第36話 少年のあるべき運命
イェスタは——いや、ウルドはイェスタ・マックスウェルを完璧に演じ、学校では以前と全く変わらない評価を獲得してみせた。口調、態度、仕草、どこをとっても違和感はない。
ただ一つ綻びがあるとすれば、ヴェイルのことを決して「ヴィー」と愛称で呼ばないことだ。だがこれも、人目がある時は呼ばなくなっただけだと愛嬌たっぷりに説明すれば皆信じた。今の本当の二人は、二人きりになった瞬間空気が冷めきって、軽蔑と罪悪感の視線を交わしてはすぐに逸らすだけの関係だった。
ウルドに体を奪われてから、二ヶ月が経った。今のところ、ヴェイルの「術」とやらが成功する気配はない。
イェスタは気がおかしくなりそうだった。噛み合った歯車が淡々と回るように、生活は眠たくなるほど普通だ。だがヴェイルを前にした時だけ、劇のように進むこれが嘘みたいな現実だということを思い知らされる。
「……ん」
「——イェスタ」
自室から出ると、廊下に暗い顔のヴェイルが立っていた。今すぐ謝りたい衝動に駆られるが、抑えつけられ、ウルドが薄く微笑む。
いつからかヴェイルは全く目を合わせてくれなくなった。彼は常にイェスタに負い目を感じていて、日に日にその恐怖心は増大しているように見えた。否……それこそが本来の彼だった。イェスタが、拾い上げる前の。
「何か用事? 急いでるんだが」
「いや、……急いでるならいいんだ。大したことじゃない」
「ふーん、じゃあいいや」
ヴェイルは最近、仕事を淡々とよく頑張っているらしい。そんな中でくれた誘いをにべもなく断るウルドに殺意が湧いた。普段はウルドも外面で受け入れるのだが、今日はそうはいかないようだ。
「……なあ君、そういうのやめろよ、あの時言っただろ? もう君が何をやっても何も変わらないって」
ウルドが言うと、ヴェイルはぐっと眉間に皺を寄せた。
「けど——こうも言った、それまでは親友だって」
「言葉の綾だ。それまでは君に危害を加えないし、手助けもする。だがその後は適切な対応をする、それだけの話だろ」
「…………」
「せっかく変わりないように振る舞ってるのに、というか君が暗い顔でそんなことしてると迷惑なんだよ。テオバルトなんかはそのせいで、何かあったって勘づいてるじゃないか。君の変化に気づいても静観してたと思われたら俺の評判にも傷がつく……なあ、俺はそのリスクを背負って君を見逃しているんだ、それで十分だろ?」
口を止めようと内心で暴れるイェスタを、ウルドはまるで子供が虫の羽を毟って籠に捕らえるようにした。彼我には圧倒的な存在の格の差があった。
だがヴェイルもヴェイルだ。こんなことで納得しないでくれ、胸ぐらを掴んで怒鳴ったっていい。そうしたら家じゅうの人が二人の不仲に気づいて、君は一人で悩まなくていいようになる——。イェスタはそう願ったが、ヴェイルはウルドの言うことを正しいと信じてしまっている。
「夕食の時には行く」
ウルドはそう言って歩き出した。もちろん振り返ることはない。
◇
ウルドは使用人たちの目を自然と振り切り、応接間の扉を開けた。そこには使用人の一人、シェインが座って待っていて、やって来たイェスタに手を振る。
「やあイシャナ。——突然いなくなってすまなかった。天界に異常はないか?」
だが、向かいに座ってウルドが呼ぶ名前はシェインではない。シェインの瞳には、ウルドがイェスタの体を介して何かをしていた時に浮かび上がっていたのと似た模様が光っている。
「しかし、“天眼”レベルの同調だけですっかり人間を操るのはいつ見ても不気味だな。今回の記憶は彼女に残らないんだろうな?」
シェインが頷いて、その表情がスッと抜け落ちた。
「——まだ変わりないが、貴様の部下はボクの統率下に入ることに納得していない。あまり長く続くようなら黙らせる」
「イシャナのことは信頼してる。って私が言ってた、って伝えておいてくれ」
「ああ。それより貴様、『予言』の警戒はしなくて構わないと言っていたが」
「そう、そういうこと」
ウルドはニヤッと笑う。
イェスタがイシャナの言葉を聞いたのは初めてだ。だが名前を聞くのは初めてではない。ウルドが何かの力を使って、イシャナへ一方的にコンタクトをとっていたのを内側から見ていたからだ。
イェスタは固唾を呑む気分で神経を研ぎ澄ませていた。しかし、ウルドの意識がこちらを振り返って、「坊やは聞いちゃダメよ」と笑う。
悔しいが、それだけでイェスタは、ただ真っ白な何もない世界で漂うことしかできなくなってしまう。




