第45話 秩序の守り手たち
次の瞬間、全身が膨大な光に灼かれた。
「う——ぁああ、っ」
「ルアハ‼︎」
苦しげな声に、ヴェイルの脳は全機能を使ってただ悲鳴を上げた。体の感覚を無視し、全力で校内へ走る。まだ影響下から逃れられてはいないが、光が遮蔽されて幾分かマシになった。絶光領域はまだ展開されない。苛立ちが募る。
「ルアハ、大丈夫だ、僕たちはちゃんと力をつけてきた……」
「ヴェイル……待って、あの人たち何か変よ」
ルアハに言われて、窓から光が収束した方を見やる。ルアハは綿密に、校舎内に闇を展開していく。
五人の追跡者は慌てず、互いの距離感を保って歩み寄ってきた。ヴェイルはすぐに、ルアハの言っている意味を理解した。
「——“天眼”じゃないか。……全員だって?」
「そんなまさか!」
信じ難いことだが、五人は全員が両目に模様を浮かべていた。それの意味するところは、五人の天使がヴェイルを見ているということ……。
「……いえ、……よく見て。“天眼”の模様は天使によって少しずつ違うの……。あの五人のは全て同じ、つまり彼らと繋がっている天使は一人だけよ」
「天使が全員を統率してるって感じか。……僕たちを殺しにかかってるな」
「厄介な相手に目をつけられたみたいね。——でも大丈夫、ヴェイル、私たちには未来があるから」
「ああ」
ルアハは因果を辿れる範囲の運命を知ることができる。この戦いで彼女とヴェイルが生きて帰れることは決まっている。だからといって油断はできないが。
「冷静に対処しましょう。ヴェイル、罹患者は奥の校舎で出るわ。この場所で一時的に領域を形成して時間を稼ぐから、その間に奥に」
「分かった」
光と闇は質量を持たないが、闇は物体を侵蝕し、光はそれを砕くことができる。黒と白がぶつかる時の独特な衝突音の後、建物が崩壊する音が響く。それは校舎内の人間への警鐘になり、瓦礫は彼らへの足止めになるだろう。
学校——という場所に入るのはこれで三度目だ、とヴェイルは考えながら走った。一度目はイェスタに誘われて渋々行った聖寵感謝祭の日。そういえば、同じ季節だ。この学校もその準備をしていたのかもしれない。
あの頃はまだ追跡者を目指していなかったから、二人は純粋に親友だった。恥ずかしいことに、ヴェイルがテオバルトに言われたままに渡した手帳をイェスタは未だに愛用している。ただ——二年目は参加しなかった。イェスタは最終学年で、皆に囲まれるだろうと家の人たちが噂していた。それは遠回しに、ヴェイルに対してイェスタと距離を置けと言っているに違いなかった。
追跡者になるなどと言い出しておいて何だが、その時はまだルアハの実在を信じていなかったから、ヴェイルはルアハとイェスタという二つの人生の支柱を失って追跡者という“第三の人生”を歩むことになったのだ。
二度目、選定の儀でヴェイルの“第三の人生”は潰え、“第二の人生”への帰路も断たれた。
豊かさの代償としてのプレッシャーに苛まれていたヴェイルは、それから解放され荒野へ進んだ。だが、泥沼の“第一の人生”の続きにあったのは、ルアハの光に導かれるこの“第四の人生”だった。
ルアハの言うことは全て正しい。それを、あの追跡者たちは、天使はなぜ理解できないのだろうか?
「……そろそろ来るわ」
悪魔が来る。これからは三つ巴の戦いだ。ヴェイルは最も難しい位置に立たされる。しかし必ず勝って帰る。
地下から、ルアハのものではない絶光領域が形成されていく。
「マグニスの時にあの悪魔が言ったみたいに、追跡者に対して共闘とはいかないのか?」
「それじゃ、追跡者に対して命の保障ができないわ。戦いの中でどのような選択がされるかは、細かく変化するから未来が確定しないの。それに追跡者を退けた後、悪魔を私たちだけでどうにかすることになる。もちろん追跡者と戦わせることで消耗はさせられると思うけど……」
「……分かった」
ルアハがヴェイル以外の人間の命を重んじることに、眩しさを覚えつつ焦りを抱く。そんな感情を、やはり彼女は知らない。
「追跡者と戦っていれば、悪魔は警戒を解いてくれるかしら」
「相手は“天眼”持ちだ。少しでも考える脳があれば損得勘定はできるだろ」
ヴェイルは言いながら、床が闇に呑まれていくのを見守った。ルアハはヴェイルから分離して浮遊すると、きょろきょろと辺りを見渡した。
「ヴェイル、あっち。火の出所はあの部屋だわ」
「そういえば、これから火事が起こるんだったな。——止める気か? 邪魔されたと思われるかもしれない。それに、最初に視た時とは違ってもうここに人はいないぞ」
「それでも、ここは大切な場所だもの。闇でボロボロになるところも出るかもしれないけれど、全部燃えてしまうよりはいいわ」
何で? と少し考えたが、今はここにはいない生徒たちのことを言っているのだと気づいて、ヴェイルはその思慮の深さに感心すらした。
「……分かったよ」
学生にとって、学校とはほとんど毎日通う場所だ。それは、ヴェイルにとっての毎晩過ごす“永遠の春”なのかもしれなかった。“第一の人生”の間に“永遠の春”がもし全て壊されてしまったとしたら、ヴェイルは確かに途方に暮れていただろう……。
ヴェイルは階段を登り、ルアハの言った教室に向かって、その扉を開けた。何の部屋なのか、棚にはたくさんのコップのような器具が並んでいた。大きな窓から薄暗い外の景色が見えた。ここは三階だ。
教室の中にはなるほど、火を使うための炉が存在していた。ルアハは闇を広げ、火元となる可能性のあるものを全て溶かしていった。
「——ありがとう、ヴェイル」
「そろそろ追いつかれるぞ」
「うまく立ち回らないとね。きっと、ここで現れる悪魔を吸収することができたら、追跡者を退けることができるわ」
「ああ」
ヴェイルは窓の外に追跡者たちの姿を見た。追跡者は罹患者が上階に向かうとは普通考えない。だが彼らは“天眼”持ちだ——その視線がばっちりこちらを捉える。
「お互い、隠れるのは無理みたいだな」
ヴェイルは先手をとって撃った。追跡者たちが飛び退き、反撃してくるので、ヴェイルは身を低くして走る。
「アネを殺した“天眼”持ちは女って話だったよな。つまり全員別の奴だ。追跡者はどこまであの思想に染まってるんだ……今のイェスタはどうなんだ?」
ノーマが見たら凄い顔をしそうだ、と想像しながら、ヴェイルは階段を下った。そろそろ悪魔の絶光領域が広がってきたところだ。
「降るぞ」
ヴェイルは“天眼”で絶光領域に呑まれた通路の地形を見て、深淵に飛び込んだ。次の瞬間、光の波が地上の闇を全て浚っていく。顔面すれすれを銃弾が飛んでいくような感覚に、思わず遅れてゾッとする感覚が走った。
「……なあ、あいつらイェスタより光が強くないか?」
「“天眼”で強化されてるのかしら……。——本来ならもう悪魔は地上に手を出すところだけど、今は人がいないから出てこないみたいね」
「役に立たないな。ルアハ、君の方が領域をうまく使える」
「ええ」
ルアハが絶光領域を上書きして闇を奪っていき、廊下に追跡者たちを閉じ込めて誘い込む。
……五人は相変わらず、神経質なまでに統率された動きをしていた。ヴェイルは気味悪く思いながら銃を構える。すると、一触即発の空気の中、先頭の追跡者が口を開いた。
「——『予言』の……ルアハだったか」
「!」
その一言だけで、彼がこちらの状況を完全に把握していることが分かる。やはり天使は“天眼”を伝ってこの世界を観測するだけでなく、人間に情報を伝えもしているのだ。
「これ以上秩序を乱し均衡を崩すことは許されない。残念だが——ここで死んでもらう」
「その秩序って、追跡者に同じ人間を殺させること?」
「煽りのつもりか? 事情を知らない貴様に何を言われたところで何もないな」
「じゃあ聞かせてみてよ——この代理戦争で更に人間にこんな戦いを強いることを、何があったら正しいと思えるのか!」
ルアハが叫び、光と闇がぶつかる。闇の芽が彼らの足元に生えては、枯れていく。




