4-6 嫉妬と憎悪の底から
4-6 嫉妬と憎悪の底から
冷め切った紅茶はさっきよりも口に馴染んだ気がした。
僕がゆっくりと飲み干している間、エレノアはノートを手に立ち上がりソファの上にゆっくりと下ろした。彼女の知識と努力と、それから僕の知らない苦労がつまった分厚いノートを横目で見やり、カップをテーブルに置いた。
「完敗だなぁ。全部正解だよ」
想像以上に明るい声色で言葉が飛び出し、喉元を押さえる。
「そんなに根拠を以て僕の正体を見破っているとは」
エレノアはテーブルに両肘をついて組み、手の上に顔を乗せている。じっと僕の瞳に視線を合わせていた。
「何でそこまで根拠を聞いてきたのよ。あなたもう途中から、というかほぼ最初から認めていたじゃない」
「自慢できることじゃないけど」
エレノアの苛立った声を遮る。エレノアの眉間の皺が一層深くなった。
「本当に自慢できることじゃないけど、これは僕の人生の大勝負だったんだ」
「私の家からアイネの実を盗むのが?」
「うん」
「馬鹿、じゃないの」
「否定はしない。というよりそれこそ大正解だ」
吐いた息は紅茶に温められて生温かい。僕は今どんな顔をしているのだろう。確かめようにも鏡代わりのダーンエイティーは飲み干してしまっていた。
「エレノア。僕も根拠を聞いている時に少し語ったし、君も察しているだろうけど、僕は冒険者として色々あって明らかに碌でもない契約を結ばなければいけないくらいの状況に追い込まれていた。そしてその“対魔物討伐”にも失敗して更に追い込まれた。今でも夢に見る。契約時に伝えられていた以上の魔物の群れに囲まれ、次々と倒れていく同業者達。むせ返るような血の匂い。ほんの十分前まで互いの境遇を嘆き、仕事が終わったら一杯やろうと笑い合った奴の死体を盾にした。死にたくないと最期まで叫んでいた年下の冒険者の声がか細くなって潰えるのをずっと耳にした。劣悪な環境でも明るく振る舞おうと冗談を言った奴の胴体が離れる瞬間が目に焼き付いている」
これでもまだ生温い過去を語ったつもりだが手の平にじんわりと汗をかいていた。別にエレノアに気を遣ったのではない。僕が口にしてもう一度“追体験”するのが怖かったのだ。
「最後の調査はそんな環境で、冒険者で生き残ったのは僕だけだった。でも、そんな惨状も生き残った先に待っていたのが業者からの更なる暴力なのも、強盗への誘いなのも……地獄なんかじゃない。……あいつらに感謝しなければならない最高の幸運なんだ」
「あなたが生き残ってくれて本当に良かったと思う。けれど更に暴力を振るわれたことやどんな事情があろうと碌でもない契約で傷ついたのはあなたのせいではないし、業者連中を恨みこそすれ感謝する必要はないわ」
「違うんだよ、エレノア」
僕は声を張り上げればエレノアが姿勢を正し腕を組む。風が窓硝子を大きく揺らしていた。
「僕はあいつらを本当に恨んでなんかいないんだ。だってチャンスをくれた。……君からアイネの実を盗む、ね」
「私、あなたに恨みを買われるようなことをしたかしら?」
「全くしてない。ただの僻みだ」
僻み、とエレノアが顎を引く。そう、本当に僻みなのだ。今から語るのも、エレノアに自分の罪を認めながらも無駄に食い下がったのも。
息を吸って、テーブルの下の両手を握りしめる。汗でぬるついて思わず舌打ちをした。
「ボロボロの身体の応急処置が終わった途端、僕は唯一の生き残りとして業者のトップの前に引きずり出された。『お前のせいで失敗した』『どう落とし前をつけるんだ』そんな典型的な脅し文句と共に殴られ、上下関係を徹底的に叩き込まれた後一枚の紙を差し出され『落とし前をつけろ』ともう一発殴られた。点滅する視界の中で見えたのがエレノア……君とこの薬局とアイネの実の写真だ」
「盗んでこいと、そう脅されたのね」
「あとはさっき君と話したとおりだ。でも一つだけ違うのは」
自分でもわかるくらい息が荒い。手の平にかいた汗はさっきとは別の理由でだった。
「僕は君からアイネの実を盗みたかったんだ。あいつらから君の情報を仕入れる度にその気持ちはどんどん大きくなっていった」
エレノアが驚くほど目を丸くする。じわじわと腹の奥に黒い物が溜まっていき、口角が上がる。間違いなく意地の悪い笑みを僕は浮かべていた。
「僕が冒険者として追い込まれていたのはお涙頂戴の過去があるとか、病気の家族を救うためだとかそんな情状酌量の余地がある理由が存在するんじゃない。ただ勝手に落ちぶれただけで自分が悪い」
「フィンレー……」
「そんな悲しい顔しないでよ。今、最高に楽しいんだ。君に見破られて取り繕う必要なく話せているんだから」
腹の奥の黒いものが血液のように全身を駆け巡っていく。この家で暮らし始めて間違いなく一番高揚していた。
両手を広げ大袈裟に振る。出来損ないの指揮者みたいな動きをしながら僕の演説は続いていく。
「器の魔法使い、エレノア。魔法使いの中でも上澄みの人間の鼻を明かせる可能性が僕にも巡ってきたんだ。僕が萎びた野菜と固い干し肉を食べ泥まみれになって働いてるのに白い目で見られている時に、新鮮な食材で作られた料理を毎日食べ若くして薬局を建て様々な人間から信頼されているそんな存在……羨ましいよね」
「脅されて自分の負債を支払うためならわかるわ。でも私の鼻なんか明かしたって……」
「どん底にいる人間から見ればそれが最高の娯楽で幸福なんだよ。自分から一歩ずつ這い上がるのなんかとうに諦めている。だから上にいる奴が自分のせいで困り果てる姿を眺めて慰め合うのさ。『僕達みたいな碌でもない連中に負ける存在なんだ』って馬鹿にして。本当は自分達の方が上だってほくそ笑むんだ」
「それが……盗みを引き受けた一番の理由だって言いたいの」
ショックを受けている、そんな悲痛な顔をエレノアはしていて心臓が跳ねる。血液と共に薄暗い感情が全身を支配する。高笑いの一つでもしたくて仕方がなかった。
「ああ、そうだよ。勿論引き受けなきゃ殺されていたのも事実だけど、一番は僻みだよ。会ったこともない君の話を聞いて『君を騙してアイネの実を盗めるなら僕だって捨てたものじゃない』と今後の自信にするつもりだった」
「犯罪歴を自信に変えてどうするのよ」
「正論しか言えないの、君は」
わざとらしく肩を竦めて挑発したものの、エレノアはじっと僕を見つめたままだった。
薄暗い感情が、腹に沈殿していく黒い感情が揺れ思わず目を逸らす。喉奥から苦いものがこみ上げてくる。高揚していた脳に冷や水を浴びせられる。
不快。そう感じた途端、僕は更に捲し立てた。
「いいかい。底辺を這いつくばっている者からすれば上の者を倒す、見下せるチャンスってのは最高の大番狂わせで人生の逆転のチャンスなんだ。よくあるだろ? 弱っちい見た目の少年が大男を倒したことから始まる英雄譚! 恐ろしい化け物を無力な少女が倒す恐怖小説! そんな逆転劇を誰もが夢見ている。それが僕にとっては人生を楽しんでいる上澄みに存在する奴の鼻を明かすことだった、そしてそのチャンスが来た! それだけなんだ。だからこれが世間的に強盗という犯罪だったとしても僕にとっては一世一代の賭けだった。失敗しようが失うものはないし、一つでも君が僕の思惑に気づかなかったら勝利の負けるはずのない賭けだ! 君が僕の思惑に気づけなかったって事実が僕を君より上の存在にするんだから! そこに社会的正義や倫理観や正論なんて関係ないんだよ。底辺にいたまま君みたいな奴等を見下して人生を豊かに過ごせるための! 自分だって捨てたものじゃないと肯定するための! だから……」
「それなら何で」
腕を組んでいたエレノアは気がつけば解き、居住まいを正していた。
凍り付く程冷たく、そして清らかな声をしていた。
「何で全部暴かれたのに、あなたはそんな清々しい顔をしているの」
腹の奥の黒く濁ったものが霧散し、「は」とも「え」ともつかない声として漏れていった。




