第7話 社会正義の残酷
宿に泊まることもできたが、ヴェイルは路地裏で座り込んで一夜を明かした。ルアハは夢に出てこなかったが、今のヴェイルには金やまともな服装という資産が、心の余裕があった。夜の間に盗人は三人現れたが、いずれもヴェイルから物を奪うことは叶わなかった。
貧民街のヒエラルキーを見下ろして、感慨のないため息を吐く。
季節はすっかり秋になっていた。銃が手に入れば、もうこの場所に用はない。ヴェイルはふらりとしばらく歩き、街の方へ出た。ハイダール県からは離れていないが、イェスタに連れられて遊んだマックスウェル家の膝元の街とは遠く、かなり雰囲気も違っていた。立ち並ぶ飲食店で客が騒いでいる。中年の男で賑わっているのを見るに、今日は世間様では休日ということになっているのだろう。
ヴェイルがこの街——県都ダロンに来たのは、追跡協会がここにあり、同時に、県内で恐光症事案の件数が最も多い地域だからである。
イェスタが言うには、追跡者は平和を維持する立派な組織ではあるが、最終的に殺人に行き着く都合上民衆との距離は遠く保たれている。協会の建物は一般的な宗教施設のように開かれたものではなく、その資金繰りも献金ではなく行政からの支援と報酬で成り立っているらしい。
「……失礼、追跡協会を探してるんだが」
「あ? 追跡?」
「…………」
歩いていた男を呼び止めて訊いたが、まるでこの世に存在しない言葉を聞いたように怪訝な顔をされる。
恐光症は如何せん非現実的な現象なので、存在を実感していない層も少なくない。実際に出会って「ああ、これが」となるまで意識せずに生きている人間も少なくないだろう。ヴェイルとて、ルアハの面影を追っているだけで信じているわけでは正直ない。
「恐光症に対処する追跡者の拠点だ。……知らないならいい」
「はいよ、知らねえなあ」
男はそう肩を竦めて去っていった。腹の立つ態度だが、殴りかかるような真似はしない。ヴェイルは育ちが悪いが、その頃は喧嘩をすれば負ける弱者の側だったからだ。更に今は、それに勝ったところで大した価値はないと知っている。
次はどうするかと立ち止まって通りを見渡していると、ふと裾を引かれる感覚があった。振り返ると、橙色の髪の少女が恐る恐るヴェイルを見上げている。
「あ、あの……お兄さん、追跡者なの?」
「違うけど」
「そ、そっか」
少女の髪は癖っ毛ではあるが整っていて、それなりの暮らしをしていることが分かる。
「じゃあ、罹患者を報告しに行くの?」
違うがそういうことにしておこう。ヴェイルが頷くと、少女はごくりと唾を呑んだ。
「——ねえ、駄目だよ。だって追跡者は、罹患者を殺しちゃうんだよっ」
ぐいぐいとヴェイルを引く少女の力が強くなるが、その力はヴェイルの体幹に負けていた。ヴェイルは眉を顰めて、イェスタの言っていたことを思い出して言った。
「そうしないと他の被害が出るからじゃないのか」
罹患者の危険性は、他の人間を取り込もうとする闇の脅威で知られているが、他の危険もある。例えば、絶光領域はそもそも地中に空間を作るものであるから、あまりにも大きくなると追跡完了時に大規模な地盤の崩壊が起こる危険性があるのだ。ここは都会だから、その影響が侮れない。
「そ、そうだけど……でもっ、……でも……」
「……。身内が追跡者に殺されでもしたのか?」
「っ」
少女が息を呑み、動きを止める。図星か、と思ったが、少女はふるふると力なく首を横に振った。
「……相談に乗ってくれる?」
「?」
正直面倒だったが、有益な情報がないとも限らない。人のいない方へ引っ張ろうとする少女に諦めてついていく。こいつには警戒心がないのか。彼女は適当な場所できょろきょろと周りを見ると、しゃがめとばかりに今度は袖を引っ張ってきた。仕方ないので腰を下ろしてやる。
彼女はそれからもしばらく落ち着かない様子で口を開けたり閉じたりを繰り返していたが、やがて意を決すると話し始めた。
「……あのね、あたしも、友達が罹患者になっちゃったの」
「!」
「追跡者には言わないで! まだ、……まだ、誰も巻き込んでないの」
驚いた——協会に行くよりも大当たりじゃないか。




