第23話 少年は覚悟を決めた
穏やかな牧歌に歌われる光景のように暖かな草原で、淡い新緑の葉がキラキラと不規則に瞬く。柔らかく清々しい風が吹き上げると、彼女の美しい白金の髪がふわりと靡いた。彼女は景色の一部で、景色は彼女の一部だった。
永遠の春。
「——ルアハ、夢じゃなくて、さっきみたいに現実で会いに来てくれればいいのに」
ヴェイルが揶揄うようにそう言うと、彼女は気まずそうに振り返った。
「……あなたがずっと夢だと信じ込んでいただけで、この場所もある種の現実なのよ」
「そうか。それは……ごめん」
「ううん、私もごめんなさい。あなたの状況を考えずに、悪魔を捕らえてきてなんて」
「ああ、君は僕に騙されてたから。——でも今は違う! この体も、服も、力も、金も、全部ちゃんと僕のものだ」
ヴェイルは彼女に歩み寄って、彼女を見下ろす身長で微笑みかけた。ルアハは安心したように眉尻を下げる。
「あの時、私の予言の通りにしてくれたの?」
「ああ、イェスタは多分、君が期待した以上のお人好しだった」
病院のベッドで目を覚ました後、ヴェイルをマックスウェル家で保護するとごねて周りの大人たちを困らせていたイェスタの姿を今思い出すと笑えてくる。彼は正義の男でもあるが、同年代の気の置けない友人に飢えた孤独な少年でもあった。使用人見習いとして礼儀正しくするとムッと頬を膨らませるワガママ全開の姿は、他の使用人たちも見たことがなかったという。
フッと笑ったヴェイルに、ルアハはしかし、悲しそうに視線を逸らした。
「ヴェイル。あの時、言えなかったけれど……その彼はいずれ天使に魅入られる存在だわ。詳細は分からないけど、あなたとの出会いが、彼の運命を変えてしまった」
言われて、ヴェイルは選定の儀で見たイェスタの光の強さを思い出した。確かにあれは普通じゃない。
「イェスタは追跡者にならなくても大成しただろうけど、あれだけ強い光を発現できるなら、追跡者の道に進んだって悪くないよ」
「……今はまだいいわ。でも……私があなたに憑いている限り、天使はあなたをも殺そうとするでしょう。そうしたら——あなたはもう、彼とはいられなくなる……」
「?」
「ヴェイル、私、一人で眠りながらずっと考えたわ。あなたにはもう、貧困からも、戦いからも逃れて幸せに生きて欲しいの」
——サア、と風が草を撫でる。
ルアハとヴェイルの間には二歩分の距離があった。彼女はまるで、そこに見えない壁を作っているようだった。
「……あなたの無鉄砲がなければ、私がここまで力を取り戻すことはできなかったわ。けれど……これ以上、あなたを巻き込みたくない」
「————」
「私は悪魔——憑いた人間に闇の力と争いの運命を与えることしかできない悪魔だって、ちゃんと理解したから。だから、もう……」
「……まさか僕以外の人間に取り憑く気か、ルアハ?」
心地よく上がっていた体温は下がって、口角が引き攣っていた。手首を掴もうと伸ばした手は相変わらず彼女の体をすり抜けて、暗くなる視界の中で、彼女は怯えたような顔でヴェイルを見つめた。
そんな表情をしないで欲しい。
「ルアハ、僕の財産は君のためにある。今の僕は君のために何だってできるんだ」
「ヴェイル……」
「君を信じなかったことも、君を騙したことも謝る! だから僕を頼ってくれ、絶対に僕が君を、君が望む未来に連れて行ってみせる。僕の人生は君のためにあるんだ」
ヴェイルは形振り構わず縋ったが、ルアハは更に困惑して半歩下がった。どうして拒絶されるのか分からない。ヴェイルは彼女の予言に従って、彼女が望んだ通りに悪魔を捕らえたはずだ。いや、百歩譲って彼女が仕方なくヴェイルの元から離れるというのなら許すかもしれない——だけれども、他の人間がこの“永遠の春”に呼ばれ、ルアハと二人きりになることを考えると、ヴェイルの頭はどうにかなってしまいそうだった。
「でも、あなたはあの少年と友達なんでしょう? 私といたら、いつかは……」
「そんなに気にするなよ、もうマックスウェル家との縁は切れたんだしさ。イェスタは、僕を君のところまで引き上げるための舞台装置だろ?」
「え?」
元々ヴェイルにその力がなかっただけで、ヴェイルはルアハのために生きたいのだ。その力を与えてくれたイェスタたちには感謝しこそすれ、ルアハの予言によって作られた運命に過ぎない。
ヴェイルは覚悟を決めている。立ちはだかるのがかつての親友、イェスタ・マックスウェルであろうと、ルアハのためなら……。
「……どういうこと? ヴェイルは、その家に拾われたんじゃないの?」
「ああ、途中から、君に繋がるかもしれないと思って追跡者を目指してたんだ。そしたらイェスタも追跡者になるって言い出して……それが伯爵の教育方針に沿わなくてさ。二人揃って立派な追跡者になれなかったら僕は勘当っていう条件付きでやってたんだ」
「じゃ——じゃあ、帰る場所は?」
「大丈夫、優しい伯爵にもらった手切れ金があるから。これからのことは今から考えればいい、だって僕たちは今やっと出会い直したんだから」
ヴェイルはルアハの手にそっと手を重ねた。ヴェイルとルアハは互いに触れられないことに慣れていて、ヴェイルが手を持ち上げると、ルアハもそれに持ち上げられるように腕を動かした。
「…………」
「ルアハ、僕と一緒にいてくれる?」
「……、——」
「ルアハ?」
ヴェイルは幸せの絶頂にいた。ルアハがすぐに頷かないのも、きっと照れているからだろうと思った。
しかしルアハは、ヴェイルの手からふっと抜け出してまた距離を取った。
「っ」
「——やっぱり間違ってる……、天使と悪魔の争いのために人間が戦うなんて」
彼女はそう吐き捨てた。息を呑んで立ち尽くすヴェイルに、ルアハは泣きそうに目元を歪めて言った。
「……私は堕天使。悪魔の敵、天使の咎。予言の祝福に未来のないことを宣告された、半死半生の逃亡者なのよ」
ヴェイルは左目を見開いた。呼吸が止まっていた。




