第38話 間違い続けて、君に教えよう
恐光症とは何なのか。それは人間が悪魔の宿主となることだ。人間の精神の堕落はそれを誘発し、追跡者はそうなってしまった人間を殺すことでそれに伴う被害を抑止する。
「……、……」
ルアハは「悪魔を捕らえてきて」と言った。
ヴェイルは彼女の実在も、悪魔という概念も信じていなかった。だから夢の中の頼み事なんて自分には全く関係がないと——そう思っていた。イェスタが術を使ったあの日までは。
見たい夢を見る方法、と彼は言っていたが、実際どういう術だったのかは分からない。だが、眠気もなく普通に過ぎていた時間の中で突然イェスタによって見せられたあれが、偶然や幻覚でないことは確かだ。
ルアハも、ヴェイルも、誰もいない“永遠の春”。
その日はルアハの不在だけが頭にあったが、ヴェイルは徐々にイェスタが何かしらの力を持っているとしか考えられなくなっていった。
そしてその考えを肯定することは、間接的にルアハの存在を肯定することでもあった。
マックスウェル家という豊かな場所で生きていたはずのヴェイルは砂漠でオアシスを見つけたかのようにオカルトにのめり込み、黒魔術や悪魔信仰の本を読み漁った。追跡者のことも自分で調べ尽くした。だが追跡者になるにはそれなりの立場が必要で、ヴェイルが目指せるものでは到底なかった。
オカルトは所詮オカルトで、浅い部分ではみなバラバラにデタラメを言っているだけだった。しかしある程度調べると統一性と体系が見えてくる。悪魔は地獄に住まい、我々の内なる欲望を見ている。彼らは欲望を接点に我々と繋がりを持つことができ、もしあなたが悪魔に欲望を叶える力を差し出すというのなら、何かを代償にその力を得ることができるでしょう。
悪魔の種類や力には興味がない。ヴェイルは手当たり次第に降魔の術を学んだ。悪魔と対峙したときに唱える呪文から魔法陣まで。だが肝心の悪魔を見つける方法については行き詰まっており、何も起きず日々が過ぎた。
その頃だった——イェスタが再び、このことに言及してきたのは。
「そうだ、諦めの悪い君に一つアドバイスなんだが。——降魔の術を知ってるか?」
ヴェイルはハッとして彼の方を見つめた。
「君の会いたい彼女は、悪魔を吸収することを目的としている。なら手っ取り早く悪魔をその身に下ろしてしまえばいい。もし君の思いが強ければ、悪魔が君を乗っ取る前に彼女が君を助け、君たちは再会できるだろう」
恐光症は受動的なものだが、降魔の術は積極的に悪魔を呼び寄せる。ヴェイルはそう解釈し、また情報を掻き集めて片っ端から試していった。
……ふと不安になることもあった。だから、イェスタに片棒を担がせるのは気が引けたが、恐光症との境界を確かめようと思った。
「もし何かあっても、追跡者より先に俺が行くからな」
その言葉は何よりも頼もしかった。だがそれは多分、追跡者よりも先にこの首を獲りにくるということだろう。彼はヴェイルに、ルアハに一目会うことは許したが、降魔を教唆した責任を自ら取ろうとしているだけだ。
ヴェイルは、降魔の魔法陣を描く手が止まっているのを自覚して、ようやく作業を再開した。
白く塗られた木材でできた美しいガセボの床を、黒の線で描かれる悍ましい紋様が埋め尽くしていく。
——君、その身を自ら堕として、その後元通りに生きられると思ってるのか?
「…………」
そう、これはマックスウェル家に対する裏切りで、取り返しがつかない行為だ。
不思議な力——恐らく悪魔とは真逆の存在、天使の——を持つイェスタは最初から全てを察していたが、それをヴェイルに教えようとはしなかった。ヴェイルがルアハを諦め、マックスウェル家の住人として真っ当に生きていくことを期待していたからだ。
だが、イェスタはヴェイルがよりにもよって「悪しき術」に没頭していることを知ってしまった。「その身を自ら堕として」ということには、もちろん降魔の術によって悪魔をこの身に宿そうとすることでもあるが、そもそもヴェイルが手段の選択を誤ったことも指している。
正体の分からない少女に心を囚われて、もう“第二の人生”のレールには戻れない。
「——もう、何でもいい」
何でもいいから降りてきて、僕の全部をめちゃくちゃにしてくれ。
夜明け前の薄らとした明かりが徐々にはっきりとして、影が生まれていく。時間だ。この朝に、身に余るものの全てを捨てようと決めた。
もし本当にルアハに会えたら、まずは全部間違っていたことを教えよう。
僕たちが出会ったことも、君が僕を生かしたことも、僕が君にまた会いたいと願ったことも。
そして正義の光に裁かれる。
「……降臨せよ……」
シジルが黒く燃え上がる。その中心に立って、ヴェイルはゆっくりと目を閉じた。




