第12話 信じて見つけたい
「待たせたか」
「! ううん、早かったね。追跡者を撒いてきたんでしょ? もっと時間がかかると思ってたよ」
ノーマは満面の笑みで扉を開け、ヴェイルを迎え入れた。ノーマの家はマックスウェル家の物置程度にこぢんまりとしていたが、ヴェイルからすれば十分に立派な戸建てだった。父は仕事、母は買い出し中だという。
ノーマのベッドに横たえられたアネが呼吸しているのが、その胸の上下で分かった。元々か、罹患者として人間を取り込まなかったからか、そのどちらもか分からないが彼女はかなり痩せている。
「水と食料を用意してやれ。罹患者は絶光領域で生きれるように一旦違う理に組み込まれるけど、そいつにもうその力はないからな」
「わ、分かった。……って、お兄さんもボロボロ!」
「ん?」
言われて自分の格好を見る。光に灼かれた肌の痣はいつの間にか治っていたが、ローブはところどころ擦ったところの布地が薄くなっている。……あのジョーディンという男は手強かった。最後の最後にルアハのことに気付かなければ、ヴェイルはあのまま殺されていただろう。
「貸して、後で綺麗にしてあげる」
「できるのか」
「まっかせて。……改めて見ると、お兄さんって結構若いんだ。二十いってないでしょ」
顔を覗き込まれるのは好きじゃない。右目を切り付けられた時、風貌はよく覚えていないが、あの男は間近でヴェイルと目線を合わせて……。
顔を顰めたヴェイルに、ノーマは「あれ、間違ってた?」ときょとんとした。
「いや。……今年で十八だ」
「あたし十四だよ。でも、家のことは全部できるの。裁縫だってね」
「へえ……」
それは勤勉なことだ。ヴェイルも使用人見習いとして一通りの仕事に触れたが、裁縫はめっぽう苦手だった。何を目指せばいいか分からなかったからかもしれない。
ノーマはヴェイルの言った通りに水と食べ物を枕元に集めると、そのままベッドのふちに座ってヴェイルの服を繕い始めた。「座っていいよ」と言われるので、ヴェイルも椅子に腰掛ける。
ヴェイルは少し脱力して、目を瞑った。今眠れば彼女は夢に出て来てくれるだろうかと思うと、目が冴えていつまで経っても眠れそうになかった。
——光に当たると恐慌状態に陥るのが恐光症だが、ヴェイルにそのような症状はない。意識ははっきりしているし、人間を襲おうとも思わない。そしてルアハもまた——彼女の指示は、悪魔を捕まえること。
ヴェイルが罹患者と同じ“悪魔憑き”であることは間違いないが、通常の罹患者と全く違う状況にあることもまた疑いようがない。普通の罹患者が人間を取り込むことで闇の力を増大させるのと違って、さっき、ヴェイルは恐らくアネに憑いていた悪魔を取り込むことで力を得た。
とすると、ルアハのためにはこれからも悪魔を狩り続ける必要があるだろう。あの“永遠の春”に戻れるのなら何だって……。いや。もう、彼女が実在すると分かった今、それだけでは足りない。
窓の外の往来する人々を見る。これまでは「都会」という一つのイメージしか持たなかった景色が、突然色とりどりの鮮やかな色に彩られたような気がした。通りの向こうに何があるのかが気になった。
彼女を騙していたあの頃とは違って、今のヴェイルには金がある。“永遠の春”はヴェイルにとっては天国だったが、あの場所に閉じ込められていた彼女は、この秋のダロンを見たらどんな風に喜ぶだろうか?
「……そうだ。ノーマ、鏡はあるか?」
「鏡? ちょっと待ってて、お母さんの手鏡なら」
ノーマはぱたぱたと小走りで部屋を行き来して、何かガチャガチャといわせて鏡を持って帰ってきた。
貧民街で生きていた時代、自分の顔を見る機会はなかった。ルアハはしばしばヴェイルの右目について触れたが、ヴェイルの身の回りに鏡なんてなかったし、前髪が伸び切っていたから他の人間からも目はあまり見えていなかった。
だが今は、気紛れに鼠を甚振ろうとしたあの男が真っ先にヴェイルの目を切りつけたのも理由があってのことだと推測できる。
ノーマはヴェイルに手鏡を渡すと、暗い男と女性用の手鏡という組み合わせに不思議そうにしながら作業に戻った。ヴェイルは彼女に見えないようにそっと、鏡に向けて眼帯を取り外す。
「————」
垂直に走った傷跡はまだ痛々しい。この時眼球にまで傷が入り、失明してしまった。
ヴェイルはゆっくりと、右目の瞼を開いた。
赤い虹彩は濁り、左目とはずれた場所を見ているように見えた。しかしじっと見つめていると、何か視界がブレるような感じがしてくる。
見えているはずがないのに——。酔うような感覚で少し気分が悪くなって、ヴェイルは右目を閉じた。すると、視界の違和感はなくなる。落ち着いてからもう一度瞼を開いてみて、ヴェイルはハッとした。
右目の虹彩に、円形の模様が浮かんでいる。それはまるで大きな教会に用いられている装飾のように繊細な造形だった。
これもルアハの何かの証なのか?
「——お兄さん! アネが起きたよ」
「……、ああ」




