に着けてもらうはずだったのよ。防寒対策で服を重ね着するみたいなもので重ねておけば一層効果が出るから。けれどあなたは既に近しい魔具を身に着けていた。……何かあった際に“すぐ私を脅すために剣が、私の反撃から身を守るために鎧が必要だから”ずっと着こんでいたんでしょう? それ」
「……正解」
「後で剣。取りに行かなきゃね」
あっけなく僕の武器と防具を手放さなかった理由を見抜きながらそんなことを言ってのけた。
「いいの? 僕に武器を与えちゃってさ」
「それも今更じゃない。……とにかく」
コツンと爪で腹を弾かれる。魔法を反射もしくは無効化──とエレノアは推測していたが正しくは後者だ──する防具は、専門の魔法じゃなければ威力を問わず効果を発揮する。つまりオルナ町にいる初級クラスの、例えば郵便局職員が唱えた魔法も、エレノアが唱えた魔法も同じく掻き消えるのだ。
「それを身に着けているなら大丈夫でしょと高を括っていたのよ。でも実際は違った。その鎧は魔力を無効化する結界を絶えず張り続けているけれど、外側からの攻撃を掻き消すのが主な性能で装備している人間の魔力を掻き消すものではない。それから魔力というのは体内を血液のように駆け巡っているもの。だからその鎧だと実は不完全なのよ」
「なるほど。……そもそも顔とか覆っていない部分もあるしね」
「それも一因だけど顔は基本常に露出しているでしょう。それよりもこの防犯装置は侵入者を発見するためのものだから魔力の塊の移動……つまり魔力が急に出たり消えたりする動きに対して反応してしまうの」
「もしかして」
僕は一歩後退ると右腕を大きくぐるぐると回してみた。すると装置が青白い光を一層強く放ち、上部の間取り図に薄らと円状の光が宿る。
場所はエレノアの自室。そして聞き慣れたミシリ、という耳障りな音が家を揺らした。
「エレノア。つまりさ、今僕は腕を動かしてその振動で鎧が少しずれてたよね。手を上に伸ばすことで脇腹に急に隙間が大きくなってしまう。防犯装置からすれば大きな隙間から魔力を感知して……要は急に魔力の塊が部屋に現れたことになる」
「ええ」
あのなぁ。僕は溜め息交じりに額を押さえた。
「僕の鎧の僅かなずれを逐一拾って家鳴りが起きていた」
「ええ」
「ええ、じゃないよ!」
冗談じゃない。八つ当たりでしかないが自然に声を荒げていた。
「ごめんなさい。あなたが不審に思っていたのは気づいていたのだけど……急に魔具を持てと事情を明かせば動揺させると思ったの」
「この家はフォルセーラ財閥と繋がっているって?」
「こんな事態にならなければ言わないでそのままにするつもりだったの。そこまで気にしているような素振りもなかったし」
「気にしていたよ!」
信じられない。呆然としながらも頬に熱が溜まっていくのを感じた。
僕はこの家に魔物が潜んでいると、エレノアが魔物を飼い慣らしていると思い、恐怖してきた。そもそもの発端で魔物に襲われた過去もあって正直身の危険を感じていたのもある。共に戦った冒険者達の死に様よりも惨たらしい死を迎える恐怖を抱えていたのは事実だ。だが、小さなものだった。それ以上に僕は任務にとって阻害となる可能性を何よりも恐れていた。二カ月前の魔物との戦いは悲惨だった。けれど僕からすれば自業自得の冒険者の末路で、“それよりも”任務失敗の方が何倍も怖かった。とにかく、色んな理由があるが、だから何としてでも魔物の正体を突き止めなくてはと躍起になっていたのだ。
全部勘違いだった。魔物の正体はなんと僕だったのだ。
「ごめんって。寝る時に気になったりしてた?」
地団駄を踏んで声を荒げればエレノアが眉を下げたので僕は足を止め──そして愕然とした。
「いや。寝る時は特に」
「風呂場には魔具を大量に置いたのだけど」
「エレノア。待ってくれ」
突然癇癪を起していた僕が冷静な声を出したので、エレノアが怪訝な顔でつま先立ちをして僕を凝視する。たった今、僕は衝撃的な事実に直面していた。
「その……いつ家が壊れるんじゃないか心配だったんだよ」
「……本当にそれだけ?」
「あんなに窓枠が揺れているような音を聞かされていれば心配にもなるだろう……じゃなくてごめん。大人げなかったな」
しばらく訝しげに視線をかち合わせてきて、渋々つま先立ちを止めて防犯装置の方を向く。僕は胸を撫で下ろしてそっと半歩距離を取った。
エレノアは僕が家鳴りから魔物の存在を疑っていたことに気づいていないのだ。
あれ程までに僕の思惑や裏に隠れている悪意まで読み取っていた彼女ですら、僕の空回りしていた感情を読むことはできなかった。その事実が僕に“欲しかった優越感”を与えている。生涯ずっとほくそ笑んでいける最低な感情を手放したくはなかった。
エレノアに本当のことを言うべきではない。第一このお人好しは僕が不安がっていたことを告げればとんでもなく驚いた後に泣きそうな顔をして謝罪するだろう。優越感を手放したくない、そんな理由にうっとりとしている僕にだって罪悪感はあるのだ。
それに実は防犯装置の話を聞いた時から薄々勘付いていたのも事実だ。仕組みまではわからなかったが、家鳴りが防犯装置の仕業な以上、耳障りな軋みは僕に理由がある。まさか自分自身に怯えていたとは認めたくないので目を逸らしたかったが。
ふーと息を吐く。エレノアに聞きたい一つ目の話はこれで切り上げていいだろう。だから後一つ。こちらは未だに理由の予想もできずにいてむずむずとした煮え切らない思いを抱えている。
エレノアと出会ってからずっと感じていたこと。僕は聞かなければならないのだ。
「エレノア。家鳴りの件はわかったよ」
ちらりと視線を逸らせばベッド上のぬいぐるみと目が合う。何となく決まりが悪く扉の方を向けばエレノアがそちらに向かい手招きをした。
廊下に出て剣を回収する。「埃っぽくてごめんね」と苦笑いを浮かべている彼女と共に階段を下り、僕達は自然に薬局入り口へと向かっていた。
真っ直ぐと伸びた石畳の先にフォルセーラ財閥製の門扉型防犯装置がある。あれに本当に悩まされたと思えば壊したくもなるがそんなことは決してできない。
先程までの窓硝子を叩いていた風は穏やかになり、僕達の髪をそっと撫でて流れていた。
「もう一つの質問よね。……お茶を」
「いい。ここで……それに風が強かったし畑を見に行きながらで」
エレノアの提案を固辞して僕達は石畳を外れて歩き出す。土の柔らかさ、森特有の湿気を纏った空気にもすっかり慣れてしまった。
「エレノア。最後の質問だよ」
ギュムと土を踏みしめた。畑に行こうと言いながら自然と立ち止まっていた。
「ねぇ……。君は何で──アイネの実を盗みに来た泥棒の僕を受け入れて一緒に暮らすなんて無謀な提案をしたんだい?」




