3-4 急変
3-4 急変
一カ月あっても観光しきれない規模とオルナ町を称したのはエレノアや町の住民達だった。たしかに至る場所からやって来た冒険者や行商人は毎日のように違う品を売買し、町は入り組み大勢の人間で常に賑わっている。冒険者達が様々な仕事を請け負い、住民も共に働く。広さ以前に毎日違った顔を見せるのだ。だからこの町の“固定された”世界というものを掴むのに時間がかかるのだろう。現にエレノアの期間限定助手である僕はほぼ同じ道や店しか利用していなく、エレノア曰くそれは町の十分の一にも満たない施設だと。本気で毎日違う場所に通い制覇する勢いでなければ回れないのだ。この町自体が冒険しているように景色が変わるのだから。
町の図書館から出て、僕は帰路を急ぐ。僕が一番知っている雑貨屋はエレノアに紅茶の付け焼刃の知識を授けたジョージさんの店だが、そこで買い物をしてはエレノアにバレてしまうだろう。だから更に町の中央の大型量販店で小型の魔具をいくつか購入した。大勢の客で賑わう会計レジが並ぶ量販店では足がつかない。つくとしても明らかになるのはきっと僕があの森を去った後だ。だったら何一つ問題ない。それに例えば……殺人を犯すために凶器を購入したわけでもないのだ。だから堂々と客として入店し、そして帰るだけだ。
方位磁針型の魔具を森の前で起動させ、光が導く方へ歩いていく。何度も行き来している道だが一人でエレノアの店に辿り着くのは今でも不可能だ。魔力が道を捻じ曲げている、とエレノアは言っていた。幼い頃に読んだ有名な絵本にあった“迷いの森”の原理はこれらしい。事情があるとはいえよく、あの日店に辿り着けたものだと自画自賛をしておく。当たり前のように怪しまれたが、それはそれだ。
見慣れた門扉が視界に入り僕は魔具をしまう。土産だと買ってきたクッキー缶とファムベリージャム、それからミルクブレッドが入った布製の袋の中底の下に購入した魔具を隠した。組み立てるのに三十分はかかる。ジョージさんの店でジャムを購入した時、奥にかけてあった時計は午後二時を示していた。エレノアは恐らく午後四時頃に休憩で研究室から出てリビングで紅茶でも飲み、そして僕等の夕食は七時過ぎだ。だから僕の予定としては帰宅して魔具を組み立て、四時以降にエレノアの部屋に侵入する。交渉決裂した今、僕の任務遂行のためには不審者だろうと変態だろうとやるべきだ。
「ただいま」
誰も訪れることがない。しかし開店している意思表示の看板を通り過ぎ、薬局へと帰宅する。カウンター奥へと入れば、昨日と同じようにドアの隙間から光が漏れていた。
時刻は午後二時四十分。これから組み立てを開始しなくては。
手を洗い、ダイニングテーブルにジャム達を置くと引き返し、階段を上る。そのまま急ぎ足で自室へと潜り込むと布製の袋から購入した魔具をベッドの上にぶちまけた。
小さな黒い部品が三つ。これを組み合わせれば──
突然、ドンドンドンと何かを殴るような音が背後からして心臓が跳ねる。聞き覚えのあるそれに僕は急いでベッド上の魔具を袋に入れクローゼットへと投げ入れた。
ドンドンドンと今度は一層激しい、違う。部屋のドアを殴りつける音がした。合間に切羽詰まったようなここ二十日程で一番聞き馴染みのある声が響く。
「フィンレー! 帰って来てる!? 開けていい!?」
エレノアだった。研究室にいたはずの彼女が何故か階段を駆け上がり、僕の部屋の扉を頻りに叩いている。どくどくと血液が身体中を駆け巡る音で耳鳴りがした。息が荒く首筋が湿っていった。
まさかバレたのか!?
そう認識すれば更に心臓が跳ねる。動揺を悟られてはならない。首を横にぶんぶんと振って息をできるだけ吸い、そうして言葉と共に吐き出した。
「さっ、さっき。帰って来た。けどどうしたの? そんな慌てて」
上擦った声が出たことに舌打ちをするが不自然ではないだろうと思い直す。突然、ドアを殴られ叫ばれた時の反応としては間違いではない。
ドアノブが勢い良く下がりエレノアがドアを蹴破るように部屋に入ってくる。僕は寸でのところで腰掛けたベッドから立ち上がりあくまで相手の反応に驚いた振りだけをしてエレノアに近づいて行った。
血相を変えたエレノアが息を切らしてそこに仁王立ちしていた。
「今、町から帰って来たばかりだけど……どうしたんだい?」
「あなたの荷物、クローゼットの中の町で買ったので全部?」
「町で買った? お土産に買ったジャムはダイニングに」
「そうじゃない! ここで暮らすことになって買った服とかそういうの全部! クローゼットの棚に入れてるだけ!? 持ち運びできる量!?」
詰め寄るように腕を掴まれ、僕は一瞬身じろぎをする。話が噛み合っていない。エレノアは今の買い物のことを指していない? つまり僕が購入した侵入セットのことには気づいていない。
心臓の鼓動がゆっくりと平静を取り戻していく。耳鳴りが緩やかに消えて行った。
「うん。だから落ち着いて……」
「今すぐ全部まとめて」
呼吸が一瞬止まった気がした。今、何て?
「エレノア……」
「私が触るの、あなた嫌でしょう。だから早く。見られたくないなら部屋出てるから急いで」
「そうじゃない。どうして……いや、今まで手伝いはしてたとはいえ実質対価を支払わず居候していたから当然の」
反応だが。
頭が真っ白になっていた。先程の扉をガンガンと突如殴られた時よりも、何なら魔物がミシリと音を立て僕を脅しているかの如く暴れている時よりも動揺している。
エレノアが出て行けと僕に言っている? 約束と違うじゃないか。
様々な心の内の感情が、そして過去の光景が脳内で高速に回転し、消えてはまた呼び起こされていく。情報と感情の濁流に眩暈がして、喉奥から苦いものがこみ上げてくる。
ふざけるな。僕は絶対にアイネの花が咲き、実を見るまではこの家にいてやる。裏切りやがって。
沸々と困惑は怒りへと変貌して目の前を真っ赤に染めていく。何で、どうして。エレノアは僕のことを。
まさか。
俯いたままの赤い視界で思い出したのは昨日の僕の行動だった。僕は入るなと言われた部屋に不法侵入を果たしている。そして今、今度はエレノアの部屋へ侵入する算段だった。
エレノアは本当に気づいてしまったのか。僕の事情に、任務に。
本当にそうなら言い訳は不可能だった。僕の任務を知ってしまえばエレノアは僕を家に留まらせておく必要はないどころかとっとと追い出すに違いないのだ。
頭に上った血がゆっくりと引き、身体が、脳が冷たくなっていく。
だったら。もうすべきことは決まっていた。
剣の柄にそっと手をかけ──
「追い出そうだなんて思ってないから! むしろ逆! 後で幾らでも説明するから今は従って!」
は? 僕が柄から手を外し、顔を上げれば真剣な面持ちのエレノアが悲痛な声を上げた。まるで崖から足を踏み外す瞬間を見て「危ない!」と叫ぶしかない、そんな声だ。
「いいから五分以内で荷物まとめて。その……ちょっと埃っぽいかもしれないけど隣の部屋の机の下にでも全部押し込めてタオルでもかけといて。あ、ワードローブがあるからそこに押し込めるなら全部押し込んでしまってもいい」
「隣の……?」
「入っちゃいけないんじゃないの」と尋ねようとした声を遮り、エレノアは続けた。
「それから……えっとできれば今だけでいいからその鎧と……いや、鎧は絶対つけたままでお願い。逆に剣は絶対外して隣の隣、一番端の部屋に適当に置いて。何も危険性もない雑貨というか魔具の一種ですって感じで。それが終わったら……本当に埃っぽいかもしれないんだけど」
「剣が危険性ないは無理じゃないかな」
「だったらまるで私のもの、といった感じで置いといて! 私が護身用に購入したみたいに! 部屋に馴染んでいればそれでいい!」
ええい、と頭をエレノアが掻き毟っている。綺麗なラベンダー色のさらさらとした髪がカーテンのように現実離れして揺れていた。
「私の部屋に来て。そこで待ってるから……いいから早く!」




