第30話 正義はすべて甘言
「ッ——キサマぁっ‼︎」
サルティが吠えるように怒声を上げ、実銃を引き抜いて構える。イェスタの思考はそこでようやく回り始めた。その黒ずくめの格好は、ジョーディンが死んだ〈アネの絶光領域〉から撤退したエステルとカピラの証言と同じだった。
違うのは、その隣にもう一人、小柄な少女と思しき者が控えていることだ。
「キサマ、ようやくワタシの前に現れたな! ジョーディンを殺し——今度は何をするつもりだ!」
「おい待て、僕は銃なんてもう持ってない。それに、ジョーディンっていう奴を殺した覚えはない」
「今更取り繕えることなど何もない、反吐が出るわ!」
彼は烈火の如く怒るサルティを更に煽ることもなかったが、その怒りを受け止めるには冷淡すぎた。
一触即発の二人に、少女が前に出てきて彼を庇うように立つ。
「——ねえうるさいよ、追跡者。あたしたちは罹患者を助けに来たの。どいてくれる?」
「罹患者を、助けるだと?」
少女はやはり若い声で、己の正義を高らかにうたった。
「そう……彼はね、恐光症を治すことができるの」
「……⁉︎」
イェスタは動揺した。ジョーディンを殺し、そして全ての黒幕は自分だとばかりの憎たらしいタイミングでこうして現れた相手が掲げる——圧倒的正義に。
彼の正体が分かるからこそ。
「このところ仕事が減ってただろ。だけどそれは恐光症の件数が減ったわけじゃない。あれは僕たちがやった。おまえたちが知る前に罹患者に接触し、恐光症を治療したのさ」
「……信じられるか!」
「そう言うと思ったんだ、今ここで実演してみせよう。拒めば、おまえたちは罹患者を殺すしかない現状に甘んじて、『恐光症を治療できる』最良の選択肢の探求を始めすらしないことを認めたことになる」
「戯れ言を……」
「サルティ先輩」
イェスタは彼から目を逸らせないまま、サルティを制止した。
もし、その言葉を言っているのが他の人間であれば——イェスタは、そのテーマに興味は持っても、ジョーディンを失ったサルティを制止してまで聞こうとはしなかったかもしれない。
しかし、今そこに立っているのは。
……「目的は変わらない」と言ったヴェイルだ。
「見せてみろ」
イェスタが言うと、歩みを止めていた罹患者が再び歩き出した。……ヴェイルが操っているとでも言うのか?
彼がヴェイルのもとに辿り着くと、その体に這う蔦が胸のあたりに到達し、かと思うと急激に引いた。罹患者の体から力が抜け、ヴェイルは片腕でそれを支える。
「っ」
絶光領域が崩れ去るが、すぐにヴェイルの足元から再構築されたために崩落は起こらなかった。それが何を意味するのか——イェスタは一瞬、理解を拒んでしまった。
ヴェイルが作り出した絶光領域は、イェスタたちの光に照らされても、尚、黒い、植物に覆われた洞窟のようだった。イェスタは、ダロン支部から届いたセインウェンの手紙を思い出した。
最初から全て……彼の仕業だったのだ。
ヴェイルは罹患者の男の体を、闇ではない土の地面に横たわらせる。次に少女が屈んで、その罹患者に向けて光を使った。罹患者の皮膚に痣が生じることはなく、むしろその表情が和らいでいく。
「……まさか……」
闇を取り除き、光を……回復させているのか。
彼らは本当にやってのけたのだ。恐光症の治療を……!
「起きて」
少女……恐らく彼女は、あの時ヴェイルの隣に座っていたノーマという子だ……が祈るようにそう言うと、間もなく、罹患者が目を覚ます。イェスタは目を見開いてそれを凝視していた。
「本当に……起きた……」
「マックスウェル君、敵に惑わされるな! さっきのを見ただろう、あの二人はセインウェン殿が仰っていた対象の異常な罹患者だ! 総員少女を保護しつつ、速やかに『処罰』せよ‼︎」
「ですが、先輩!」
「——キミ等はまだ聞かされていないかもしれないが——恐光症は絶対に治らないんだ! 覚醒者がそう言っている」
サルティがそう言うが、イェスタはそうは思えなかった。そこにいるヴェイルは……イェスタの知るヴェイルのままだ。
罹患者は、ただの人間だ。
「追跡者って、本当にどうしようもない教条主義者ね!」
ノーマが吐き捨てる。
「喧嘩腰になるな。僕たちにはもう一つ用があるんだ」
「聞く必要はない!」
サルティの武器はノーマが作り出した光の盾に刺さり、意味をなさなくなってしまった。その間に、ヴェイルは告げる。
「聞け。——十二月のある日——民間人百名以上、追跡者十名以上が一人の罹患者によって犠牲になる」
「ッ⁉︎」
「おまえたちは到着に時間をかけ過ぎる。それまでに建物は狡猾な罹患者によって炎上し、強靭なそいつは地上への侵略を始める。中の人間も、消火活動にあたった人間も食い散らかされる。そいつは——日中にそれを済ませる。元々強力なのがもっと力を得た上、おまえたちが着く頃には外は真っ暗だ。だけど、おまえたちは追跡を決行せざるを得ない」
最悪の筋書きだ。話を聞くだけで、その場面に直面する絶望の重さに鳥肌が立つ。
「一体何の話だ、冗談にしても趣味が悪いぞ!」
「冗談じゃないから、もっと悪いのよ。分かる? あたしたちはここの攻略をいつも通り先に済ませて、その日を単独で迎えることもできた——」
ヴェイルが言いたいのは、今、未来の危機を把握していることと、これまでにザロント支部管轄下に発生した絶光領域を全て先回りして攻略したことは同じだということだ。
イェスタはごくりと唾を呑んだ。彼は、ここにイェスタがいることも分かって来たのだろうか。声ですぐに正体を知られることも承知の上で。もしそうなら、それは……イェスタが信じてくれると、彼が信頼しているからだ。
恐光症治療の可能性と、十二月某日の被害を抑えるための協力の必要性を。
「具体的な日付と場所は、今日この元罹患者を無事にあたしたちに引き渡したら、後で教えてあげる」
「交渉になっておらんな。我々には、罹患者を逃す理由も、キサマの言葉を信じる理由もない……‼︎」
「『覚醒者』がそう言ったからか?」
苦笑混じりにヴェイルがそう言う。サルティの言う覚醒者とは何か、ヴェイルは知っているのだろうか?
「その言葉が正しい根拠は?」
「……彼女は天より直接お力を賜っている、主の代弁者だ。ゆえにその言葉を理解できなくとも、それは絶対的に正しいのだ」
「なるほどよく分かった。——だけど、その言葉がジョーディンをも殺したんじゃないのか?」
「————」
サルティは何か言おうとして、言葉が見つからなかったのか、ただ唇を開けて息を止めた。
「あの日、僕はあの男を闇の力で『眠らせた』。効力は約一時間だ」
「……もう我慢ならん。キサマを殺す」
サルティが姿勢を低くし、本気の戦闘体勢をとる。
「“聖霊来たり給——」
すると詠唱が終わるより前にヴェイルが腕を前に出し、引き金を引く。その胸に、闇の弾丸が突き刺さった。
「ッ——サルティ先生っ‼︎」
「大丈夫、ジョーディンと同じ目に遭わせただけだよ。一時間経てば目を覚ます——その間、くれぐれも『覚醒者』とその信奉者に見つからないように」
ヴェイルの表情は見えない。
「おまえたちには二つの選択肢がある。一つはこの罹患者を引き渡し、後で日時を含めた僕の預言を協会に伝えること。もう一つは、恐光症の治療可能性を否定し、今すぐ協会に帰ってその先輩を診せて、『覚醒者』かその信奉者に殺させ、十二月の被害もそのままにすることだ。僕たちだけでは解決できないから、助力を要請してるのさ」
イェスタの心の中では、答えは一つしかあり得なかった。
しかし他のメンバーがヴェイルたちを睨む視線には、確固たる否定が見えた。罹患者を奪われ、先輩を撃たれて、彼を信頼できる方がおかしいのかもしれない。だがイェスタにはやはり、己の記憶の中の彼を疑うことはできなかった。何より、彼も最初は追跡者を目指していたのだ。それから今の変遷には、きっと何かがあったはずだ。
「まあ、選択の余地は与えないけど——」
「あなたたち、感謝することになるよ」
二人はそう言って、罹患者を抱き上げて踵を返した。「待て!」とコルトンたちが声を上げて武器を振りかぶるが、今ここはヴェイルの絶光領域——太い低木がイェスタたちを閉じ込める……。
「待て! このっ、この……!」
それは時間稼ぎのために、彼らが地上に脱出した後も残り続けた。
しかしイェスタは不思議と焦らなかった。




