17話 お邪魔なら消えるが
言わずもがな、足取り重く誰もいない教室に辿り着いた。
秋らしく肌寒い季節は、歩きながら眠気を覚ますのにだけは有用なのだが、今日に限っては効果なしである。
「結局ブロックは解除されないし」
風松との一昨日のやり取りが映し出されたスマホの画面の一番下に表示された『ブロックされました』の文字は消えないままだった。
「……何話すわけでもないんだけど」
我ながら、風松とどうやって接したいのかどっちつかずなことだ。疎ましく思っているのやら、仲良くしたいのやら。
友達がいたことない俺にはいまいち掴めない距離感だった。
ナツキを部活に連れて行く朝のデイリーミッションを達成した俺は、いつもなら教科書なり問題集なりを広げて、まだ眠くはなくとも起き切っていない頭を巡らせるのだが、不思議とやる気が出ない。
わざわざ朝早くに学校に来てするのがボケーっとすることとなると、いよいよ何しに来たのか分からなくなってくる。
手持無沙汰を誤魔化すために、俺は校舎内を歩くことにした。今日はサッカー部がうるさい。
「……で、やってくるのがここなんだから、俺結構気になってんだろうな」
普通に歩いてるはずだったのに、気付いたら美術室の文字が頭上にある。
思わず苦笑い。
しかし来てしまったものは仕方ない。
どうせ誰もいないだろうと思いながら、取り付けられた窓ガラスを覗いた。
当然ながら誰もいない。こんな朝早くに来る美術部員はいないだろう。相当熱心な唯一の部員は土日で心血を注いでいたのだから。
「……キャンバスがない」
美術室の中にあった安藤のキャンバスがなくなっていた。
片付けられたのだろうか、それとも除けられて他のものと区別がつかなくなっているのかも。
どっちにしろ、もう置く必要がなくなったということだと思った。
描き上げたのだろう。有言実行、週明けだ。
「どうなることやら」
何度言ったか分からないセリフを呟いて、俺は美術室を後にした。
今日はもうここには近付くまいと決める。どこで告白するかなんて知らないが、おあつらえ向きの場所はきっとここだ。
できることなら、これ以上モブを巻き込まない形でエンドロールを迎えてほしい。
そんなことを考えた俺を否定するように、ホイッスルの音が外から聞こえてきた。
◇
そのまま、何事もなく。
本当に平和なまま、帰りのホームルームが終わった。
いつも通りの連絡事項なし。速攻で去っていく運動部たち。せかせか動く掃除当番に急かされて教室を後にする。
「ミフユ、今日は来なかった」
「そうだな」
平和ということは、たった数日前を発端に嵐みたいにやってきた風松の姿もなかったということである。昼休みも、今も。
いつの間にやら仲良くなったらしいナツキは少しだけ寂しそうだった。俺としては、他人にそんなことを思えるナツキに驚きだ。
「じゃあアキ、また後で」
「早く行ってこい」
いつものようにナツキを女バレの女子に預けて。
いつものように、さてどうしたものかと勉強場所を探す。
そうして、五階の空き教室に辿り着いた。
ガラガラ音を鳴らして扉を開けると、そこにこの場所を教えてくれた本人がぽつんと座っていた。
「……何してんだ?」
ナツキを見送った後、真っすぐここに来た俺より早いということはホームルーム終了後すぐに来たということだろうか。
そこまでして一人になりたい理由……あぁ、なるほど。
「いや、何でもない」
何も聞くまい。
俺の言葉に肩を跳ねさせることはあっても、こちらを振り向くことはしなかった風松を追及するような度胸は俺にはなかった。
「お邪魔なら消えるが」
すると、風松は前を向きながらスマホを弄り始めた。
直後。
ぴろん。
音がして、スマホにメッセージが入った。
『いていいよ』
『というかいて』
『四時になったら行くところあるから』
『ついてきて』
怒涛の四連撃。
俺に何も言わせないという意志が見え隠れするその言葉たちに、俺は『分かった』と返して、風松から離れた場所に座った。万が一にも顔が見えない位置に。
風松は何も喋らない。
まるで風松妹が言っていた、幼少期の引っ込み思案が復活したみたいだった。
「……あと二十分くらいか」
時計を見て呟きながら、俺はカバンを降ろした。教科書を取り出すのは止めておく。
図書室の作られた静寂にも似た今の状況は、図書室よりも重かった。
背筋が伸びるような緊張感ではないが、別のことをする気にもなれない。俺はボーっとするしかなかった。今日はこういう日なのだろう。
窓の外の何てことのない光景を眺めながら時間が過ぎるのを待っていると、不意に風松が立ち上がった。
そのまま何も言わずに空き教室から出ていく。
「はいはい、ついていきますよ」
メッセージに従って、俺も立ち上がる。
行き先は教えられていないが、既に見当はついていた。
階はそのまま。
歩く道のりは、朝早くに通ったものだ。
「まぁ、ここだよな」
呟くと、風松がしゃがんで器用に前進し出した。通りすがりの人が見たら不審者である。
一瞬だけ振り向いた風松は、薄い唇に人差し指を当てて『シーッ』と息を吐いた。
「……了解」
静かに、物音も立てないように気を付けながら美術室の前までやってくる。
腰辺りに嵌め込まれた窓ガラスから見えることのないように慎重に。
そうすると、聞こえてくる声があった。
安藤だ。
「ここに呼んだのは、見てほしいものがあったからなんだ」
震えながら、それでも自分の全部を伝えようとする優しくて不器用なイケメンの言葉を受けた人物は、風松がこんなことをしていることからしても明らかだった。
「ずっと、君が見惚れるような一枚が描きたくて頑張ってきた」
背中を壁に寄りかからせて成り行きを聞く俺の隣で、背中もつけずにしゃがんだままの風松が小さく嗚咽した。
「これが君を虜にできるような作品かは分からない。でも、そのくらいに君のことを想って描いた一枚なんだ」
潤んだサファイヤの瞳から、押し殺した感情の大粒が溢れる。
あの時よりもずっと、大人な泣き方だ。
「ずっと好きだった。あの日から、ずっと。俺と付き合ってくれないかな――」
俺は窓の外に視線を逸らした。これ以上見てはいけない気がした。
「――ユキカ」
多分今、物語ならエンディングテーマが流れ始めたことだろう。
窓から差した演出みたいな光に目を細めていたら、ふと口の中にコーヒーの苦みが現れた。今日はコーヒーを飲んでいない。
まぁ、つまりはそういうことで。
風松 深冬の恋は、こんなにもほろ苦く終わりを迎えた。




