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ドグマ・ルーアッハ  作者: 三科享史
第二章 それぞれの教条
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第24話 そして勝者として

 ルアハの予言の力は本物だ。ヴェイルが彼女の予言によって生き延び、そして彼女が実在して再会できたことがその証左だった。


「私の予言は、未来視の力と因果を視る力に由来するの。最初から未来視で全てを見ることは叶わないけど、手近な因果を探って特定の運命を予言することはできる。私は私自身の最後の日を視たわ——何(・)の(・)変(・)哲(・)も(・)な(・)い(・)一(・)日(・)だ(・)っ(・)た(・)。あなたはただいつも通り私と話しながら、一人で昼の世界を歩いていた。……天使が殺しに来るのよ」


 彼女は震えていた。恐怖で。胸の前で両手を握り締めて、固く目を瞑って。


「それでも私の運命が終わる前に、私だって天使として少しでも多くの悪魔を狩って、少しでも多くの人を救いたかったの。だからあなたに悪魔を捕らえてと頼んだのよ、ヴェイル。——でも、私が救いたい人間の一番上の名前はあなたなの」


 ……君と離れたら、僕が救われるとでも?

 ヴェイルはそう叫んだが、音が聞こえなかった。気づけば、ヴェイルは“永遠の春”の無限の空に呑み込まれていた。

 ルアハはそこにいたが、ヴェイル自身がそこにいなかったのだ。


「私はもう堕天使に、悪魔になってしまった。残された時間も天使としては生きられない。分かる?」


 彼女はヴェイルの目を覆い隠して、囁いた。


「——あなたみたいな優しい人と一緒にいる資格なんて、私にはないのよ」



 ヴェイル、お願い、私が離れるまで、天使にも悪魔にも二度と近づかないで。

 あなたが取り戻してくれた力を使って予言してあげる。あなたが、この争いと運命を交わらせず幸せに生きられる選択を……。




 そして彼女は、未来を視た。


「ルアハ! ……、……」


 ヴェイルは飛び起きて、余裕のない声で叫んだ。

 窓から、微かな朝焼けの光が差し込んでいた。ヴェイルは右目を開けて部屋を見回したが、ルアハの姿はない。


 椅子で眠っていたせいで全身が怠い。マックスウェル家ではベッドで眠るのが当然になっていたからだ。

 ソファにはノーマ、ベッドにはマグニスの姿があり、ここがマックスウェルの邸宅でなくザロントの宿だとすぐに思い出した。

 右目の“天眼”——ルアハの視線が、マグニスを捉えた。……彼女は堕天使だが、その精神性は天使の立場のまま変わっていないように感じる。悪魔の所業によってこの運命に陥った男を、ルアハは哀れんでいるのだろう。

 翻って、ヴェイルが優しいのはルアハに対してだけだ。昨日だってただ悪魔を追っていたばかりで、マグニスを助けることなんて全く考えていなかった。ヴェイルはふいっと彼から顔を逸らして、右目の傷跡に触れて呟いた。


「……まだいるよな? 頼むから急に消えないでくれ……」


 すると右目の感覚が全くなくなってしまう。ヴェイルは不安になって、ふらりと立ち上がった。軽く着替えて、ルアハと二人になりたくて外に出る。冷たい風が肌を撫でた。


「——ルアハ、見てる? この国は今、秋だ」


 木々が散らした葉は、ザロントの清潔感のある街並みの中ではまるで小洒落た景観の一部だった。

 ルアハのいる“永遠の春”も悪くない。でも、この世界では夏、秋、冬と決まって季節が巡っていく。春の反対側にある秋に彼女と立っていることが、ヴェイルは嬉しかった。

 早朝のザロントは昨日の喧騒が嘘みたいに静かだった。クローズドの看板が並ぶ通りを歩きながら、ヴェイルは彼女に語りかける。


「昨日観光雑誌で見た。ザロントはチョコレートが美味しくて、比較的安いんだ。僕は舌がいかれてるみたいで食事にはこだわらないんだけど、君にも感覚が伝わるなら後で買ってみようか」


 返事はない。ヴェイルはゆっくりと歩いて、川を渡る橋の真ん中で立ち止まった。

 ルアハが実在しないということは考えても、離れていくということは考えたことがなかった。彼女がいなくなったら、一体ヴェイルは何のために生きていけばいいんだろう? イェスタのような信念もないし——ノーマのような意志もない。

 あの頃は生きるだけで精一杯だった。自分に何かができるなんて思いもしなかった。元々、ヴェイルはそういう取るに足りない類の人間だった。

 ルアハと出会い直してしまった今、それに戻ることは耐えられない。


「……ルアハ、どんな未来を見たんだ? 僕は君を救えないのか? 僕以外の人間が、君を救うのか?」


 ヴェイルは柵に肘をついて項垂れ、掠れた声で問うた。せせらぎが二人の沈黙を守るのは新鮮な感覚だった。“永遠の春”は無限に広がる草原で、川はなかったからだ。


「——違う、私があなたを救えないの」


 彼女はそう言った。観念したように淡々と。


「私が離れても、あなたは必ず悪魔に向かっていく。あなたは既に、私によって——この争いに取り込まれてしまったのね」

「……君の予言は正しい。そんな自明のことに貴重な力を使わないでくれ」


 言うと、ルアハはますますその体を縮こめたような気がした。

 この手では彼女を抱き締められない。だから、ヴェイルは言葉で強く彼女に呼びかけた。


「ルアハ。——一緒に戦おう」

「っ」

「悪魔も天使も敵、上等だ。君の予言の力を使って、追跡者(パーサー)よりも早く悪魔を狩って力を蓄えよう。恐光症(フォトラビア)の治療は一般人にとって好印象になる。第三勢力になって、この争いの勝者として最後に立つんだ」


 それは途方もない計画だった——どれだけの数の悪魔や天使が存在しているのかも分からないのに。しかし、だからこそ、ヴェイルにとってはそれが最も安心できる道だった。

 応戦しなければならないなら、こちらから仕掛けてやる。いずれにせよ、そうしている間は彼女と一緒にいられるから。


 ルアハは頷いた……ような気がした。そして、ヴェイルの隣に立って「……綺麗な街ね。見せてくれてありがとう」と言う。


 風が吹いて、彼女の髪は揺れなかった。

 だが、彼女は確かにそこにいた。

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