第40話 今日の日は二度昇る
ヴェイルがウルドとの約束通りにしていれば、彼は庭にいる。おそらく、いつものガセボに。
そこまでの道を塞ぐように、四足の獣が群れて現れる。闇蟲と呼ばれる絶光領域の兵だ。
大体、この絶光領域は日光に刺される地上に存在している。ヴェイル自身は地下にいるのかもしれないが、それでも普通はあり得ないことのはずだ。
「ええ、バティンは地獄の中でもかなりの実力者よ……随分前の世界では、こんなに早くは現れなかった。彼がその気になれば、一体でこの県を丸ごと闇で染め上げることもできるでしょうね。——ただし、相手が私達でなければの話だけど!」
ウルドはそう恐ろしいことを言いつつ、剣を一度振るった。光が真一文字に煌めき、獣の闇蟲の首が四つまとめて刎ねられる。
めちゃくちゃだ、とイェスタは思った。悪魔とやらも、ウルドも……。
闇蟲は首を刎ねられても構わずイェスタ目がけて走ってきた。ウルドはイェスタの体を奪って生活し続けたおかげか、完璧に体を操ってその爪を躱す。
「面倒ね!」
ウルドは唸るように言って、次の瞬間、イェスタは闇蟲たちの背後で剣を振り抜いた姿勢になっていた。一拍遅れて光が閃き、四体の闇蟲の四肢はバラバラになった。
「この忌々しい天蓋を、まず外してもらおうかしら!」
次に剣を天に向かって突き上げると、庭全体を包むほどの大きさで、光の旋風が巻き上がった。それは地上に控える闇蟲たちを巻き込みながら、空を覆い隠す闇を切り刻んでいく。
「……姿を現しなさい」
太陽を背負って、ウルドは進む。
ガセボが見えた。木造のそれは真っ白く塗られているはずだったが、なぜか遠くから見ると一気に劣化したように見えた。
「あそこに降魔の術のシジルを描いたのね」
降魔の術?
「実際、この世に存在する術に直接的な意味はないけれど……彼のように心の傷ついた者が悪魔の欲望を理解し、その身を委ねる想像をすること、それこそが悪魔を呼び寄せる鍵になることは間違いないの。よく悪魔召喚だの言っている人間がいるけれど、天使も悪魔も人間を介してしかこの世界には干渉できないのよ。そして、特別な何かがなければ一度来たら戻れない……じゃなきゃこの世界ではとっくに天使と悪魔の大戦争が始まっているわ」
ガセボの前で、ウルドは立ち止まった。
果たしてそこにヴェイルはいた。朝の影は斜めで長く、中に立つヴェイルも朧な日光に曝されていた。こちらに背を向けた彼は、一見いつもと変わらなさそうに見えた。
「地下に逃げないのね。ま、好都合だけど」
絶光領域を剥がされて絶体絶命、のように、イェスタには感じられた。だがウルドの慎重さが油断を咎める。
「…………」
「——随分対策されてるなあ。きみ、只者じゃないね」
「〈キレトの十指〉が一人、ウルドよ。私の前でこの世界に降りたこと、絶望しなさい!」
「……ふ」
ヴェイルは——バティンは微かに笑ってイェスタを見た。その顔も体も服もヴェイルのままなのに、ちょっとした仕草の一つ一つがわざとらしく傲慢で、ウルドに体を奪われている自分と同じ目に遭っているのが分かる。
ヴェイルは本当にこんなことを望んでいたのか?
「〈キレトの十指〉か。それって何なんだい?」
「キレト様に最高の権限を与えられた、十人の天使のことよ。だからね、あんたなんて私の敵じゃないの」
「それはどうかな……確かに僕は地獄の第十八位だけど、地獄の悪魔はきみ達みたいに平和ボケしてない。その十人の一番上の天使が、第五十位レベルだってこともあり得るかも」
「試してみようじゃないのっ」
ウルドは簡単に煽られて、イェスタの剣を構えた。そして、無防備な彼へと突進する。
バティンはニヤリと余裕ありげに笑みを深めて、パチン、と指を鳴らした。
「グラウ!」
彼がそう言うと、突然、馬の雄叫びのような声が聞こえて、パッと視界いっぱいに空が広がった。
かと思うと、目の前にヴェイルの踵が見える。あ、まずい——とイェスタが思ったのも束の間、ウルドは光を纏った手でその足を受け止めていた。
「はッ!」
「!」
光が炸裂する。世界が白く塗り潰される中で、ウルドは再び剣を発現させ、その感覚を頼りに空を蹴ってバティンを追った。振り抜いた剣は、しかし間一髪、バティンが巨躯の馬のような姿をした闇蟲の手綱に捕まりそれに跨ったことで回避される。
「何よ、まだまだ!」
ウルドは攻撃の手を緩めなかった。上空約百メートル——明け方の静かな街の上で、光と闇が踊る。バティンの馬はウルドと同じように空中を駆けることができ、そしてウルドよりも速かった。
「ふうん、なんだ、人間がいっぱいいるじゃないか」
「…………」
「その視線、不快だな。一度防いだくらいで、何を『いける!』みたいな顔してるのかな」
バティンはそう言って、胸の前で手を握り、闇の力を溜め始めた。その間にも彼は転移を繰り返し、ウルドの注意を散らす。
「そっちこそ、私をさっさと殺さなくていいの? 日が昇っちゃうわよ」
「もちろん、そんなに時間はかけないつもりだけど——太陽が昇ったところで問題ないさ。元々、僕はこの世界の偵察を命じられているんだから。太陽の昇る時間、その影響を測るところもお仕事なのさ」
「あら、じゃあ、私の方がさっさとあんたを殺してあげなくちゃね!」
ウルドが何かの術を使い、光輪が一層瞬く。それに応えるように、バティンもまた闇を解放した。その力は、街全体を低く平面に覆っていった……。まるで、ウルドではなく街を狙っているかのように。
——ウルド! イェスタは思わず叫んだ。このままじゃ街が危ない。
「大丈夫よイェスタ、私を信じて」
だがウルドは焦らずに、黒い紋様から地獄の炎が湧き出すのを見下ろした。
「————」
ウルドが術を解放する。それはバティンがこの街への炎を用意する前に用意した術のはずだったが、街の方、広範囲へ光が広がっていく。
まるで、ウルドには未来が見えているかのようだ。




