第46話 因果応報
「貴様は哀れだ。何も知らないのだろう。故に——知らぬまま、その正義のまま散ることを餞としよう」
「何よそれ」
ルアハは吐き捨てる。——彼女が怒っているところは見たことがある。だがそれはどれも本気ではなかった。本気で怒った彼女は、ただまっすぐに相手を見据えて、ぎゅっと唇を引き結んでいた。
「……!」
しばらく、ヴェイルの目には追えない応酬が続いた。ルアハの力になるのかは分からないが、彼女の勝利を強く願う。
「落ちるわっ」
ルアハが言うと、身構えたヴェイルの足元の地面がぐらっと傾いて抜ける。
ルアハがすぐに斜面を伸ばし、ヴェイルはそれに足をかけて滑り降りた。跳躍して追跡者たちの頭上をとり、六度引き金を引く。
「……二人か」
自由落下するヴェイル目がけてすぐに下から飛んできた光の矢を、ルアハが作り出した蔦に腕を絡めて軌道を変えて躱す。壁に足裏をつけて三階分くらいの深さの下を見下ろすと、三人が各々着地する中、ヴェイルが撃って意識を失った二人が思いきり姿勢を崩したまま落下し、ごしゃっと音を立てた。頭が破裂し、骨が肉を突き破っている。
「! 助けなかったのか?」
「そんなっ」
「——この程度の闇の干渉を受けた追跡者が、その後悪魔に陥落しやすくなったという教訓がある。元々強い光を持っていた者は闇も強くなりがちだ。なので、きっぱりと殺すように教育している。どうせ死んだ命だということだ」
「……あなたが」
ルアハは恐怖していた。その冷酷に。
「清廉に生きていれば、死は恐ろしいものではない」
「そんなの、他人が勝手に言っていいことじゃないわ」
「だから混沌を齎すと? ——貴様のやろうとしていることもボクと大して変わりはない。違うのは、影響を抑え込む力が実際にあるかどうかだ」
「っ……」
彼は弓に矢をつがえ、この絶光領域の本来の主である悪魔に狙いを定めた。
ルアハは急いで制御を奪おうとした——しかしそれよりも早く、両者の間に大きな盾が出現する。
「はぁ、はぁっ……」
「ノーマ」
縁に立って下を見下ろすのは、走って追いついてきたらしいノーマだった。彼女はヴェイルと目を見合わせて、二人は同時に飛び下りた。
「……なァんだ妙なことンなってんなァ、ンだこりゃア?」
ヴェイルとノーマだけでは対処できないと判断した悪魔——が憑いた罹患者は、胡乱げに目の前の光景を眺めてそう言った。酷い隈のある痩せた女性教員だった。
「オレ様の食事はどこだ? テメェら何なんだよ——」
「——“乞い願わくば汚れたるを清め”」
「ア……?」
追跡者の男が詠唱を始める。息が詰まって、心臓が静かに早鐘を打ち始める——これはまずい、と。
「“乾けるを潤し”」
「は——」
「“傷つけられたるを癒し給え”」
「ッ……‼︎」
次の瞬間——罹患者は唖然とした表情で、ガクンと崩れ落ちて両膝をついた。そして……己の胸に手を当てる。
闇が迸る。
彼女は自害したのだ。
「えっ……」
ノーマが絶句する。
何が起きたのか分からなかった。直接の攻撃はなかった——はずだ。
「安心しろ、貴様らをこんな風に殺しはしない」
「…………」
彼はそう、ヴェイルとルアハとノーマに言った。
それは彼の言葉を信じるのなら、こちらの正義を尊重して正々堂々勝負しようということだったが……。
「……ヴェイル、勝敗を確かめてる余裕はないわ」
「ああ」
勝ちを信じるしかない。
「ノーマ、あいつはおまえのことも狙うかもしれない」
「……あんなやつに負けられない」
ノーマは低い声でそう言う。ヴェイルも銃を構えた。
「————」
残っている三人の武器は、弓矢と杖と槍だった。ヴェイルの銃弾は杖の攻撃によって打ち消された——すぐに矢の追撃が飛んでくる。悪魔から引き継いだ絶光領域をかち割るほどの威力のそれに冷や汗が出る。さっきノーマはあの矢を防いだが、かなり消耗したはずだ。
飛び道具が二人では、回避するだけでも精一杯だ。いつ運がこの手を離れて死んでもおかしくない。ルアハもまた、そのルートをヴェイルに示すだけで手一杯だった。
「さあ……ボクの勝ちだ。これでこの世界は秩序を取り戻す」
「‼︎」
ルアハの未来視で、これまであまり行動していなかった槍の追跡者が目の前に現れる。未来は見えた。だが——それを避ければ矢に貫かれる。ならば、受けるしかない……。
「ふっ」
ガキン! と衝撃で目の前に星が散るようだった。銃身で槍を受け止める——ルアハが枝葉を伸ばすが、それは悉く打ち消される。
早く受け流さなければ……頭では分かっていても、力が拮抗している。ジョーディンも強かった。そもそも追跡者のほとんどは武人と呼ぶべき人物だ。その力に膨大な光が乗り、この身を押し潰そうとしてくる。
「くうっ……!」
ダメだ。負けるわけにはいかない。なぜならヴェイルが死ねば、ルアハも死ぬからだ。実在するルアハが。
「っ……ヴェイル」
一瞬、自分にも未来が見えるような気がした。光の矢がこの胸を貫く未来が。
ああ——ルアハ、こんな契約者でごめん。
ヴェイルはそう思った。少し、力が抜ける。
「…………」
シーンがコマ送りのように見える。ヴェイルはこの時、諦めていた……のかもしれない。自分はルアハを不幸にすることしかできない、だがそれの何が問題だ? 他の奴と幸せになったルアハを見れば満足なのか? 違うだろ?
「——あああああッ……‼︎」
……その絶叫は、ヴェイルの耳には遠く聞こえた。
懐かしい匂いがした。鉄の……血の匂いだ。それは足元に滴って、みるみるうちに水溜りを作った。絶光領域の地面の上で、僅かな光によって見えたその鮮やかな赤は、闇よりも黒いような気がした。
「違う……あたし……こんなことしたいわけじゃ、ないの。でも……天使さん本当は、見てるだけじゃないでしょ? この人たちのこと、操ってる。動きが拙いよ」
「——ご名答だ」
天使はそうとだけ言った。
「そんなの、悪魔と同じじゃない」
ノーマは眉をハの字にして、恐怖で泣き叫ぶような顔でそう言って、血濡れたナイフを握りしめて走り出した。
「じゃあ……こうするしか、ないよね? これってずっとあなたたちがやってきたことだもんね⁉︎」
「……ノーマ!」ルアハが制止しようとするが、その声は彼女には届かない。
「ヴェイルさんは殺させないっ! ——うああああッ——!」
ヴェイルは援護に回るしかなかった。捨て身の行動に出たノーマを守るように、二人の攻撃を研ぎ澄ました未来視によって置いた弾丸で弾いていく。
「くっ……」
ナイフを受けた弓矢の男の目から“天眼”が消える。残された杖の男は武器を消し、ノーマが自分のところへ辿り着くまでに口を動かした。
「“乞い願わくば汚れたるを清め”……」
「…………」
「“乾けるを潤し”、……っ“傷つけられたるを癒し給え”……」
男の体から力が抜けると、ノーマがナイフを抜く。彼女はそのまま、ナイフを己の首元に添えた。
それはあまりに迷いのない動作で、止める隙がなかった。ノーマは自分の喉を掻き切り、自ら命を絶った。それが天使の詠唱によるものだったのか、彼女自身の意思によるものだったのか……ヴェイルには判断がつかなかった。




