第27話 一歩目、これからのための
その女性は、夕暮れの街で帰り道を迷うように立ち尽くしていた。だが彼女の家はすぐ近くの区画にあり、迷うことはまずないはずだった。
彼女はため息を吐いた。——その後ろ姿に、平たい帽子を被ったマグニスが近づく。二人は一回り歳が違うし、マグニスは帽子を被ると紳士な顔立ちの印象になるので、ガールハントには見えなかった。
道路の向かいのベンチで座って待っていると、隣のノーマは忙しなく二人の方を振り返っていた。怪しいからやめろ、と言っても、前を向いたままモジモジするだけで変わらないだろう……。
「ほ、本当にあの人なの? 関係ない人に話しかけたら大変だよ……」
「家から尾行しただろ、間違いない」
「そもそも、その尾行する対象として合ってるの? って言ってるんだけど……」
こそこそした声でノーマは言うが、ヴェイルは確信していた。
なぜならルアハが、あの女性の同棲相手であるレニーが罹患者になると言っているからだ。
ルアハが未来視をするには、因果を辿っていかなければならない。ヴェイルは夜の間に協会支部に侵入し、各地から罹患者の情報が集まる電信受信機に触れたことで、先一ヶ月ほどの通報の内容を先読みすることに成功したのだった。
ヴェイルたちが干渉する前の運命では、彼女との家の中に絶光領域を作ったレニーの存在はこの翌日に追跡協会へ通報される。今夜、レニーは初めて人を取り込んでしまうからだ。
このセルエという郊外の市はザロントとスフェーンの中間より少し南にあり、協会支部まで遠く、市に伝えることで近くに滞在している追跡者及び協会に罹患者の情報を届けることができる。が、セルエでは近くに追跡者がいないかもしれない。情報の移動距離はそのまま追跡者の移動距離と等しいわけだから、心理的ハードルはアネを隠していたノーマに比べても非常に高い。
「間違ってれば、ここでマグニスが不審者の烙印を押されるだけだ」
「可哀想だよそれは……」
しかしここでマグニスを選んだのは無難な判断だ。ノーマのような少女がいきなり恐光症の話を持ちかけてきても、眼帯の男でも、彼女の記憶に残り過ぎる。
「可哀想にはならないさ。ほら、頷いた」
女性はしばらくマグニスに怯えているようにも見えたが、どうやらこちらの提案を呑んでくれたらしい。マグニスが片手で親指を立て、こちらに成功のサインを出した。
未来視によって追跡者よりも早く得た情報を使って、通報直前の罹患者の身内に「治療」を売る——これが、ヴェイルとノーマとマグニスの目的が全て叶う最適解だった。
「僕たちも行こう」
「う、うん」
マグニスと彼女が家に向かって歩き始めたのを横目に、別の通りから彼女の家に向かう。依頼を受けるのはマグニスだが、実際に絶光領域を攻略するのはヴェイルとノーマだ。マグニスはまだ悪魔憑きから人間に戻りたてで、無茶をさせられない。
同じ悪魔憑きでもヴェイルは普通に生活しているが、それはやはりルアハが光を嫌わない堕天使であり、またヴェイルを宿主としながらも存在の癒着を避けているからだ。長らく悪魔に支配されていたマグニスの存在は脆くなっている、とルアハは言う。
「——それにしても、何でここで罹患者が出るって分かったの? なんか、ザロントでずっとコソコソしてる時あったけどさ……」
合流の直前、ジトリとした目でノーマが問う。ルアハのことは二人にも話していない……ルアハも女の子(?)だ。ヴェイルを介して知り合って、同性のノーマや年上の男に興味が移ったらたまったものじゃない。特にノーマはヴェイルよりもよほど精力的だ。危ない。
「マグニスに憑いてた悪魔の力は相当なものだった。それを吸収したことで、本来の力が大分戻ってきたんだ」
「ヴェイルさんに憑いてる、悪魔の……? それって大丈夫なの?」
「追跡者もおまえも、光をいくら使っても平気だろ? それと同じさ」
そう聞いてもノーマは納得いかない顔をしていたが、これ以上説明のしようがない。
家の前で話すマグニスと女性に近づくと、マグニスがこちらを指す。
「——彼らに攻略していただきます。しばしお待ちを」
「……子供?」
「プロですよ。立派な」
「はい、任せてください」
勝手にやっていることにプロも何もないが、マグニスとノーマは堂々と言った。女性は不安を滲ませながら、「どうぞ」と家の扉を開けた。アパートの一階だ。絶光領域は部屋の中から地下へ展開されているのだろう。
ヴェイルはルアハと一緒に見た未来の光景を思い出し、リビングを抜けて右側の個室を開けた。ここだ。広い穴があり、急な階段になっている。
「ノーマ、おまえが先に行くか」
「えっ。……うん、そうするよ。ヴェイルさんは後ろで見ててね。指示をちょうだい」
「ああ」
あの巨大な〈マグニスの絶光領域〉を攻略した自信か、ノーマは「レベル0」の絶光領域へとしっかりとした足取りで中へと降りていった。
家の中に絶光領域を形成する罹患者のタイプは大きく二つに分かれる。近くの住人を食らいつくし、盤石な「家」を作ろうとするか……あるいは狡猾に、自分の所在が分からないように静かに力を蓄えるか。
レニーは、アネと同様初動が遅いが、いずれ前者になる。
「扉か。僕が開ける。直後に注意しろ」
ヴェイルは言って、闇の銃を扉に向けて撃った。するとマグニスの悪魔を捕らえた時と同じように、着弾地点から荊が伸びて扉に纏わりつく。それは扉の隙間に棘を捩じ込むと、剥がすように扉を押し開けた。ルアハが既成の絶光領域を侵略して書き換えているのだ。
「行こうっ」
ノーマが凝縮した光の灯りを作って飛ばし、前方を照らす。するとそれを目掛けて闇蟲が飛び出してきて、ノーマはその瞬間に箱状に盾を展開した。光の盾は元の大きさに戻り——闇蟲は押し潰されて跡形もない。
「随分慣れたな」
「ヴェイルさんもね」
「罠はなさそうだ。そのまま切り開いてくれ」
「了解!」
階段は折り返しで、二階分下らせるとそこが終点のようだった。「この部屋までで、〈アネの絶光領域〉と同じサイズ感だ。レニーはすぐそこにいる」と言うと、ノーマは黙ったまま頷いた。
気をつけなければならないのは、光であっても闇であっても罹患者を直接攻撃すれば命を奪ってしまい、その治療は叶わないということだ。それはジョーディンが起き上がって来なかったことからも明らか——。
「ジョーディンって、あの時の追跡者の? ……あの人は、別に死んでないわよ?」
「え?」
「どうしたの、ヴェイルさん?」
「いや……何でもない」
心の中で、ルアハにどういうことだ、と問いかける。ヴェイルが闇でジョーディンを撃ったのは追跡者が罹患者を殺すのと同じ構図だったし、イェスタも犠牲者が出たと言っていた。ジョーディンは死んだはずだ。
「私は私の力で人の命を奪わせたりなんてしないわ。あれは少し眠ってもらっただけ。私の力も足りなかったし、一時間後にはすっかり目が覚めたはずよ」
「…………」
「っいたよ、向こう!」
「分かった」
ノーマの声で我に返って、ヴェイルは銃を構え直した。
「だから、罹患者を直接撃ってくれて構わないわ。ヴェイル」
「————」
引き金を引く。銃弾は罹患者の胸元に当たり、その背中にブワッと黒い枝が生え、花が咲いた。それは悪魔を呑み込んだルアハの“永遠の春”の表出だった。
「——よくやったノーマ、任務完了だ。もう少し時間がかかった方がそれらしかったけど」
「そんなこと考えてないで、早くあの人を安心させてあげようよ」
ノーマが呆れたように言って、倒れ込んだレニーを抱き上げる。「うん、生きてる……」と確かめるように呟いた声音は柔らかく、優しさに満ち溢れていた。




