第26話 日陰の救世主
「……あ。目が覚めた?」
「ん……?」
身じろぎする気配があって、ノーマはベッドに駆け寄った。
痩せた茶髪の男——グインフォー・マグニスは朦朧としたまま体を起こして、ぼうっと天井を見上げた。照明はつけていないが、窓から柔らかな日が差し込んでいた。
「体に変なところはない? マグニスさん」
「あ……ああ、? 君は誰だ? 私は……私は、……」
「……グインフォー・マグニスさん……だよね?」
「……そうだ。何だ? 俺は、何か、ずっと暗い場所にいたような……」
「恐光症を発症してたんだよ。でも、もう大丈夫」
「恐光症だって?」
マグニスはそう驚いて、ぽかんとした顔で窓を見つめた。光への恐怖は消えているようだった。そうしていると、彼はいたって平凡な、その辺で普通に働き、休日の一杯の酒に幸せを感じていそうなおじさんだった。とても——邪悪な心を持つようには見えない。
「罹患者は追跡者に命を狙われる。でもね、ヴェイルさんは恐光症を治せるの。あたしの友達も治してもらったんだよ」
「突然光を見て自分の気がおかしくなったのは覚えているよ。——あれからどのくらい経った?」
「えっと……三年くらい、って言ってたかな」
「……三年か——」
マグニスは深くため息を吐いて、ベッドの中で天井を仰いだ。だらりと体重を預け両腕を広げる。そこには色濃い疲労と、世間から隔絶されたであろうことへの諦めに近い感慨があった。
「……教えてくれてありがとう、お嬢さん。それと、そのヴェイルさんは……」
「ああ、今はいないんだけどね、荷物があるからすぐ帰ってくると思うよ。……ヴェイルさん、いつもあたしにも隙がないのに珍しいなあ」
「そうかい。お嬢さんは?」
「あたし? あたしはノーマ。罹患者を助けるためにヴェイルさんのお手伝いをしてるの。まだ、手伝えてるかは分かんないけどね……」
ノーマは自分で言いながら、ヴェイルに頼りっぱなしだった昨晩のことを思い出して悔しさに歯噛みした。光の発現は遅れ、何かがあったらしいマグニスとの会話の場には同席することもできなかった。
「じゃあ、ノーマちゃんも命の恩人だな。ありがとう」
「そんな、あたしは何も……」
「いやいや。聞いた限り、恐光症の治療はまだ一般的なことじゃないんだろう?」
マグニスは、感謝するのは当然のことだと言わんばかりにそう続けた。
「そんな中で君たちに攻略してもらえたのは、すごく幸運なことだ。そして、それをしている君はとても勇敢だ。ありがとう」
「っ……うん。もっと頑張るよ、あたし」
意気込みながら、ノーマの心中は陰った。こんなに優しく励ましてくれるような人でも、追跡者に見つかればまだ罹患者として「処罰」を与えられてしまうのだ……と。
「マグニスさん……あのね、一度恐光症を発症した人は、症状がなくなったとしても追跡者の処罰の対象なの。あたしの友達は、それで殺されちゃった——」
「そんな」
「ヴェイルさんは何も言ってなかったから、これからどうするかはマグニスさんが選んで。でも、このことを忘れないでね。……絶対追跡者に見つからないで」
ノーマは祈るような気持ちで言った。マグニスは黙って、出会うことももう叶わないアネを悼むように瞼を下ろした。
廊下から足音が聞こえて、ノーマは振り返った。扉が開き、ヴェイルが帰ってくる。彼はローブも羽織らない軽装で、眼帯もしていなかった。ついその傷跡を見ていると、彼はすぐに気付いて眼帯を着けた。傷跡の心証を緩和するための眼帯なのだろう。
「起きたのか、マグニス」
「君がヴェイルさんか。思っていたより若いな……。ノーマちゃんから聞いたよ、助けてくれて感謝する。いや、感謝では足りない」
「別に恩を感じる必要はない。僕には目的があって、その中でおまえを助けたのはノーマだ。僕のことを追跡者に話さなければそれでいい」
ヴェイルはさらっとそう言った。マグニスとノーマは目を見合わせてこっそり笑った。ヴェイルがどんな人間か、マグニスにも大体見当がついたようだ。
「次の目的地が決まった。三日以内に移動する。ノーマ、おまえは家に帰るか?」
「ううん、ヴェイルさんについていくよ。私だってもう戦えるもん」
「そうか、僕は止めないけど。……マグニスは」
「——私も、君たちの力にならせてもらいたい」
ヴェイルは少し面食らったようにマグニスを見た。彼は協力を拒まないが、一人で行動することばかり想定していて、自分の考えが賛同を得られるなどとは全く考えていないようだ。
「ノーマ、おまえが何か吹き込んだのか? それとも危険を理解してないのか?」
「え! いやいや、違うよ」
「ははは、すごい人だということは聞いたが、これは私が選んだことだよ。……もうあの職場に戻らなくていいと安堵もするが、……私には確かに夢があった。どんなひどい環境でも、夢に繋がるかもしれないそのか細い糸が、私の生きる希望だった。たとえ既に先を切られた糸だったとしても……それを、奪われたくはなかった——」
グインフォー・マグニスという人間は、二度と世間に、“光の世界”に戻ることを許されない。
ヴェイルは手を止めて彼の話を聞いていた。
「三年の空白を想像して踏ん切りがついた。そして、恐光症を恨めしく思う。これだけで、君たちに協力したいと思う理由は十分だ」
「……夢はもう諦めるのか?」
「今までの私には諦める強さがなかったんだ。だが君たちのことが、私の次の指針になってくれそうな気がするよ」
「……そうか、分かった。僕は協力者を見す見す逃すような真似はしない。まずおまえには変装してもらわなきゃならないな。僕が適当な服を買ってくるから、それまでに髪と髭を整えておけ」
ヴェイルはそう言って、荷物を背負った(さっきは本当に、ただの朝の散歩にでも行っていたんだろうか?)。
「それと、僕の資金には限りがある。僕一人なら余裕だと思ってたけど、三人はさすがに厳しい。金を稼ぐ方法を考えてほしい」
現実的な問題だ。ノーマは両親のいる家から飛び出してきた子供で、ヴェイルは……あのイェスタとかいう馴れ馴れしい追跡者の男を思い出して気分が悪くなる……マックスウェル家というところで育ったらしく、二人ともまともに金を稼ぐ方法を知らない。
マグニスはそれを察したのか、使命感を帯びた表情で「……了解した」と頷いた。




